消せぬ、優しさ。
「お祝いをしましょう!!」
麗の突拍子もない行動と言動にもなんとか慣れ始めた蒐だったが、さすがに唐突に彼女から告げられたこの一言には、やはりどう反応していいかわからなかった。
目をぱちくりとしたままの蒐に苦笑してから、剋が慣れた様子で麗に問い掛けた。
「何のお祝いかうかがっても?」
「決まってるじゃない!!朧の回復祝いよ!!」
まさか自分の祝いとは思いもしなかった蒐は、その意味を理解すると不覚にも顔が紅くなってしまった。
「い、祝っていただくようなものではないですよ!!」
「なぜ?ついこの間まではひとりでは動けないほどだったのに、こんなに元気になったのよ?お祝いするべきでしょう?」
「や、だって・・・・・・」
今までだっていくらでも怪我をしてきたし、その度になんとか回復してきた。
傷が癒えれば、蒐に待つのは祝いどころか、任務だった。それに対して、蒐は不満に思ったことも疑問に思ったことも、ない。
「朧、麗姫の好きなようにさせてやってくれ。祝い事が大好きなんだ、この姫は」
「失礼ね、剋。わたくしはちゃんと理由があって、お祝いをしているのよ」
諦めた様子で蒐を諭した剋の態度に、麗がむっとした顔で言い返した。そんな姫の言葉に、剋はおどけた笑みを浮かべて肩をすくめた。
「無論、お手伝いはさせていただきますよ」
「当たり前よ。剋だって朧の大事な友人ですもの」
再び機嫌を取り戻してにこにことその『お祝いの会』の計画を練り始めた麗を、蒐は食事をしながらぼんやりと眺めていた。
こんなくだらないことでお祝い、なんて、王族はみんなそんなものなんだろうか。
こんなくだらない理由で税金を使って、パーティーなんかして、それでお祝いだ、と喜び合うのだろうか。
それに使われる費用は、どうやって捻出されたか、その裏にある人々の苦労は理解されることなく。
「朧?どうしたの?」
「・・・いえ。突然のことに驚いてしまって」
「そんなにたいそうなことはできないけど、心をこめてわたくしと剋が用意するから、楽しみにしていて」
うきうきとうれしそうに語る麗に、蒐は笑みを返したものの、その心は晴れなかった。
別に、椎国の税金がどう使われようと、蒐の知ったことじゃない。
彼も別にそれに心を痛めているわけじゃない。
ただ、麗はそういうことをするような王族ではないと勝手に思い込んでいたのだ。
王族でありながら侍女や自分達と一緒に食事をしたがることや、国の平和を想う気持ち。
麗と共にいて、麗は民の痛みや苦労を蔑ろにする姫ではないと思っていただけ。
それは、蒐の勝手な思い込み。
それで傷つくのは身勝手というもの。
だから、蒐は麗を責めるつもりはない。
ただ、悲しかっただけ。
「朧!!」
めずらしく剋が蒐に話し掛ける。籥によく似た少年のような笑みで。
「今夜、楽しみにしてろよ!!」
これは好意だから。麗と剋の『朧』に対する好意だから。
「はい、楽しみにしています」
蒐は笑った。陽だまりのような明るい笑顔で。
部屋に戻っても、蒐にやることはない。
とりあえずなまった体を鍛えることはするものの、それだけでは時間はあまり過ぎていかない。
暇つぶしに、と奇術の練習を繰り返しているうちに、蒐の奇術の腕はみるみるとあがった。
まさかあのとき籥に連れ出してもらって見た奇術が、こんな風に役立つ日が来るとは蒐も思いもしなかった。
「・・・ん?」
ふと、蒐は顔を上げる。次に扉、窓と視線を泳がせる。
最近、視線を感じるときがある。わずかだが、気配も感じる。
この気配の消し方は、蒐と同じ『闇の存在』だ。
剋に以前、城内には糺国の刺客だけでなく、椎国内の刺客も存在することを教えられた。
