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人の本質

 ドクトルは、頬を叩かれ、呆然としてセシリアを見ている。

 自分を叩く者がいる……、それがまったく理解できないという顔だ。


 その様子を見ていて、クレバーが言ったことが頭に浮かんだ。

 ”ドクトルは人というものをわかっていない”


「私の父は、ギャンブルで借金を作って、私を娼婦として売ろうとしました」

 セシリアの目は、怒り、憐れみ、そして慈愛、複雑な色で揺れ動いている。


「あなたは、あなたのお母さんに愛されていたではないですか。私には、それがありませんでした。でも、タクや……、たくさんの人が私を助けてくれました」

 セシリアは、僕やクレバーに目をやってから話を続けた。


「あなたにも手を差し伸べていた人がいたはずです。その手を振り払っておきながら、なんて勝手なことを……」

 レミュス老人が、黙ってうなずいている。 


「助けが必要なら、私が助けます。誰も愛してくれないなら、私が愛します……。婚約者がいるから……、友達になります。友達として、私が愛します。だから……、罪を償ってください」

 セシリアは泣きながら、そして力強く言い切った。


「僕もだ……。友達になろう」

 僕は、手を差し出した。でもドクトルは、首をふる。


「俺は友達にはなれないけれど、師匠と呼んでやるよ。悔しいけど負けっぱなしだ」

 クレバーも手を差し出した。

「俺も、孤児院の出身だ。この国には、残念だけど孤児が多い。今、タクと孤児に勉強を教えて、それから孤児が減るような活動をしているんだ。ドクトルの頭を使えば、もっと孤児を減らせる……、そんな気がしているんだ」


「しかし、罪を償うって……、死刑しかないだろう」


 そう言われたら、僕らは何も言えない。

 ネルツ公を見ると、首を横に振った。


******

 

 噴水庭園の火は、さらに勢いを増していた。庭園自体が広かったおかげで、まだ火から離れたところがあるが、噴水から溢れる石油で、それがどんどん狭くなってきている。もう時間の問題だった。


