望めぬ、選択。
学舎で、蒐は彼の奇術を見ていた者たちに言われたことがある。
「これだけ奇術が上手で、その上学位までとったら、将来なにになるの?」と。
奇術だけ上手だったら、奇術師があらゆる町を巡業していく芸団に入ることもいいだろう。
学位だけとることができたら、国のために働く国吏になったり、町や村のための役人になってもいいだろう。
蒐の人懐こくて自由奔放な性格を見ていると、誰もが彼は奇術師に向いているように思えるようだった。
その一方で、学位をとるために必死に勉強している姿も、彼らは見ている。
だから、おそらく思わず尋ねてみたのだろう。
将来、なにになるつもりなのか、と。
そんなもの、聞かれた当人たちが聞きたかった。
渫は隣でその会話を聞きながらそう思う。
将来なにになる、など、渫と蒐には決まっている。なにをするのか、どんな存在なのか、具体的なものはなにひとつわからない、「守人」に渫と蒐はなるのだ。
けれど、それを蒐は伝えることはできない。
どう答えるのかと渫が横目で蒐を見ていると、彼は相変わらず陽だまりのような笑みを浮かべて、笑っただけだった。
「奇術で生活していこうとは思わないよ。これはただの趣味だしね」
ただ、それだけ。
奇術師になるであろう未来を否定しただけ。そうすれば、周りは役人になるのだろうと勝手に想像してくれる。
実にうまい回避の仕方だった。加えて、あの笑顔でさらりと言われれば、怪しむこともない。
人畜無害なあの明るい笑顔には、そんな効果もあるのか、と渫はのんきに隣で観察すらしていたのだった。
緑の待つ家に帰宅すると、すでにそこには来客者がいた。
「え、籥?!」
「お~久しぶりだな~渫、蒐!!」
緑がお茶を出しているその相手は、渫と蒐にとって兄のような存在である、籥だった。
ふたりが町で暮らすようになってから、籥は一度もここを訪ねたことがない。というよりは、彼がここを知っていることのほうが不思議だった。
その疑問が頭をかすめて、はっと渫は思い至る。
ふたりがここにいることを知っているのは長だけ。
なのに籥がここにいるということは、籥の気まぐれでここに来たわけではなく、長の命令でここに来た・・・・・・?
「姉さん、どうしたの、怖い顔して?」
となりで蒐がにっこりと笑いかけて尋ねてくる。渫は今の推理を伝えようと目で訴えるが、それよりも先に、蒐に小さな声で忠告された。
「籥がなにか事情があって来たことは想像できる。でも、緑さんに知られるわけにはいかないでしょ?」
そう言って、蒐は再び笑う。
あの笑顔と同じ。将来のことをたずねられて、答えたあの笑顔と。
そして蒐は緑に申し訳なさそうに言った。
「緑さん、お茶を俺の部屋に持っていっていいかな?色々籥と話したいこともあるし」
「いいわよ。私はもう、籥さんから色々聞かせてもらったし」
いたずらっぽく笑う緑に、渫のほうがあわてる。
「籥?!何の話をしたの?!」
「おまえたちが小さいときの話だよ。色々とかわいかったな~って」
「~~~~~っ!!籥!!」
顔を紅くして抗議する渫に、籥が豪快に笑う。蒐のやわらかい笑みとは違う、からっとした籥の笑い方に、里での懐かしい日々を渫はふと思い出す。
「話のキリがよくなったらまた戻ってきてね。今日はみんなでお夕飯を食べましょう?」
微笑む緑の申し出に、籥が痛そうな表情を一瞬したのを、渫も蒐も見逃さなかった。
そのまま3人は蒐の部屋に集まった。
最初に口を開いたのは、やはり籥だった。
「それにしても、しばらく見ないうちに、蒐はでかくなったな~。すっかり好青年って感じだな。渫もさぞやどこぞやのお嬢様のようになられて」
「茶化すのやめてよね、籥」
「だって久しぶりに会ったんだぜ?おまえら全然森にも帰ってこないし」
「だって、俺たち2年で学位をとらなくちゃいけなかったし。5年もかけてた籥のようにはなりたくないしね」
「くそぉぅ。蒐のくせに一丁前なこと言いやがって」
口を尖らせた籥に、渫と蒐は笑みをもらす。
こんな雰囲気、久しぶりだった。気兼ねなく、思うようにぽんぽん言葉が出ては笑い合う。まるで、森に、「守人の里」に戻ったみたいに。
