望めぬ、任務。
緑が、くれた時間。暖かさ。愛情。
大切だった。この2年間。
こんなに穏やかで、暖かい日々はもう二度とないだろうと思ってる。それでいいとすら、思っている。
だから、緑がくれたすべてのものを捨てて、緑の命を、奪う。
「・・・・・・姉さんは、先に森に帰るといいよ」
学位をとった日。
それは、同時に『保護者』を亡き者へとする日。自分たちの手で。
昨夜それを知った渫は、心ここにあらずといった様子で、蒐のとなりにいた。彼は、そんな心優しい渫が、これ以上心を痛めることがないよう、そう提案した。
「・・・蒐は?」
「長の命令に従うだけだよ」
その命令がなにか、彼はあえて言わずに、渫が好きだという、笑顔を向ける。今日のような、快晴の空に輝く太陽のような明るい笑み。
けれど、今日の彼女は蒐のその笑顔を見ても、顔を歪めるだけだった。
「どうして・・・・・・。そんなこと、する必要・・・」
「姉さん、忘れてはいけないよ」
それまでの暖かい雰囲気を捨て、すぅっと蒐は冷涼な空気を身に纏う。まるで、彼が彼でなくなったかのような、感情のない瞳で、渫を見据える。
「姉さん、俺たちは『守人』だ。長の命令は絶対だし、その存在は隠されていなければいけない」
蒐のその雰囲気に、渫は呑まれてとっさに言葉が出てこない。
こんな蒐は、彼女は知らない。
蒐の奥の奥にある、『守人』としての、蒐。
「姉さんには辛いと思う。だから、先に森に帰ればいいよ」
もう一度だけ、蒐は渫にそう言った。
だが、渫はそれでも首を縦には振らなかった。震える手で蒐にしがみつき、すがりつくようにして彼の胸に渫は顔を押し付けた。
「お願い!!お願いだから、緑さんを殺さないで・・・・・・!!」
固く固く握り締められる手。それは、緑の命を繋ぐ、最後の絆のような気がして。
蒐は、捨てたはずの感情がうずいて、胸が痛くなった。
目を閉じ、ひとつ呼吸をしてから、そっと渫の手を握った。
「姉さんの願いは、なんでも叶えてあげたいのは山々だけど、これは、できない」
「なんで・・・・・・!!」
とうとう、渫の瞳からは溢れてこぼれるものが流れ続ける。拭うことなく、彼女は蒐を責めるように見るだけ。
「俺たちは、『守人』だからだよ」
渫の耳元でそう言って、蒐は彼女に背を向けて歩いた。緑の待つ、家へ。
ちらりと振り向けば、渫がその場で崩れて座り込み、ただ涙を流していた。
悲しくないわけじゃない。
辛くないわけじゃない。
罪悪感が、喪失感が、虚無感が、襲い掛からないわけじゃない。
でも、だからこそ、彼はその任務を遂行しなければいけなかった。
すべての感情を捨てるための、任務。
愛情も、温もりも、すべてを捨て去るための任務。
これから、もっと任務で人の命を奪うことになる。
戦のため、糺国のために。なにより、守るべき『朱石』のために。
「おかえりなさい、蒐」
微笑が、彼を迎える。
「あら、渫は?一緒じゃなかったの?」
「うん、友達と祝賀会だって言って、でかけちゃった」
「まぁ、それじゃぁ・・・・・・!!」
「俺も姉さんも、学位を獲ったよ!!!」
いつものように、甘えるようににっこりと笑いかける。緑は本当にうれしそうに喜んだ。まるで自分のことのように。
今夜は祝いだ、と騒ぎ始めたが、祝いの会は渫がいるときに一緒にやろう、と提案する。そんな日は、訪れないからあえて。
だから、その夜はいつものようにゆっくりと夕飯を食べた。
いつもと違うのは、渫がいないことくらい。
蒐は、笑った。いつものように。
緑は、怪しみもしなかった。
うれしそうに、蒐と、渫を、褒めた。
深夜。
安息を約束されているかのような、静かな夜。
蒐は、そっと気配を消して緑の部屋に入り込んだ。
片手には、銃がある。
なにで緑の命を奪うか、たくさん考えた。
蒐が得意なのは、剣術だった。けれど、万一急所をはずしてしまえば、緑は苦しむことになる。
緑を苦しめたくはなかった。夢の中にいる、眠った状態で、永遠に眠らせてあげたかった。
けれど、いつでも自分の腕に自信があった蒐だが、今回ばかりはそうではなかった。
自分でもわからないどこかの感情で、それを強く抵抗している気がした。
だから、銃を選んだ。
ただ引き金を引けば、相手の命を奪える、これで。
緑の顔が見えないが、それでも彼女の眠るすぐそばまで、蒐は歩み寄った。頭まで布団をかぶっているのか、彼女の寝顔は見えない。
見えないほうがいいのかもしれなかった。
そっと銃を構える。
あとは引き金をひくだけ。
その時間が、永遠にさえ感じるほど、長かった。
なにかを考えているわけでも、悲しいわけでも惜しいわけでもなかった。
涙も出ていなかった。
ただ、「無」が蒐の中を支配しているのを、感じていた。
