望めぬ、日常。
「・・・・・・ごめんね、姉さん」
食後、いつも蒐は申し訳なさそうにそう謝る。
「・・・いいのよ。コソコソされるほうが、嫌だし」
「でも姉さん、辛そうな顔してる」
「そりゃ、うれしい顔はできないわよ」
渫にそう言われ、蒐はしゅんとした様子で、紙に包んであった粉薬を飲んだ。
「あら、蒐。もうお薬飲んだの?水、足りた?」
「うん、大丈夫だよ、緑さん」
「また体調が悪くなったら言ってね。毎食後の薬が手放せないほどなんだから、ね」
心配そうに告げる緑に、蒐はにっこり笑って大丈夫、と答える。
そんな蒐を、渫ははらはらと見守る。
大丈夫、きっと大丈夫。
蒐も大丈夫だって言っているし。
「姉さん?平気?俺はもう飲み終わったよ?」
祈るように手を組んだままの渫に、蒐は心配そうに顔を覗き込んでくる。
「・・・蒐こそ、平気?」
「うん。だいぶ抗体ができてるみたいだよね」
けろっとした顔で彼はそう言う。
「姉さん、そろそろもう少し強くても大丈夫かも」
「・・・え?!」
「もう少し強い毒薬、作ってくれる?」
渫が眠り薬を蒐に手渡したあの日から、渫は蒐に頼まれて、毒薬を作っている。
弱いものから少しずつ少しずつ抗体をつけて、毒の成分を強くしている。
なぜ、そんなことをしなければいけないのか。
それを聞くなど愚問。
答えはひとつ。
「守人」だから。
それがどういう存在かわからなくても、蒐のしていることが無意味でないことはわかる。
殺されるリスクを最低限にすること。
そのために、蒐が選んだことなら、渫は協力するしかなかった。
渫も一緒に毒薬を飲もうとすると、血相を変えて彼はそれを止めた。
「姉さんは飲まなくいいんだ!!姉さんには、そういう危険な場所には行かせないよ」
だったら渫だって蒐にそんな危険な場所には行かせたくない。
そう言った渫に、蒐はまた、あの笑顔で笑っただけだった。
そうして、渫は蒐に言われるがままに毒薬を作り続けている。
いまや、彼はちょっとくらいの薬では効かない身体になっている。少々の眠り薬など、もはや効かないだろう。
飲み続ける毒薬も、変える強さによって耐え切れないときもある。
そんなときはひどい熱を出して寝込むこともあった。
長も籥すら、蒐がそんなことをしているとは知らなかったから、時々突然体調を崩す蒐を不審に思っているようだった。
そんなに身体の弱い子には思えないのに、と。
そして町に出てからもそれは続けられ、そして時々熱を出して寝込むことがあった。
最近はそれも減った気もするが、それでも渫は毎度毎度気が気でない。
だが、毒薬を渫の見えないところで飲まれるのもいやだ。
だから、渫は苦しい思いを押し殺して、蒐がそれを飲むのを見守っているのだ。
こんなこと、いつまで続けるのだろう。
早くやめないと、蒐の身体はぼろぼろになってしまう。
「渫、蒐、そろそろ寝たほうがいいわよ?」
緑が台所から声をかけてくる。
ふたりとも軽く返事をして、緑におやすみの挨拶をしてそれぞれの部屋に戻った。
部屋に戻り、少し勉強の続きをしていると、ふいに言いようのない不安が渫を襲った。
なにが、というのでもない。
ただ漠然と、心の中がざわつくような不安を覚えたのだ。
そのまま勉強も手につかなくなり、渫はそわそわと部屋のまわりをうろつく。
少し蒐と世間話でもしよう、と渫は自室を出て隣の蒐の部屋へと進む。
「蒐?まだ起きてる?」
扉をノックしても蒐の返事はない。
彼の就寝時間を渫は知らないので、もしかしたらもう寝てるのかもしれない、と思ったが、なんとも不安な気分が拭えない。