「・・・・・・で?学位は2年でとれそうか?」
しばらく色々と喋ったあと、籥がそう問いただしてきた。その雰囲気が変わったことに、渫と蒐も居住まいを正す。
なにか、ある。
「えぇ、問題ないわ。とれると思う」
「姉さんは学舎で一番成績がいいんだよ。俺も、なんとか2年でとれると思うよ」
「・・・・・・・・・そうか。じゃぁ、あと少しだな」
声が沈んだ籥に、ふたりとも顔をしかめた。
「籥?」
「・・・・・・状況が、変わったんだ」
言い出しにくそうに、籥はそう告げた。
「状況?」
「おまえたちが学位をとって森に帰ったら、そこから最後の『守人』としての修行がある予定だった。まだ、任務につく予定はなかった」
「・・・・・・それが、あたしたちも任務につかなければいけなくなったってこと?」
渫の問いに、籥は視線だけで肯定した。
「・・・だから、学位をとって森に帰る前に、俺はもう一度ここへ来る。今日は、長の命令で、そのことだけ伝えに来たんだ。・・・学位をとったらすぐに、任務についてもらうことを」
「具体的にどんな任務かは知らないの?」
「え、あぁ、そうだった。渫は諜報員。蒐は戦闘員だ」
「ふぅん、姉さんが諜報ね。まぁ、ぴったりかもね」
「蒐が戦闘員だなんて!!そんな危険なこと・・・・・・!!」
「だ~いじょうぶだって、渫。オレも戦闘員だから」
親指で自分を指差して、籥が明るく請け負う。だが、それで渫の心が軽くなどなるはずもなかった。
「全然大丈夫じゃない!!だいたい戦闘なんていったい・・・・・・!!」
「そう、そこなんだよね」
取り乱す渫の横で、蒐が大きく頷いて言った。
「籥、いい加減教えてほしいんだ。『守人』ってなにをするんだ?」
「・・・なんとなくは、わかってんだろ?」
蒐に問いただされることは覚悟していたのか、籥も抵抗なくそう切り返してくる。
蒐はそれに小さく頷いた。
「なにか、危険を冒さなくちゃいけない存在だってことは。命の危険もあるだろう、くらいかな」
「・・・・・・護衛、宝の番人、王の付き人・・・・・・暗殺者」
渫のつぶやきに、蒐も籥も驚いて彼女を見つめる。
「姉さん、それは・・・・・・」
「そう、学舎でのみんなの『守人』としての噂話」
「学舎で『守人』の話をしたのか?!」
血相を変えた籥が、渫を責めるように問い詰める。だが、それをかばったのはやはり蒐だった。
「違うよ、籥。『守人』ってなにか知ってるかって、俺が聞いたんだ。そしたら、そんな答えが返ってきたんだ。どれか合ってる?」
蒐の答えに、籥はふぅっと息を吐く。そして、目を閉じて答えた。
「・・・すべて合ってるといえば、合ってる」
「というのは?」
「『守人』の最重要任務は、『宝』を守り、それを奪おうとする者たちを暗殺すること。そして、『宝』を守る王族を護衛すること」
「・・・・・・『宝』?」
「『朱石』のことだ」
籥の短い答えに、渫も蒐も瞑目する。
予想はしていた。この国で、『宝』と呼ばれるのはそれしかない。
そして、『守人』とは、その『朱石』を守るがゆえにこそ、そう呼ばれるのだ。
たしかに、この『宝』を巡れば、命の危険もあるだろう。
「・・・なるほどね、だから『守人』ってわけか」
「諜報員が敵国の動きを読み、敵国が動く前に戦闘員が動くってわけね?」
「あぁ、そうだ。・・・・・・だが、現状は苦しい」
籥は目を開けて、渫と籥を交互に見た。
「最初に言った、状況が変わったというのはそのことだ。敵国のスパイが相当数この国に潜り込んでいる。無論、こちらも向こうに潜り込ませているが、なにがなんでも『朱石』は死守しないといけない」
「・・・・・・それが、『守人』の任務・・・」
「そうだ、それが、おまえたちのやるべき任務だ」
渫と蒐に、用意された未来。
奇術師でも、研究者でも、役人でもなく、用意されたのは暗殺者への道。
未来を選ぶ選択肢すらなく。
明かされた『守人』というその存在になるための、その存在であるための任務を遂行する。
それが、渫と蒐の、残された辿るべき道だった。