隠せぬ、哀愁。
剋が糺国城から『任務』を終えて蒐と別れた場所に戻ると、すでに蒐はそこで待っていた。
彼の言うとおり、剋を裏切る事無く。
「蒐の姉貴は見つかったか?」
そっと尋ねれば、彼は無表情のまま小さく首を横に振っただけだった。そこから何の感情も見出だせない。
さすがだ、と剋は感心する。
任務中の『守人』の徹底的なポーカーフェイス。それは仲間達の報告通りだった。
剋と蒐は長居は無用とばかりに、その場をすぐに後にした。
もっと蒐は名残惜しむかと思ったが、そんな素振りは見せずに剋についてきた。
崖を登るのはたやすくても、降りるのはさすがに綱が必要だろうと剋は思ったが、予想に反して、蒐は再び軽々と絶壁のような崖を下っていった。
「おまえの身の軽さは詐欺だ」
ぶちぶちと文句を言いながら崖をくだる剋を、蒐は薄く笑った。
「そんなことありませんよ。これくらい、わたしの姉もできます」
「・・・・・・ったく、どんな修業を積めばそんな超人が出来上がるんだ?!」
剋もこうして任務をこなし、かつ、麗の護衛としてそばにいる以上、それなりの訓練を受けてきている。
だが、目の前で見る蒐の超人ぶりは、剋の自信を喪失させそうだった。
やっと剋が崖をくだると、蒐は元来た道を戻ろうとしたが、剋がそれを止めた。
「こっちだ。舟をとめてある」
「舟?」
「このまま川を下ったほうが城に帰るのには早い」
「・・・と、いうことは・・・」
さすが頭の回転が早い。
蒐の引きつった表情を見て、剋はにやりと笑った。
「あぁ、そうだ。この川は城の森に繋がっている」
「・・・だましましたね?」
「だましてないさ。蒐を拾ったのはあそこじゃない。嘘は言ってないだろ?」
剋がすまして答えると、蒐がふてくされたように小舟に乗った。
先程の何の感情も読めない蒐ではない。
ふてくされているとはいえ、その空気は穏やかだ。
そばにいる剋は、それまで無意識に蒐に対して緊張感を抱いていたことを、息をついたことにより自覚した。
舟が糺国との国境から遠ざかっていくと、次第に蒐の空気も冷涼なそれから穏やかなものに変わっていった。
小舟が川に流されるのに任せながら、剋は蒐に振り返った。今の蒐は、雰囲気も表情も『朧』だ。
先程の人物と同一人物とは思えない。
「『守人』って本当に超人的な能力を持っているんだな」
「そうですか?わたしたちは自覚していませんよ。それが当然として訓練されてきましたから」
「訓練場があるのか?どうやら蒐は学位もあるようだが?」
「『守人の里』と呼ばれる森で育ちました。学位は学舎に通ってとりましたよ。頭が悪ければ『守人』にはなれないようでして」
まるで自分達のことではないかのように喋り、くすりと笑みすらこぼして蒐は答えた。
剋は、それ以上はなにも尋ねなかった。
聞きたいことは山のようにあった。糺国民の生活も聞いてみたかった。
けれど『守人』を語った蒐の笑みが、意識か無意識か、寂しげだったから。
まるで古傷に触れられるかのように。
痛そうに、寂しそうに。
それでも、『朧』として笑んで。
椎国城に戻ってからの蒐は、その寂しげな雰囲気すら出さなかった。
麗の前では明るく軽やかに笑った。
内心の哀愁を出すこともなく。
「次の『任務』はいつですか?」
何日か過ぎた夜、蒐が剋にそう尋ねた。共に糺国へ行ってから数日、蒐は呼び出しを受けることなくおとなしく城内に留まっている。
しかし、焦っているように見えるのは、剋の勘違いではなさそうだった。
「まだだ。まだ準備が整っていない」
実際は、何度かすでに仲間が糺国に行っている。しかし、剋の『任務』とは異なるため、彼自身は出動しない。
「次はいつごろですか?」
「さぁな・・・。オレも知らないんだ」
剋のこの言葉に、偽りはない。
剋の任務は、直接麗から下される。
ゆえに、彼の任務は麗次第ということになる。
「・・・そうですか」
「探したいのか?」
なにを、だれを、とは言わない。
蒐も、それに対しては、小さく笑っただけだった。
「・・・これは、あくまでわたしの興味本位だと思っていただいて結構ですが」
しばらくの沈黙のあと、蒐がおもむろにそう切り出してきた。
「なんだ?」
「『蒼石』は、本当に椎国にありますか?」
「・・・なんだ、それ?」
「・・・・・・ふと、思うことがあるんです」
間抜けに聞き返した剋に、蒐はふと、目を細めて言う。
「わたしは、糺国にいたころ、『朱石』をこの目で見ることができませんでした。そして、この椎国においても、『蒼石』の存在を見た者は、麗姫以外にいないのでしょう?・・・もしかしたら、そんな幻の石は、すでにもう・・・・・・」
「いや、たしかに『朱石』も『蒼石』も存在している。・・・残念なことにな」
