消せぬ、信念。
「どういう・・・ことですか?」
硬い声で、蒐は剋に尋ねる。
『糺国で、麗姫のために仕事をしないか』
剋はそう言った。
その意味がさっぱりわからない。
蒐は、糺国で糺国のために働く『守人』だ。
その蒐に、麗姫のために働かないかというのだ。
「おっしゃっている意味がわかりませんが?」
「椎国のために力を貸してくれなんて言わないさ。でも、麗姫の信念を貫くために力を貸してほしい」
「それをわたしに言うのですか?わたしがどういう存在か、あなたはわかっているでしょう?」
「だから、頼んでいるんだ」
即座に剋は言い返してくる。
その揺るぎない言葉に、蒐の心が、揺れる。
「朧の身体能力をもってすれば、麗姫の身を心配する必要もない。麗姫は朧を信頼してるから、そばに置いておいてもいいだろうし。なにより、糺国の人間にもわかってほしい」
麗姫の、信念を。
人の命を奪う事無く戦を終わらせようとしている、彼女の信念を。
「椎国が『蒼石』を差し出してくだされば、戦はすぐに終わります」
視線を合わせず、蒐は言い訳をする子供のように小さな声で言った。
剋はそれに軽く首を横に振った。
「それだったら、椎国の老臣たちが黙ってない。同じことの繰り返しだ。『朱石』と『蒼石』、このふたつの『宝石』を抜きにして戦を終わらせたい」
「そんなこと・・・」
「長い間の戦がこのふたつの『石』のせいだというのはわかってる。だけど、いつまでも過去のしがらみに縛られていてはだめだ」
剋の強い言葉に、蒐はなにも言い返せない。
けれど、ふつふつと漠然とした思いが、込み上げてくる。
「じゃぁ・・・俺たちは何のために戦ってたんだ・・・」
糺国のため、『朱石』のためにに戦うのだと、蒐達は言われ続けた。
それしか道がないのだと。
きっと、渫と蒐の両親は、貧しさゆえにふたりの姉弟を『守人』として差し出すことにより、国から相当の報酬金をもらったのだろう。
そして、渫も蒐も頼れるのは互いだけの中で、『守人』として苦しい訓練に耐えてきた。
任務として、何人も殺した。
犯した罪は、還らない。
なかったことにはできない。
なのに、『朱石』も『蒼石』も関係なく戦を終えようとするなんて。
それじゃぁ、この両手は何のために血に濡れたのか。
「戦を終わらせたい・・・それは同じ気持ちだけど・・・」
「気持ちの整理がつかないことはわかってる。だから、明日まで待つ。もしも麗姫の信念を叶えるために力を貸してくれるなら、明日の夜、ここでまた会おう」
「・・・もし、そちら側につく気がないとしたら?」
「城から出ていってもらう。そこから先は好きにすればいい」
あっさりと剋は言い切った。
それは剋の本気を表していたし、蒐の本気を試してもいた。
そのまま彼はそれ以上余計なことは言わずに、その暗闇の衣と共に闇に消えた。
残された蒐は、ただやりきれない思いだけを抱きながら、再び闇を照らす月を見上げた。
これは、剋にとって最後の賭けだった。
朧は、椎国から出て糺国に帰ろうとしている。
このまま朧を糺国に帰してしまったら、また彼は戦う。それではだめなのだ。
この負の連鎖を、彼と共に断ち切らなければいけない。
おそらく今、朧は迷っている。
彼には、糺国に家族がいるのだ。その家族を裏切るような形で、椎国に果たしてついてくれるかどうか。
だが、麗姫の信念をも知った彼なら、気付いてくれるかもしれない。
彼の姉を救うためにも、戦を終わらせる必要があるのだと。
月を見上げる朧は、儚げで今すぐに消えてしまいそうだった。
その彼が望むのは、糺国への帰国だろうか。それとも、家族への羨望だろうか。
「・・・これが、最後の望みなんだ・・・」
麗姫の信念は果たされようとしている。あと少しだ。
けれど、それを妨害しようとする者たちも増えている。猶予はない。
戦の終わりを、急ぐべきだった。
「朧・・・その存在が偽りでもいい、想いだけはわかってほしい・・・」
彼がいるであろう方向の暗闇に向かって、彼は小さくつぶやいた。
次の日は、麗も剋も朧に会うことはなかった。
もう、椎国を出てしまったのだろうか。
麗も朧を探しているようだったが、剋がそれをごまかしている間に、いつの間にか日が暮れ夜となっていた。
「結局、今日は一度も朧と会えなかったわ。剋は朧を見かけた?」
「・・・いえ。部屋にもいないようでしたから、散歩をしているのかもしれないですね」
「そうね・・・それならいいんだけど・・・」
「なにか?」
「記憶を取り戻して、家に帰ってしまったのかしら、と思って」
寂しそうに笑う麗に、思わず剋は感嘆の拍手を心の中で送る。
本当に、聡い姫君だ。
「大丈夫ですよ。たとえ記憶を戻したとしても、麗姫にあいさつはしてから帰ると思いますから」
剋は、麗を安心させるように、そう笑って言った。