 さらに猛火による熱波が肌を焼く。炎からは離れているが、ジリジリと肌を焦がす。


「私の後ろにいろ」

 少しでも熱波を和らげようと、王女は炎の前に両手を拡げて立ちはだかった。

「ドレスというのは、こういうときに役立つな」

 スカートを目一杯拡げて、後ろへの熱波を遮る。


「俺もつきあうよ」

 バルトリアンが横に並ぶ。

「しかし、熱いな……」


「僕は、細いけど、少しは役立つかな」

 ルイトポルトも横に並ぶ。シュレックは、というと人混みの真ん中で頭を押さえてしゃがんでいた。


「私も、お付き合いします。これでも昔は騎士でしたからな。王国を守るのが私の仕事でした」

 男爵という、身体の大きな貴族が王女の横に立った。力に自信があるようで、手には重いテーブルを盾のように持っていた。

「私もおつきあいしますわ……、主人は1人にはできませんから」

 横に、その妻が寄り添う。


「私もお供しますよ……。王女殿下」

 それから次々と20人程が前に出て王女に並んで人間の壁を作った。それにテーブルなどを集めて、即席の防火壁をつくる。

 そのほとんどは、男爵、子爵という下位の貴族だ。

 どれだけ効果があるかはわからないが、王国の将来を支える若者を守りたい。その気持ちからでもあった。


 チリチリと髪が焦げる。


「昔の戦場は、もっと酷かったですな。それに比べると、立っているだけですから楽なもんですよ」

「そうですな。槍が飛んでくるわけでもないですからな」

 男たちは笑って言う。


「あらあら、女たちも苦労していましたわ。男だけが大変だなんて思わないでくださいね」

「そうですよ。男は、それをわかってくれないんですよね」

 女性たちも負けてはいない。


「すまなかったな」

「あら、その言葉が聞けただけでも、ここに来た甲斐がありましたわ」

 その女性の言葉に、みんなが大笑いした。


「アヒレス……。もうダメかも」

 王女はバルトリアンに寄りかかった。

「メサリーナ……」

 バルトリアンは、いつもと違う王女の弱々しい表情を見て、つい口づけをしてしまった。


 王女は、目を開け、もう一度しっかりと立った。

「元気をもらったわ」


「失礼ですが……、そういうご関係でしたか?」

「いえ、今日が初めてで……」

「それはおめでとうございます」

「殿下の初めてを見れて、これは末代までの自慢ですな」

 それで、またみんなが笑った。

 王女の顔は赤く染まっているが、それは炎のせいか、それとも感情なのか。


 しかし、限界は近づいていた。

 人間の壁となっていた貴族の中からも倒れるものがでてきた。


「これをお使いください」

 給仕の男が、飲み物の入ったボトルを人間の壁となった女性たちに配っていく。酒はさすがにダメだが、果物のジュースやお茶があった。それに水も。


「俺にもよこせ」

 後ろに隠れていた高位の貴族がひったくろうとする。

 給仕だけでなく、楽団の男たちも、その飲み物を守ろうとする。

「この無礼者!」

 高位の貴族は、給仕を怒鳴った。


「馬鹿者! お前は、奪爵だ。爵位を剥奪する!今から平民だ!もう、何をしてもよいぞ!」

 王女が一喝した。

 それを聞いてうろたえているが、それでもまだ飲み物に手を伸ばそうとしている。


 もう身体だけでなく、精神も限界に近づいていた。


「アヒレス……、もう一度力をくれ」

 そう言われて、バルトリアンは、王女を力強く抱きしめて口づけをした。前よりも強く、激しく。

 燃え上がる炎を前に抱き合った2人のシルエットは美しく、見る者は、その美しさに、一瞬心を奪われるほどだった。


******


 塔の上では、ドクトルの説得を続けていたが、それはまったく進展しない。


 下の庭園の人々の悲壮感は塔の上まで伝わってきていた。

 しかし、僕たちにできることはない。魔法が使えないからだ。

 結界を解除するように魔法兵への伝令が向かっているはずだが、魔法兵がいるのは王城の一番奥だ。まだ伝令は届いていない。


 また、下から悲鳴が聞こえてきた。


「頼む、頼む、頼む、頼む……」

 僕は、必死に祈った。

 王女の、バルトリアンの、そしてルイの姿が頭に浮かぶ。


「頼む、頼む、頼む、頼む……」

 僕にできるのは、祈ることだけだった。


 しかし、そのときだった。


 パリン


 小さな音が聞こえた。

 そして窓の下の人々の声が消えた。


 あわてて外を見ると、庭園にいた人がいなくなっていた。1人残らず。


*******


「よし、また元気がでた」

 王女はそう言って炎に立ち向かった。しかし、もう前髪は焼けて、手のあちこちにやけどもできていた。誰が見ても確実に限界だった。

 それでも炎の前に立つ。ドレスのスカートをつまみ、両手を広げて、少しでも後ろへの熱波を減らそうと。その表情には笑みも見える。


 その王女の、人間の壁の前にあった炎が消えた。消火したというのではない。まったく無くなったのだ。噴水も、建物も……。

 前にあった炎だけでなく、取り巻いていたすべての炎がだ。

 熱さも消えた。


 一瞬のできごとだった。噴水庭園にいた全員が、たくさんの花が咲き誇っている庭園にいた。赤や黄色、白にピンク。たくさんの花々が、庭園を敷き詰めている。

 その横には、大きな屋敷が建っていた。


