望めぬ、悠揚
渫と蒐は、長に連れられて町の真ん中あたりに位置する民家にたどり着いた。そこで彼らを出迎えたのが、渫と蒐の『保護者』だった。
名を、緑というらしかった。
長は緑と簡単な挨拶をすませると、さっさと家を出て去ってしまった。ろくな紹介も受けないまま、渫も蒐もその場に取り残される。
「遠いところからよく来たわね。渫と蒐よね?私は緑。せまい家だけど、我が家のようにしてくつろいでね」
ほっとするような柔らかい笑顔で、緑はそう言った。
我が家のようにくつろげ、などと優しいことを彼女は言う。だが、渫も蒐も「家」を知らない。彼らはずっと、「祠」という洞窟で暮らしていたから。
「あら、蒐はこっちの部屋よ?」
当然のようにして渫と同じ部屋に荷物を置こうとした蒐に、緑が呼び止めた。
「え、俺は違う部屋なの?」
「そうよ。姉弟とはいっても、お互いにひとりになりたいときだってあるでしょう?」
何の気も為しににっこり微笑んで言われる言葉に、渫も蒐も返答に困る。
ひとりになりたいときは今まで森の中で散歩していればよかった。
誰かといたければ、祠にいればよかった。
どうやら、町ではそういうものではないらしい。
「それにしても、渫も蒐もえらいわね。両親から離れて勉学のために町に来るなんて」
荷物を置いて、お茶を用意してくれた緑と向かい合わせにして、渫と蒐は座っていた。
感心する緑の言葉に、ふたりはあいまいな表情を浮かべて顔を見合わせた。
森を出るときに、長にただ一言だけ、注意された。
「――――――『守人』に関することは口外するな」
それは、森での生活のことも、『守人の里』のことも、全てだった。
長は緑には、渫と蒐は学位を得るために、村から両親が稼いでくれたお金を持ってやってきた努力家の子供たち、という話をつけていた。
それで、宿に泊まることもできない彼らの生活を保護してほしい、という申し出を緑が受け入れてくれたのだ。
「学位を取れたら、立派な職業につけるものね。きっとご両親も喜ばれるわよ」
にこにことお茶菓子を用意しながら緑はおしゃべりを続ける。
こんなにも人のいい彼女をだますのも気が引けて、どう返したらいいか困惑する渫の横で、蒐がいつもの明るい声で受け答えた。
「俺ね、町に来るの初めてだから、びっくりしちゃった!!人がいっぱいいるから!!」
「そうね、村とかに比べたらずいぶんと建物も人も多いでしょうね。出店もいっぱいあるから、なにかほしいものとかあったら言ってね」
「ありがとう、緑さん。お礼に、おうちのお手伝いとかできることあったら言ってね」
「あら、頼もしいわね」
くすくすと笑いながら緑は蒐の頭をなでる。
それをくすぐったく思いながら、あぁ、母親ってこういうものなのかな、と蒐は思う。
幼い頃に両親と別れた蒐は、母の愛情も父の背中も知らない。
蒐にとって渫がすべてだったし、渫が向けてくれる優しさだけが蒐の知る愛情だった。
だから、愛しそうに蒐の頭をなでる緑の表情が、世に言う「母親」のものと重ねてしまう自分が、蒐は妙に自分でもおかしかった。
同じことを思っていたのか、渫も複雑な顔をしている。
「渫は、なにが好きなのかしら?村ではなにをしていたの?」
まだ打ち解けようとしない渫に、なんとか接点を見つけようと緑が話しかけてくる。
まさか薬の開発、罠の創作が趣味とも言えない渫は、一瞬迷っていたようだが、ぽつり、と、
「研究するのが、好き、かな?」
と、なんとも曖昧な返事をした。
だが、それでも緑はうれしそうに手を叩いた。
「研究が好きなんて本当に勉強熱心ね。渫ならすぐに学位をとれるかもしれないわね」
学位。
学位をとるには、「学舎」と呼ばれる機関に通うことだ。「学舎」で、何分野にもわかれた学問を網羅すれば、「学位」を得ることができる。
それは、平均すれば6年以上はかかる、難解なものだった。
そもそも、「学舎」が大きな町にひとつふたつくらいしかない。
それも多額な「授業料」を払わないと入ることもできない。
だが、それだけの対価と努力を支払うことにより、「学位」を得られれば、もはやその後の人生は約束されたようなものだ。
それだけ、「学位」を持つことは、意味があった。
ただし、「学舎」に入ればもらえるものでもないので、10年以上粘り続け脱落する者だってあった。
それを、長は2年でとれと、渫と蒐に言った。
・・・・・・10年がんばってもとれない人間もいるというのに。
それでも、籥は5年で帰ってきた。
そして渫と蒐は、同じ家で暮らすことを条件に、2年で学位を得て、学舎を卒業することになっている。
大金を積んで、学舎に入れて。その間の生活を支えてくれる、『保護者』まで探しこんで。
そこまでして、いや、そこまでしなければ、『守人』は育たないのか。
それでも、周囲にそれを悟らせてはならないのか。
町にやってきて緑ととりとめもない話をしながら、渫はそんなことをずっと考えていた。その視界の隅では、蒐がにこにこ笑いながら、緑と明るくコミュニケーションをとっている。
お得意の奇術で緑を楽しませ、すっかりふたりは打ち解けているように見えた。
「あらやだ、もうこんな時間じゃない」
窓の外を眺めて、日が落ちているのを見ると、緑があわてて立ち上がった。
「待っててね、すぐに夕飯の支度をするから」
慌しくその場を立ち去ろうとしたその背中に、渫は気付けば話しかけていた。
「緑さん」
呼び止められ、緑は不思議そうに渫に振り返る。
「・・・あたしも、なにかお手伝いできないかしら?」
それくらい、いいんじゃないか、と思った。
これからここで、お世話になるんだし。
緑はいい人そうに見えたし。
蒐もなついていることだし。
なにより、緑が迎えてくれたこの空間はなんだかとても居心地がよかったから。
打ち解けて、心許してもいいんじゃないかと思った。
「うれしいわ。じゃぁ、女同士でお夕飯の支度でもしましょうか」
緑がなにもかもを包み込むような柔らかい笑顔で答える。
渫も無意識に笑みを浮かべていた。
「じゃぁ、簡単なものから教えてね」
くだけた口調で、緑に甘えるように。
「ずる~い!!俺も一緒になにかする!!」
すぐに蒐も甘えた声でのってきて。それを緑がくすくすと笑う。
「じゃぁ、3人で、渫と蒐の歓迎会の用意をしましょうか」
これから少なくとも2年は緑と一緒に生活するのだから。
せっかく、町で生活するのだから。
今くらい、楽しく過ごしてもいいのではないか。
渫のその思いを察したのかどうか、蒐がうれしそうに渫に耳打ちする。
「人見知りの姉さんが珍しいね。緑さんはいい人だと俺も思うよ」
渫の大好きな、太陽のような明るい笑みで蒐が笑う。
それに、渫も笑顔で返した。
「あたしも、緑さんはいい人だと思うわ」
渫も蒐も、このときはまだ、まだ見ぬ新たな生活に期待だけを膨らませていた。
その影にある『守人』のことはあえて見て見ぬフリをして。
前話から2章になってます。「抗えぬ」シリーズ終わって、今回は「望めぬ」シリーズ。
蒐と渫の町での暮らしを焦点とした章になります。