そして、月が夜空の真上にあがるころ、剋は朧との約束の場へ足を進めていた。
そこに彼がいるかどうかは、正直自信がない。
彼がいなければ、彼は椎国の情報を持って糺国へ帰ったことになる。
そうしたら、彼とは敵対しなければいけない。
『朧』として、彼のことを信頼し始めていたからこそ、剋はそれを考えると苦しかった。だが、麗姫のためなら、彼はその覚悟もできていた。
月明かりだけが剋の足元を照らす。
やがて、川の流れが聞こえてくるようになり、次第に剋の中で緊張が高まる。
この森を抜けた先に、朧がいるのかどうか。
「・・・・・・朧・・・」
確かに、森は抜けたはずだ。
川の流れの音はすぐそこに聞こえる。
闇のせいではない。
月明かりが辺りを照らしているから。
けれど、そこに朧の姿はなかった。
「・・・だめ・・・だったか・・・」
彼に、麗姫の信念を理解してもらうのはだめだったのか。
やはり、彼は糺国の『守人』としての信念が捨てられなかったのか。
いくらそこで待っていても無駄だとわかっていながら、剋は絶望にも似た感情を抱きながら、そこに立ち尽くしていた。
だから、いきなり背後であがった声に心底驚いた。
「いつまで、そこで待ってるんですか?」
呆れたようなその口調に、剋は聞きおぼえがあった。
「朧?!」
だが、振り向いてもその姿は見えない。まるで森から、川から聞こえるかのように、朧の声だけが剋の耳に届く。
「質問が、あるんです、剋さん」
「・・・なんだ?」
「麗姫の、戦を終わらせたいというその信念。それは、糺国の人間も救うということも含めてだ、とおっしゃいましたね?」
「あぁ、間違いない」
「それなら・・・・・・わたしの姉も、仲間も、救われますか。あなたがたの仲間を殺した、我々が」
それは、朧の口から聞く、はっきりとした正体明かしの言葉。
剋はそれに驚いたが、すぐに力強く答えた。
「必ず救われる。負の連鎖は、終わりにしなくちゃいけないんだ」
「・・・我々は、あなたがたの宝である、『蒼石』を奪おうとしていたのですよ」
「それは、現国王の意思だろう。糺国民なら従うしかないじゃないか」
「ですが、我々の仲間は、前椎国王夫妻を殺害した」
「・・・・・・あぁ。それは変えようもない事実。だけど、麗姫はそれを乗り越えて、未来をつくろうとしている」
どこにいるかもわからない朧に向かって、剋は必死に語りかけた。
「麗姫がつらい現実を乗り越えて未来を築こうとしているのに、おまえはそのままそこで同じことを繰り返すのか、朧?!」
「・・・・・・蒐、です」
その言葉と共に、彼が姿を現した。気配と共に、月明かりに『孤独な奇術師』が照らされ、姿を現す。
「わたしの本当の名は、蒐です。・・・剋さん、わたしがあなたがたに加担することで、本当に、仲間が救われるのなら」
戦が、終わるのなら。
「・・・わたしは、あなたがたに手を貸しましょう」
それは、まだ迷いのある声。
だけど、その言葉は力強く剋のもとに届いた。
「ありがとう、蒐。必ず、おまえの仲間を救ってみせる」
望む、未来の形に。
そのための最初の一歩として。
糺国の暗殺部隊『守人』と、椎国の王女の護衛は、その夜、たしかに手をとりあった。
な、長かったですね・・・(汗)
今章は蒐だけの視点からの話にしようと思っていたのですが、我慢できずに剋視点の話も入れてしまいました。
と、いうことで、「椎国編」でした。いつのまにか第2部に突入でした(笑)
糺国側の渫たちの話は一切ノータッチです。
ひたすら蒐視点でお送りいたします。
麗姫は早く出したくて仕方のない存在で、剋はぎりぎりまで登場させるかどうか迷った存在でした。
でも麗ひとりではやっぱり色々大変だし、ぼけぼけだし、ってことで、剋の登場が決まりました。
ひたすら暴走する麗姫、紫月はかわいくて好きです(笑)お姫様だけど、結構庶民的な考えを持っている姫なんですよね。
というか、女王なんですよね、実は。
戸惑う蒐をひたすら引っ張ってくれる彼女の存在は色々と救いですね。
結構国民に愛されている姫だと思います。
剋は、ほんとに兄貴みたいな存在だと思います。
籥と剋の雰囲気が似ている、と蒐が言ってますが、蒐はふらふらとふざけた兄貴に対して、剋はどちらかといえば真面目タイプの兄貴ですね。ただ、持っているおおらかな雰囲気とかが、ふたりは似ているのだと思います。
その剋が蒐を「糺国の人間だろ」と問い詰めるシーンは楽しかったです。
秘密を暴くのは楽しいですね(笑)
さて、次章からは、果たして蒐が剋の申し出を受けて糺国でどのような任務をするのか、といったところからです。
次章で、やっと最初の話につながるお話が出てきます。
みなさん、ラストまであとちょっとです。
もう少しお付き合いいただけると幸いです。