消せぬ、習性。
椎国の統治者である麗姫に拾われ、傷も癒えてくると、蒐は自分の中にある習性と葛藤することになった。
特に、深夜。
静かな暗闇にひとりで部屋にいると、蒐は外へ駆け出したくなった。
毎晩毎晩籥と一緒に戦った日々。
蒐の体内時計はすでに深夜が活動時間となっていて、長年の習性もあって短い睡眠時間で彼にとっては充分だった。
その夜も、広い部屋にただひとり、蒐は窓辺に佇んでいた。
月を眺めて思うは故国にいる渫と籥。
無事で居るだろうか。
心配していないだろうか。
笑っているだろうか。
ここで今、こうして蒐が生きているのだということを、ふたりに伝えたかった。
「・・・姉さん・・・籥・・・」
月を見上げ続けるのが辛くなり、ふと、視線を下にやる。
すると、城の庭に人影が見えた。侵入者だろうか。
「暇つぶしにちょうどいいかな」
仮にも椎国の敵国である糺国からの侵入者であれば、『守人』の可能性が高い。
そしたら、今すぐにこの国を抜け出すことはできなくても、長や渫たちに蒐の無事を伝えることはできる。
たとえ『守人』ではなく、椎国内の麗姫を狙う輩だとしても、つかまえることができれば、『朧』としての麗姫や護衛の剋の信頼性を高くすることができるかもしれない。
「俺ってもしかして諜報員向きだったのかな」
くすりと自分の考えに笑って、蒐はそのままバルコニーから庭へ飛び降りた。
蒐のいる部屋は城の3階に位置する。
蒐はその3階もの高さのあるバルコニーから、ふわりと地に降り立った。まるで重力などないかのように、羽が生えているかのように、小さな足音ひとつたてずに降り立つと、彼はすぐに身を隠した。
庭にいる影は、蒐の存在に気付くことなく、夜空に浮かんだ月を見上げた。
月明かりを受けた顔を見て、思わず蒐は声をあげた。
「れ、麗姫さま?!」
「え?!あら、朧?」
「こんな夜更けにこんなところで何をされているのです?」
「朧こそどうやってここまで来たの?城の鍵はみんな閉まっているのに」
蒐の質問には答えずに、麗は逆に彼に問い掛ける。仕方なく、彼は頭上のバルコニーを指差した。
「あそこから、参りました」
「あそこって・・・あの高さから?!飛び降りたの?!」
「あのくらいの高さならお手の物ですよ」
麗は心底驚いた様子で、何度もバルコニーと蒐を交互に見比べていた。そんな様子に蒐はくすりと笑って、優しく彼女に再度問い掛けた。
「眠れませんか?」
「そう・・・ね。こんな夜は、不安で。月に祈るしかできない自分が情けなくなるの」
力なく、淋しそうに笑う麗の心情を、蒐はわからないでもなかった。
続く戦。
失われる命。
この心優しき姫君は、きっと一国の主として多く傷ついているに違いなかった。
それでも、蒐は麗に肩入れはできない。
麗から、椎国から『蒼石』を奪うのは、蒐の積年の願い。
糺国にいる渫と籥のためにも、それが蒐のすべき最善の策。
なのに、なぜ、心が痛む気がするのだろう。
「朧も、眠れなかったの?」
麗の優しい声色に、はっと彼は我に戻る。
「わたしも・・・夜は落ち着かなくて・・・月が故郷を思い起こさせるんです・・・」
「なにか、思い出せたのかしら?」
麗の問い掛けには、蒐は力なく首を横に振る。彼女もそれ以上なにかを尋ねては来なかった。
静かな穏やかな沈黙。
先にそれを壊したのは蒐だった。
「麗姫さまはご存じですか?流れる星に願いを祈れば叶うと言われているようですよ」
「星に願いを?」
「ええ」
緑に教えてもらったこと。
あのときも今も、願いは同じ。
でも、蒐は変わってしまった。
その手は紅く罪深い。叶うはずの願いさえ、遠くなるのではないかと思うほど。
「流れ星が本当に叶えてくれればいいのにね」
「麗姫さまの願いは、なんですか?」
静かな問いに、静かな答えが返ってくる。
「平和な日常が訪れることよ。戦のない日々。その日を迎えるために、わたくしはここにいるのだと思うの」
強い意志を宿した瞳で、しかし静かな口調で彼女は言う。
「朧の願いは?」
問われ、思わず蒐は本音が出る。
「麗姫さまと同じです。平和な日々・・・殺しあわなくていい世界がほしいです」
「必ず、迎えましょう、その日を」
敵国の君主である姫は、微笑む。
彼女にとって迎える平和は、蒐の故国である糺国の持つ『朱石』を奪うことにより訪れる。
しかし、それでは蒐の望む平和は来ない。
『朱石』が奪われることがあれば、奪い返すまで『守人』は追い続ける。
『蒼石』を奪うまでは、『守人』はなくならない。
麗と蒐の願いは同じでも、そのための過程が違う。
ふたりの願いが、同時に叶うときは、ない。
月を見上げてそんなことを考えていると、麗もなにか物思いに沈んだ様子で月を見上げている。
そんな、思い詰めた表情をする麗を見ていたくなかった。
笑ってほしい。
たとえ、束の間のことだとしても。
「麗姫さま、こちらを見ててくださいね」
明るく、蒐が麗に呼び掛ける。不思議そうに蒐を見つめる彼女に、片手をひらひらと振ったあと、ぱっと手のひらを返して一輪の花を出した。
月と同じ、黄色の花。
「すごいわ、朧!!どうやったの?!」
すぐに華やかな表情を浮かべた麗に気をよくして、蒐は他にも様々なものを出す。小鳥が飛び出し、麗の肩にとまると、彼女はくすぐったそうに笑った。
「すごいすごい!!朧の奇術は本当にすごいわ!!」
麗が興奮して誉める間にも、蒐はにこにこしながら両手からあふれるほどの羽を出す。さらにふわふわと彼の両手に羽が集まるのを見て、麗が不思議そうに首を傾げる。
「朧?」
「麗姫さま、この世はすべてあいまいな世界。どこまでが現実でどこまでがまやかしかわからなくなる」
ふわぁっと蒐は両手から溢れた羽を空高く持ち上げる。
それらは不規則な動きをしながらふわふわと麗の前に落ちていく。
視界を真っ白な羽だけが埋め尽くしていく。
そして、羽にさらわれるかのように、蒐が先程取り出した花や小物、鳥までも煙のように消えてしまう。
「朧・・・」
「現実とまやかしは紙一重。叶えられるかは、その望みの強さ。願いましょう、強く。月に、星に。わたしたちの願いを」
蒐の言葉が終わると同時に、羽はすべてを消し去る。その羽さえ、地に着くことなく消える。
麗は、蒐のその言葉にそっと笑った。
「そうね。きっとわたくしたちの願いは、叶う日が来るわ」
麗の願いが叶うときは、蒐の願いが叶わないとき。
蒐の願いが叶うときは、麗の願いが叶わないとき。
それがわかっていながら、蒐は麗に優しく微笑み返した。