叶わぬ、優勢。
渫は、胸騒ぎがしていた。
すぐ戻る、と言った蒐はいまだ戻らず、気付けば会場内に籥もいない。
それどころか、この会場内にいたはずの『守人』の何人かもいなくなっている。
それに気付いた渫は、思わず仲間のひとりに近寄って話しかけた。
「何人かいないみたいだけど、どうしたの?」
「・・・・・・蒐と籥を探してるんだ。やつら、椎国のスパイを追ったかもしれない」
「え?!」
蒐と籥が?!
この会場内に椎国の者がいるであろうことは、なんとなくわかっていた。だが、それをあのふたりが単独で追いかけるようなことをするとは思いもしなかったのだ。
途端、ふたりの安否が気になって、渫は落ち着かなくなる。
「あたしはどうしたらいい?」
「まだここにいろ。不審に思われたら元も子もない。・・・追って連絡するから」
厳しい表情のままの仲間はそれだけ言うと彼女から遠ざかる。
彼の言うこともわかる。
渫は戦闘員ではない。
だからたとえ、蒐と籥の居場所がわかっても、渫には行動をおこせないのだ。
「・・・・・・だったら」
目には目を。
渫だって、先ほど果酒を勧めてきた男が怪しいことくらい、わかっていた。その酒に、毒があることも瞬時にわかった。
蒐は、渫が気づいたことに気付いていない様子だったが。
蒐が毒を飲み慣れているように、渫も毒の検分は慣れている。臭い、色、それだけでどんな毒かはだいたいわかる。そのための研究だ。
そして、彼女は今、煌びやかな衣装の下にいくつもの薬品を忍ばせている。
そのなかの睡眠薬と少量の毒薬を、渫は用意する。
渫だって『守人』である。
この会場内の不穏な気配に気付いていないわけじゃない。怪しい人物は何人かいる。
渫は自然に彼らに近づき、満面の笑みを浮かべながら、「令嬢」として「挨拶」に行った。
「・・・・・・っと!!あぶねぇ!!」
籥のすぐ脇を鋭利な小刀が飛んでいく。
彼はすでにここまでの戦いで相当疲労し、動きもだいぶ鈍ってきた。加えて、慣れない礼服のせいで余計に動きが悪い。
ただし、すでにその服もぼろぼろになり、礼服とはいえない有様だったが。
「籥?!大丈夫?!」
遠くで蒐がそうたずねてくる。
籥と蒐は今、全速力で逃げていた。とりあえず、いくらこのふたりでも、この集団をすべて処理できない。
そこで、森の中を滅茶苦茶に走り回っているのだが、それもふたりともばらばらに走っているので、互いの気配と声が頼りになっていた。
「大丈夫だ!!おまえは平気か?!」
「なんとか生きてるよ」
苦笑する蒐が見えそうなその言い方に、籥も思わず苦笑する。その一瞬の隙に、再び彼の脇を飛び道具が飛んできた。
「おっと。ったく、これじゃぁ、埒明かねぇなぁ・・・・・・」
それでも、今はなんとか逃げ切らないとまずいのだが。
蒐は蒐で、すばやく逃げながら、追っ手を少しずつ減らしていた。確実に相手の喉笛を切り裂き、一瞬で絶命に追い込む。
そして仲間がそれを迎えにくれば、すばやく逃げて再び夜陰に姿を消してしまう。
だが、そのやり方にもそろそろ限界が近いことには、彼自身、気が付いていた。
そろそろ、最終手段をつかおうかな。
蒐は懐に忍ばせておいたものを取り出し、火をつけて空に放った。
たまたま窓の外を眺めていた渫は、それに気付いて顔色を変えた。
城から少し離れた森からあがった、ひとつの花火。
あれは、以前渫が蒐に、どうしても仲間の応援が必要なときに使うように渡した、緊急時用ののろし代わりだった。
それを今、蒐が放った。
つまり、仲間の応援を求めているのだ。
「・・・蒐・・・!!」
すでに広間の何人かは夢の中だ。渫がここで果たすべき任務は果たした。
ならば、「守人」として、蒐と籥のピンチを救いにいかなければならない。
「あたしに、どこまでできるかわからないけど・・・・・・!!」
けれど、渫も「守人」。殺すことはできなくても、彼らの足手まといにはならない自信はあった。
彼女は、憧れだった煌びやかな衣装を脱ぎ捨て、花火のあがった方向に向かって、走った。
「蒐?!なんだあれは?!」
いつのまにか今度は籥が蒐のそばに駆け寄って、ふたりは共に同方向に逃げていた。
「のろしの代わり。姉さんが、仲間の応援が必要なときは使えって前にくれたんだ」
「さすが渫!!いいもん作ってるな」
くくっとこの非常事態でも籥は喉で笑ってそんなことを言っている。
「・・・でも、応援来るまで俺たち無事でいられるかな」
吐息とともに蒐は思わずつぶやくが、風のように逃げる籥にそれは聞こえなかったらしい。やがて、目の前の木々が突然途切れているのが目に入ってきた。
森の終わりだ。
「げ?!」
森を抜けると、そこにあったのは、崖だった。
あわてて軌道修正する籥だったが、すでに遅い。
背後を崖に奪われ、蒐と籥は敵陣に囲まれる。
「・・・さて、どうするかな」
軽口ばかり叩いているが、蒐も籥もすでに満身創痍。ここまで逃げるだけでも体力を使い、あちこちの傷口から出て行く血も、止まることはない。
だからといって、この命をさっさと敵にくれてやろうとも思っていないが。
「やれるだけ、やるか」
蒐がすっと構える。まるで別人のような顔つきになり、獲物を狩るかのような目つきに変わる。
籥も、へらへらとした笑みを消し、武器を構える。
まるで彼らが本気になるのを待っていたかのように、敵は一斉に束になって彼らに襲い掛かってきた。