抗えぬ、過去。
「――――――この子達の、名は?」
「姉が渫。弟が蒐だ」
あたしと弟は、父に連れられて、人里離れた森の奥にいた。あたしの手を引く父の手は震えていて、でも、もう片方の弟と繋がった手は暖かくて、あたしは不安などなかった。
森の奥の奥。そこにあった洞穴のようなところに、女が立っていた。
不思議な雰囲気を醸し出していた全身黒装束の女は、父にあたしたちの名を尋ねた。
父は、あたしと弟の名を告げると、さっさと黒装束の女にあたしたちを押し付けた。
「・・・・・・本当に、よろしいのだな」
黒装束の女の言葉に、父は悲しそうにうなずいた。そして名残惜しそうに、あたしと弟の頭をなでると、逃げるようにそこから立ち去った。
あたしも弟も、父を追おうともしなかった。
「感心なこと、泣かないのかえ」
呆れたように、感心したように、女がそう言った。
「おばさん、誰?」
「お、おば・・・・・・。失礼な、妾はまだ若い。おばさんなどと言われる覚えはない」
「・・・・・・お姉さん」
「よろしい」
子供にとっては、「おばさん」と「お姉さん」の違いがよくわからない。その違いの重さがよくわかっていない。
自分より年上で、母と同じくらいの歳に見えたから、「おばさん」と呼んでみたのだが、いけなかったらしい。
「渫は漆黒の宝石だの。蒐は藍色の闇夜か」
あたしは、女が何の話をしているのかわからなかった。
だが、手を繋いだ弟を見つめてすぐにわかった。
瞳の色だ。
あたしの瞳は髪と同じく漆黒。
弟の瞳は、髪よりも青みがある藍色。そう、新月の闇夜の色。
「・・・・・・捨てられたの?」
弟が、蒐が女に尋ねる。女は、なんとも言えぬ微笑を浮かべた。
「いや、試されているのだよ、蒐。そなたたちが、務めを果たせるかを」
「つとめ・・・・・・?」
愛らしい瞳をくりくりと動かしながら、蒐は不思議そうに首をかしげる。
「もう、父ちゃんにも母ちゃんにも、会えない?」
「――――――まぁ、そう思っていいね」
「・・・・・・そう」
あたしは、蒐がそのまま泣いてしまうのではないかと思った。
両親が大好きだった弟。
甘えん坊な蒐。
だから、両親と二度と会えないと知って、彼は泣いてしまうのではないかと思った。
「蒐、あたしはずっと蒐のそばにいるよ?」
繋いだ手に力を込めて、蒐を元気付けるように明るく言った。彼はきょとんとした顔であたしを見つめ、にっこり笑った。
「うん、姉ちゃんが一緒なら、いい」
柔らかな笑顔。太陽のような笑み。
あたしは蒐の笑顔が大好きだった。蒐の笑顔を見ていると、あたしも自然に笑顔になる。
「ほぉ、愛らしい笑顔だの」
女も蒐の笑顔を見て、表情を綻ばせる。彼はそのままその女にも笑いかけた。
「お姉さん、が、これから、家族?」
「いやいや、おまえたちにはもっとたくさんの仲間がおる」
女は手招きしてその洞穴に招きいれた。
あたしたちもそこへ向かう。
「なかまってなに?」
あたしは、先ほど女がそう言っているのを聞いて、疑問に思ったことを尋ねた。女は振り返らずに、声だけで答える。
「同じ目的を持つ者たちのことよ」
「・・・・・・もくてき?」
わけがわからず問い返すも、女はちらりとあたしに振り向いて視線をよこしただけだった。
「渫は賢そうな子だ。諜報班でもよいかもな」
「ちょうほう・・・・・・?」
「いやいや、気にするでない」
こんなに深かったのかと思うほど洞穴の中を歩く。その間、道は四方八方に広がっていて、女が迷うことなく道を選んでいくのが不思議だった。
「蒐だったら、きっと絶対迷っちゃうね」
くすっと笑って、あたしは蒐に話しかける。彼は馬鹿にされたことに気付いたか、ぷぅっと頬を膨らませた。
「姉ちゃんと一緒なら、迷わないもん」
「当たり前よ」
あたしはもう覚えた。この洞窟の仕組みも、経路も。
なぜか、あたしはこういう記憶力が異常によかった。一度見たもの、聞いたものは忘れなかった。
「ほぉ、渫はもう、覚えたか」
感心したように、前方から女の声が飛んできた。
「うん。もうひとりで歩けるよ」
「なるほど。渫の記憶力は本当にずば抜けておるようだ」
まるであたしの記憶力のことを知っているかのように女は言う。
「だから、いつでもあたしは逃げれるよ」
ちょっと意地悪く言ってみる。だが、女の声色はなにも変わらなかった。
「逃げれぬよ」
「そんなことないもん」
「逃げれぬ。たとえここを無事に抜け出しても、森から抜け出すことはできぬ」
「ここまでの道のりなら・・・・・・」
「いやいや、おまえたちが通ってきた道は、すでにもう塞がれておる」
女の言っていることがわからず、あたしは眉を寄せて首をかしげるしかない。
どのみち、逃げる気もなかったから、それ以上は追求しなかった。
やがて、前方からなにやら物音や話し声が聞こえてきた。
「いっぱい、いる。20・・・・・・30人くらい?」
蒐が、あたしと女と、ふたりに尋ねるように交互に顔を動かしながら尋ねた。女は振り返らずにうなずく。
「28人。・・・蒐の耳もまた、よいようだ」
蒐の五感は人並みはずれている。
女はそれにも驚かずに満足そうにうなずいている。
不思議に思いながらも女についていくと、やがて大きな広間のような場所にたどり着いた。
そこには、あたしたちと同じほどの年頃の子供や、少し年が上かと思われる子供たちがいた。
楽しそうにしている子供もいれば、虚ろな瞳で座り込んでいる子供もいた。
「これが、おまえたちの仲間だ」
女が、あたしたちに言う。
「ようこそ、守人の里へ」
とりあえず、初回は3話まで更新します。
とある未来のふたりの心境から一転して、過去編へ。
これからふたりがどうなるか見守ってください。
紫月飛闇(http://sizukistory.web.fc2.com/)