なにを、考えているのだろう。
蒐はふと、自分のことなのに、そう思った。
何も考えていない、何も感じていない自分の心が、たしかに『守人』のそれとなってしまったのを、感じた。
小さくため息をつき、そして――――――――――――――・・・・・・。
引き金を、ひいた。
「・・・・・・っ!!なんだ、これ!!」
あるはずのない光景に、蒐は思わず小さく息を呑んだ。
引き金を、人の身体に向けて引いた。
そうすれば、どうなるかくらい、子供でもわかる。
血が、飛び散るはずだった。
真っ白なシーツを、真っ赤な血が汚すのだと思った。
なのに。
「・・・・・・羽?」
ふわふわと飛び散った羽に、蒐は一瞬思考を奪われた。
だがすぐに取り戻し、ばっと布団をはいだ。
そこには、緑ではなく、真っ白な布の塊があった。銃弾を受けた一箇所の穴から、羽根がふわふわと飛び出している。
「なんで・・・・・・こんなこと・・・!!」
「緑さんなら、いないよ」
突然背後に感じた気配に、蒐ははっと振り向いた。
「おまえがオレの気配に気付かないなんて珍しいじゃないか。それほど、緑さんを殺すことは動揺したか?」
「・・・籥、なんでここに・・・・・・」
「緑さんはもうここには戻らない。渫が事情を話して、町から逃がした」
「なんで・・・!!」
思わず感情的になって、蒐は籥の胸倉をつかんだ。蒐よりも体格のいい籥は、彼にそんなことをされても、平然とした様子で、静かに告げた。
「渫が、オレに頼んできたんだ。緑さんを助けてほしいって」
「でも、これは長の命令だ。『守人』の任務だ!!」
「・・・・・・わかってるさ。だけど、渫はこの任務を望んでいなかった。・・・俺も、そうだ」
そして、おまえもだろう、蒐。
籥の視線が、そう語っている。思わず、蒐は籥から視線をはずした。
「それでも、任務だから、やろうとしたのに・・・・・・!!」
「あぁそうだ。これは任務だ。・・・・・・だけど、オレは、『守人』であることより、『人』であることを望んでしまったんだ」
籥の胸倉をつかんだままの蒐の手を、彼はそっとはずした。力なく掴まれていた蒐の手は、あっさりとほどかれた。
「ずっと、オレは『保護者』を殺したことを悔やんでいた。任務だから、『守人』だから、戦時中なのだから、そんなこと悔やんでも仕方なくても・・・・・・『保護者』と過ごした時間はかけがいのないものだったから、悔やんだ」
籥の言うことは、よくわかった。
でも、その『悔やむ』感情を捨てることこそが、この任務の目的ではないのか。
すべての感情を、無に帰す。
それが、『守人』に求められること。
「・・・・・・あぁ、そうか・・・」
ふと、声が漏れた。
あぁ、そうか。だから、籥はさっき、言ったのだ。
『守人』であることより、『人』でありたかったと。
感情を無に帰すのではなく、感情を残し、持ち続けていたいと。
「・・・籥、これは余計なお世話だ」
顔をあげた蒐は、笑っていた。
その柔らかな、美しいともいえる笑みに、思わず籥はぞっとする。
こんな状況ですら、笑うのか。
「でも、ありがとう、姉さんの心を救ってくれて」
そう言って、蒐は笑った。あの、太陽の笑顔で。けれど、その気配は、月のように、冷たいままで。
そして、渫と蒐は、「守人の里」である森に、帰ってきた。
これで「望めぬ」章はおしまいです。次回以降は次章になります。
おかしい・・・もう少し短かったはず・・・。
でも、どうしても緑と渫&蒐をたくさんからませたくて、ちょっと番外編っぽいものまで書きました。
3人といえば、籥と姉弟でも、結構色々話題はありそうですけどね。
緑とは2年間の生活をしていたはずですが、あっという間の時間軸ですね(笑)
でもその2年間であった様々な番外が、ふと浮かんでは書きたくなったりしています。緑のイメージはまさに「お母さん」であり「お姉さん」ですね。ふたりを包み込むような、暖かい存在感というのが、彼女の役割です。
だから、後半の話はちょっと長めになってしまいました。
渫も蒐も、緑と別れるのは、ましてや「あんな」別れ方はやはり抵抗があると思いますからね。
さて、次章からはいよいよ『守人』としてふたりが動きます。
今章でも『守人』について軽く触れてますが、もっと核心に触れる・・・かもですね。とりあえず、『朱石』については触れますね。
この話の舞台は、どこかの国や時代をベースにしていないので、武器も古かったり新しかったりです(笑)
あるシリーズのように、外来語を一切使わない、という制約も自分にはしていないので、わりと自由に書けていると思います。
次章は今回よりももっと話が動いていきます。やっと話の中心に近づこうかなって感じです。
どうぞ、飽きずにふたりの活躍をご覧ください。
感想もお待ちしています。