隠せぬ、異変。
「ここは任せて、先に行ってください」
慌ただしく飛びかう殺気。
それをさらに上回り、気配だけで相手を凍らせることができるのではないかと思われるほど、鋭く冷たい空気を纏った蒐が、剋に告げる。
言葉と現状にはそぐわない、焦りひとつ感じさせない態度で。
「だけど・・・」
「自分の実力以上の戦いには挑まないタイプなので、大丈夫ですよ」
ためらう剋に、蒐が飄々と言う。
「急がなければならないのでしょう、剋さん。行ってください」
たしかに、蒐の指摘どおりだった。
早く麗からの『任務』を遂行しなければいけなかった。
この『任務』にはある程度の時間の制約もある。しかし、蒐にその話をしたことはないのだが、それを察したとは、さすがである。
「・・・わかった。無茶するなよ」
苦々しげに剋は言い捨てると、その場の殺気の合間をぬって離れた。
今夜も剋と蒐は糺国に来ていた。
しかし、いつもとは勝手が違った。
さすがに、剋が毎回侵入に利用させてもらっていた崖が見つかってしまったらしい。
崖を登り切った頃には、糺国の者たちに囲まれていた。
蒐の仲間である『守人』に。
一瞬、蒐が『守人』に密告したかと頭がよぎったが、周りを取り巻く殺気以上の殺気を放った蒐を見て、それは思い過しだとわかった。
だが、いつもなら事前に剋の侵入が知らされて国境の守りが緩くなるのだが、今回はまるで待ち構えていたかのように強固な守備が整っていた。
それにまんまとはまる形になってしまった剋と蒐は、こうして今、『守人』に追われる羽目になっていた。
剋は心残りがありながらも、蒐を残して目的地に向かった。
今は、自分たちの保身よりも『任務』のほうが大事だ。なにより、これが椎国と糺国の未来を左右させるものなのだから。
剋は『いつもと同じ』糺国城の窓に飛び込んだ。
警戒していたものの、やはりこの辺りは、『いつも通り』人の気配がない。
剋がこの城に侵入することを許しているかのように。
「・・・さて。この城の中でなにが起こったのやら」
強固な守備。
だがいつも通りの城の中。
剋はいつものように、『ある部屋』に向かっていく。念のため、いつも以上に警戒して進むが、やはり剋の侵入を妨げるものはなかった。
あの崖だけ見つかったということなのか。
不思議に思いながらも、彼は『目的の場所』で『目的の人物』に会うことができた。
「・・・こんばんは。今夜は派手なお出迎えをありがとうございます」
蒐は手加減はしなかった。
彼の持つ力すべてをもって、かつての仲間であったはずの『守人』と戦っていた。
その中に、蒐の知っている仲間がいるかと思ったが、どの気配も本気で蒐を殺そうとしていたし、知っている気配もなかった。
追われ、応戦することを繰り返しながら、蒐は小さくため息を吐く。
また、渫と籥を見つけることはできなそうだ。
「・・・『守人』ってこんなに強かったっけ?」
改めて『敵』として『守人』と戦うと、ひとりひとりの戦闘能力の高さを思い知る。
繰り出される攻撃をかわしながら、蒐もためらわず攻撃する。
だが、蒐の攻撃は相手を殺すためのものではない。
足の筋を切って追えなくさせたり、武器を破壊して戦意を喪失させているだけだった。
『守人』である頃は、殺すことにためらいなんてなかった。いかに効率よく相手を殺すか、それだけをたたき込まれてきた戦闘能力だから。
しかし、椎国で麗姫に出会い、話し、その『信念』に触れ、蒐は『殺すこと』が恐くなった。
それのもたらす悲しみを知ってしまったから。
『守人』に両親を殺された麗姫。
悲しそうに両親の肖像画を眺めながらも、彼女は『守人』への復讐ではなく、誰の命も犠牲にしない平和な世界を築こうとしている。
その気高さに、蒐は自らの罪深さを恥じ入ることしかできない。
だから、これ以上の罪は重ねたくなかった。
蒐を殺そうとする『守人』たちと、殺さず戦うことを望む蒐では、たとえ戦闘能力が蒐に分があっても徐々に追い詰められてきていた。
ふと、椎国に流されるきっかけも、こうして『敵』に追われていたときだったな、とあのときとの立場の違いに、蒐はのんきに自嘲してしまった。
その一瞬の油断を、『守人』が逃すはずもなかった。
「・・・・・・っ!!!」
そろそろ危機を感じ始めた攻防戦のさなか、はるか彼方から剋の声が聞こえた。
「朧!!そのまま崖を飛び降りろ!!」
なんで、とか、どうして、とか迷っている暇はなかった。
言われたとおりに、蒐は崖めがけて走りぬけ、そのまま躊躇することなく崖を飛び降りた。
眼下を見れば、闇の中でも蒐の眼では見える、剋と川に流れている舟。
蒐はそれめがけて、重力を無視した身軽さで舟に乗り込んだ。
さすがに川の流れにのった舟を追いかけるのが無理だと判断したのか、崖の上で佇んだままの『守人』を見送って、剋がほっと息を吐いた。
「よかった。意図が伝わって」
「崖といえば、舟ですからね。でもまさか、『朧』と呼ばれるとは思いませんでした」
「あ?あぁ、だって『守人』の中には、蒐を知っている奴がいるかもしれないだろ?さすがにまずいかな、と思って」
「お気づかい、ありがとうございます」
ことさらにっこりと笑って言うと、剋は眉を寄せてじぃっと蒐を見つめてきた。
「な、なにか?」
これだけ笑顔で会話しているというのに、なんで、剋は不機嫌そうなのだろう。
なんとかして窮地も免れたというのに。
「・・・任務、うまくいかなかったのですか?」
「いや、万事順調にうまくいった」
「そ、そうですか・・・」
なら、なんでそんな不機嫌なのだろう。
むすっとした様子で、剋は蒐を睨むように見つめている。彼はどうしていいかわからず、とりあえず彼に笑顔を見せていた。
舟が椎国城の森のそばにつくと、剋が先に降りて、蒐に手を差し伸べた。
「えっと・・・?」
今まで一度もそんなことをされたことがない。
蒐は戸惑ったまま、差し出された手を見つめていた。
「怪我、してるだろ?つかまれ」
剋の一言に、蒐は思わず目を見開いた。
隠せていると思っていたのに。
「・・・ばれてましたか」
「隠せてると思ったか?不自然ににこにこしやがって」
むすっと告げた剋の意味がやっとわかって、思わず蒐はくすりと笑ってしまった。
「なんだ?」
「いえ、なんでもないです。大丈夫ですよ」
差し伸べられた手を振り払って、蒐は身軽に地に降り立った。
が、隠していたものがばれてほっとしたのか、もともとの怪我がひどかったためか、急激な眩暈が蒐を遅い、足元がふらついた。
「おい、大丈夫か?!」
あわてて剋が蒐を支える。
「・・・すいません」
「顔色悪いぞ?」
「大丈夫です。・・・どうか、麗姫には・・・」
「言えるわけないだろ。なんで怪我したのか延々とオレが責められる」
麗に責められる剋を想像し、蒐はふっと笑みを浮かべる。
「それもそうですね」
「でも、手当はさせてもらうぞ。オレの部屋に来い」
「いえ、そんなご迷惑は・・・」
「いいから来い」
よろける蒐を無理やり引いて、剋は城に戻る。
その手の力強さに、蒐は再び言い知れない戸惑いを感じていた。