最後の剋のひとことに、蒐の眼が見開かれ、そして照れたように彼は笑った。
「わかりましたか?」
「そう望みたい気持ちはな。ふたつの『石』さえ存在しなければ、この戦はもう終わる。糺国と椎国が争う理由も。・・・だけど、そのふたつの『石』はたしかに存在している。ふたつの国のふたつの王族が、それを今、たしかに守っている」
「・・・ならば、戦はいつまでも終わらないですね」
「終わらせるさ。麗姫が、必ず」
「どうやって?」
蒐の疑問は、むしろ剋を責めるようだった。
戦の原因でもある『朱石』と『蒼石』はたしかに存在していて。
ふたつの国はそれを互いに求めて何年も戦を続けていて。
それを今更、どうやって終わらせるというのか。
「・・・まだ、言えない。だけど、麗姫はやるさ。時代を、変える」
「時代を?」
「まぁ、見てろって」
剋はくしゃり、と蒐の頭をかき交ぜると、そのまま麗の執務室に足を向けた。
「剋さん?!」
「麗姫に呼ばれているんだ。・・・任務かもしれない」
剋がそう言えば、蒐はおとなしくその場を退いた。
そして剋の予想通り、麗は剋に『任務』を授けた。
麗はまだ、剋が糺国に行く際に蒐が一緒であることは知らない。そもそも、蒐は夜になれば部屋に籠るので、そのまま寝てるのだと思っているのだ。
「最近、頻度が高くなりましたね」
「そうね。・・・もしかしたら、そろそろかもしれないわ」
「それは、楽しみですね」
「今のうちに、『蒼石』でも磨いておこうかしら」
くすり、と笑った麗の言葉に、剋は思わず驚愕した。
「珍しいですね、麗姫が『石』のことを話題にされるなんて」
「そうね、この間剋に頼んだ『任務』がとてもよい結果だったから、浮かれているのかもしれないわ」
にっこりほほ笑む麗は、「姫」ではなく「王」だ。この国を背負う、主。
「あ、そういえば、剋」
執務室を去ろうとした剋の背中に、麗が呼びかけた。
「なにか?」
「・・・朧、最近なにかあったのかしら?」
「え?」
「最近、様子がおかしいと思わない?」
『朧』のことを話し出す麗は、『姫』というより『少女』のようだ。そわそわと落ちつか無げに、剋を見上げている。
「様子がおかしい、とは?」
「なんというか・・・・・・ちょっと、寂しそうな感じがするのよ」
「それはやはり、こうして今も、記憶も戻らず、故郷もわからないままですし・・・」
「えぇ、それはそうなんだけどね。でも、特に最近、遠くを見て寂しそうにしている姿をみかけるのよ」
本当に心配そうに告げる麗に、思わず剋は笑みがこぼれてしまう。そんな彼の態度が気に食わなかったか、麗が頬を愛らしく膨らませた。
「なにがおかしいのかしら?」
「いえ、麗姫は、しゅ・・・朧のことをよく観察されていると思いまして」
「か、観察?!」
「おや?見つめている、と申し上げた方がよろしかったですか?」
にやっと剋がからかえば、麗はすぐに顔を赤くして抵抗した。
「朧は大事なお客様だから、気になるだけよ!!剋は朧が心配じゃないの?!」
「・・・そりゃぁ、心配ですよ」
急に真剣に答えた剋の態度に、麗がはっと口を閉ざす。
蒐のことは、心配だ。
麗だって気付いている、あの哀愁漂う空気。
糺国のことを、仲間を、家族を想っているのは知っている。
戦のことを、『石』のことを考えているのも。
なにより、剋が蒐を『裏切り者』としてその狭間で苦しませていることも。
だから、思いつめすぎやしないかと、剋は蒐を心配している。
いつもいつも、笑顔でごまかされてしまうが。
「朧は、いつも笑っているから直接聞けないのよ。困ったことがあっても、苦しいことがあっても、きっと朧は何も言ってくれないわ。それどころか、『麗姫さま、最近お疲れのようですね』なんて言って、お茶を持ってきてくれたり、奇術で気分転換させてくれるくらいよ?自分のことより、人のことばかり、気にするんだもの」
口をとがらせて、麗はぶちぶちと文句を言う。
「でも、それだからこそ、我々は朧に惹かれているんですよ」
だからこそ、彼を信じてみようと、剋は思えた。
たとえ、敵国の『守人』であると知っても、蒐自身の中にある優しさを信じて。
糺国と椎国の橋渡しになってくれるように。
「・・・わかっているわ」
麗も、今度は認めた。
「ねぇ、剋。朧が寂しくならないように、またなにか楽しいことでもしましょうか?パーティーでも、ゲームでもいいわ」
にこにことなにかを考えだした麗に、思わず剋はがっくりと頭をうなだれた。
「・・・麗姫、お願いですから、執務だけはこなしてくださいね・・・」
その数時間後、再び麗の気まぐれパーティーに振り回された剋と蒐が、互いに苦笑したのは、仕方のないことだろう。