どの者も狙っているのは麗姫の命。
椎国の『宝』である『蒼石』を守る最後の王族である彼女。彼女を殺すことは、『蒼石』の守護者がなくなるということ。
しかし、統治者を変える、ということもできる。
蒐の感じている気配は、いったいどちらの刺客のものだろうか。
「朧、準備ができたぞ」
すっかり陽が落ちて暗くなった頃、剋が蒐の部屋に呼びに来た。それまでおとなしく時間をつぶしていた蒐は、首を傾げて自分の身なりを指差した。
「わたしはこの格好でいいのですか?」
「格好なんてなんだっていいんだよ。大きなパーティーでもないし」
「それもそうですね」
蒐の中にある、城でのパーティーというと、糺国で参加した『朱石』を披露するあのパーティーのイメージが強かった。だから、格好も立派な服でないといけないかと思ったのだ。
結局、王に謁見することも『朱石』を見ることもできなかったが。
いつものように食堂に行くと、麗がにこにこと蒐を迎えた。
「こ、これは・・・・・・」
絶句する蒐に麗がにこやかに告げた。
「びっくりした?」
食堂中を飾る、紙でできた色とりどりの飾り。テーブルには花も添えられ、いつもよりも生気が溢れている。
そしてなにより、蒐の目をひいたのが、巨大な垂れ幕。
そこには、「祝☆朧の全快」と恥ずかしいほどでかでかと書いてある。
『朧』が自分の名ではないとはいえ、それは自分を指すのだと思うと、蒐はやはり照れ臭かった。
「さぁ、早く席について。食事を食べてみて」
麗がうきうきと勧めるままに、蒐はとりあえずその豪華に盛り付けられた料理を口に入れる。
どの料理も蒐が見たことがないほど豪華だった。この城で食事もしているが、それでもいつも以上にすごい。
なんというか、盛り付け方もすごい。
てんこもり、といった感じだ。
いつもの料理人の盛り付け方じゃない。
「どう?おいしい?」
先程までのにこやかな笑みはどこへやら、何も言わない蒐に、心配そうに麗は尋ねてきた。そのはらはらとした様子に、まさかとは思ったが思わず蒐は尋ねていた。
「とてもおいしいです。こんなに豪華な料理なのに、どこか懐かしさもあって・・・。これを作られたのは・・・まさか・・・」
「そうよ、わたくしと剋でこれらの料理は作ったの。朧の口にあったらうれしいわ!!」
嬉々と話す麗に、蒐は驚きを隠せない。
その後ろで、剋が明るく言った。
「この部屋の飾りも麗姫がやったんだ。今夜は朧のための祝会だからな」
言葉に、ならない。
麗にがっかりしたなんて、勝手に想像して、勝手に失望して。
彼女は彼女の力だけで、こんなに素晴らしい会場を用意してくれた。
蒐のためだけに。
うれしいのと恥ずかしいのと、そして言い知れない罪悪感の思いから、蒐は咄嗟に言葉が出なかった。
「ありがとう・・・・・・ございます・・・」
言葉につまりながらも、やっとそれだけ言う。
こんな思い、知らない。
こんな暖かい空間を知らない。
――――――――――いや、そんなことはない。
緑もまた、いつだって暖かな優しい空間を用意してくれていた。
それを裏切ったのは、他でもない、蒐自身であるが。
また、裏切るのだろうか。
緑のときのように、麗と剋を裏切るときが。
蒐のためだけに用意されたその素晴らしい空間を、蒐は素直に喜べずにいた。
けれど、その暖かな空間の居心地のよさと、この場を用意してくれた麗と剋にただただ感謝を伝えたくて、蒐はその夜、盛大な奇術を色々と披露した。
麗姫の偽りのない、まっすぐな優しさが、蒐を苦しめていることを微塵も出すこともなく。
蒐は、麗の優しさにおぼれそうになっている自分を徐々に自覚し始めていた。