「蒐?寝てるの?」
本当に寝ていたら迷惑なくらいに、渫はしつこく扉に話しかける。
それでも反応のない蒐に、渫はあきらめてそのまましばらくそこに立ち尽くしていた。
しん、とした廊下に、ふと、渫は蒐の部屋から声が聞こえた気がした。
「・・・・・・蒐?」
耳を澄ませば、部屋の中から、蒐の苦しそうな荒い息が聞こえてくる。うなされているような、苦しそうな声も。
「蒐?!」
部屋の鍵など、渫もあっさり解けてしまう。そういう細かい作業は渫も得意だ。
蒐の部屋に入り込み、真っ暗なその部屋の隅で眠る蒐のもとに、渫はあわてて駆け寄った。
「蒐、大丈夫?」
「・・・・・・姉・・・・・・さん・・・・・・?」
「・・・蒐、ひどい熱・・・・・・!!」
虚ろな瞳で渫を見上げる蒐の額に手をやれば、驚くほどの高熱がそこから伝わってくる。
さっきまではあんなに元気だったのに。
「今日の薬、合わなかったの?!」
「わか・・・・・・ない・・・。なんか・・・・・・さっき急に・・・・・・」
「いいわ、もうしゃべらないで。今、緑さんに水をもらって・・・・・・」
立ち上がろうとする渫の腕を、蒐が握って引きとめた。
「大丈夫・・・・・・明日には・・・治るから・・・・・・・・・」
息をするのにも苦しそうなのに、あえぎながら蒐はそう言った。そして渫を安心させるかのようににこりと笑う。
「でも・・・・・・」
「大丈夫・・・。ほら、姉さんも部屋に戻って、寝たほうがいいよ・・・・・・」
「蒐が寝たら、そうする。・・・早く寝なさい」
ひんやりとした渫の手が、蒐の額を覆う。蒐はそれに安心したのか、気持ちよかったのか、うれしそうに微笑むと、そのまま深く眠り込んだ。
もともと、一緒に里で暮らしていた頃から、あまり深い眠りをする子じゃない。
こうして身体が不調のときだけ、それを癒すかのように深い眠りにつく。
胸が締め付けられる思いで、渫は蒐の寝顔を見ていた。
こんな思いをして、こんな苦しいことになっても、渫も蒐もきっとやめない。
また明日も、毒薬を作って、そして飲むんだ。
渫や蒐にとって、あるべき日常があまりにも遠い―――――――・・・・・・。
「・・・・・・ん・・・」
気付けばいつの間にか眠っていたようで、部屋に差し込んだ陽の明かりで、渫は目を覚ました。
「あ、姉さん、起きた?」
見上げれば、蒐がすでに起き上がって着替えていた。居眠りしたはずの渫には、ご丁寧に毛布がかけられている。
「あのままじゃ姉さんこそ風邪引いちゃうよ」
蒐は苦笑して着替えを進める。汗をかいて気持ち悪いからね、と言って。
「・・・蒐!!熱は・・・?!」
「大丈夫、もう下がったよ。一晩だけだったみたい」
大丈夫って言ったでしょ、と得意満面で蒐は答える。どうしてそんな風に、笑えるのか。
「・・・・・・今日も、飲むの?」
聞いても無駄だと思いながら、渫は聞く。
「・・・うん、ごめんね」
申し訳なさそうに蒐はうなずく。
蒐がそんな顔をするのは、渫が苦しそうに蒐を見るから。
「・・・・・・わかった。今、つくってくるから」
「ありがとう、姉さん。・・・・・・俺、姉さんだから、安心して飲めるよ」
姉さんがつくっているから、信頼して飲めるんだよ。
そんな、蒐のかける優しい言葉すら、渫を追い詰めていく。
彼女は、蒐の顔を見ないようにして自室に戻った。
そしてまた、毒薬をつくる。
蒐のために、『守人』となるために。
そうやって壊れていくものから、見ないようにして。