 その花の中に、全員がいた。立っていた者は立ったままで、倒れていた者は倒れたままで、そのままで埋め尽くされた花の中にいた。


「天国……、か?」

 王女は、バルトリアンに聞いた。

「わからないが……、たぶんそうかも」


 人々は、炎の熱から解放された安堵の表情を浮かべたが、もしかして死んだのでは?という不安が襲ってきた。

 とにかく、状況がわからない。わからないことが不安を増大する。

 誰もが、キョロキョロと周りを見回すだけだった。


「殿下、ご無事で……」

 僕は、王女を見つけて駆け寄った。


 僕の後ろには、護衛の近衛兵が続いた。そしてセシリア、クレバー、ネルツ公がキョロキョロと周りを見渡しながら歩いてくる。

 ドクトルは、レミュス老人と一緒だ。横には、いつの間にかL がいた。


「タク! いったいここはどこなのだ」

「レミュス老人の屋敷です。みなさん、助かったのですよ」

 僕にそう言われても、ポカンとして、半信半疑だ。

「天国ではないのか?」

「天国だったら、彼はいないでしょう」

 僕は、シュレック王子を指さした。

「では、夢なのか?」

「夢ではありません。みなさん助かったのです」


「まったく、タクには驚かされるな」

 レミュス老人が追いついてきて言った。

「100人の魔法兵で作った王城の結界を破りよった。そして、庭園にいた全員を、わしの屋敷まで転移させたのだ」


 実は、僕自身も何が起きたのかは理解していなかったが、レミュス老人の言葉でようやく理解した。火事場の馬鹿力が出たのだろう。


「そうか。助かったのか……。ありがとう」

「いえ、こうなったのも僕たちが万全の対策を立てられなかったからです」

 僕は、頭を下げた。その頭を王女はポンポンと叩いた。軽い笑みを浮かべてもいる。


 それから、シャテーのメンバーを動員して、人々の看護にあたった。幸い重傷者はいなかった。

 氷魔法で作った氷入りの水を配って、やけどをしている者の手当をする。

 誰もが、生き残ったことを実感していた。


******


 僕とクレバー、ネルツ公は、状況を確認するために、城へと戻ることにした。

 王女も一緒に行くというが、まだ危険だからと必死で止めた。

「行かせておやりなさい」

 レミュス老人がそう言うので、バルトリアンにサポートしてもらって一緒に戻ることになった。


 王城では、魔法無効の結界が解かれ、魔法兵が集まって、噴水広場の火を消し止めたところだった。

 といっても、まだあちこちで燻っていて、小さな煙が上がっている。焦げた臭いがまとわりついてくる。石油特有のガソリンのような臭いも。

 燃えたのは庭園ばかりで、建物はほとんど無傷だったから、復旧は早いだろう。


 石油を流していたところにも、近衛兵が向かって鎮圧した。もう石油が流れてくることはない。


 まだ、街中で燃えているところがあるが、それぞれ魔法兵が対処しているから、鎮火はもうすぐだという。


 王女は、城内の官吏と兵を集めて、すぐに対策を指示した。

 街で被害に遭った者には、すぐに見舞金を出すことを伝え、具体的な被害の状況の調査を指示した。

それからディールス男爵捕縛の命令も出した。これだけ関わったのだから、もう言い逃れは無理だ。息子のシュレックが命を落とすところでもあったから、パウラ妃も何も言わないだろう。


 あとは……、ドクトルの処罰だけだった。


*******


 それから僕たちは、もう一度、レミュス老人の屋敷へ戻った。

 デビュタントボールに参加していた貴族たち、それから給仕や楽団員は、屋敷の寝室へと案内されて、すっかりと眠りについていた。

 考えると、すでに深夜遅くだ。疲れもあっただろう。用意された軽食をとったら、ほとんどがすぐに眠ったという。


 しかし、僕たちにはまだ話すことがあった。


 集まったのは、本来なら最高評議会に該当するようなメンバーである。セシリアとクレバーも、成り行きといことで同席が許された。


「アレクサンデル……、ドクトルという名の男のことについてだが……、わしに預けてくれないか」

 レミュス老人が口を開いた。


「なぜ……?」

 王女がたずねる。


「話せば長いが……、あいつがああなったのには、わしにも責任があるからだ」

「いえ、私も……、あのとき説明をきちんとしていれば……」

 ネルツ公も補足する。


 ドクトルは、父の顔を覚えていなかった。騎士だった父は、ドクトルが生まれたばかりのころにギャンブルに手を染め、騎士団の金を横領してしまった。騎士の妻となったはずが犯罪者の妻となってしまった母親は、ドクトルに、「あなたの父親は王様なの」と伝えていた。

 それを耳にした悪人が一計を案じた。それをネタに王家から金をせびろうと。


 そのことについて調査をしたのが宰相補佐に就いたばかりのネルツ公だった。ヤニックの時とは異なり、明らかに嘘であることを知りながら御落胤を詐称したのだから罪は重かった。母親は、悪人共々処刑された。

 本来ならドクトルも処刑されるはずだったが、ネルツ公は、母親から懇願されて命を助け、孤児院へと送った。

 それが普通の子どもならば、それで話は終わりだった。


 ドクトルの頭脳は人を超えている。幼くても、母が処刑されたこと、そして自分が王様の子どもであると言われたことをしっかりと覚えていた。


「まさか覚えているとは思わなかった……。あんなに小さい子が……。彼の父親がちゃんといることを伝えていれば……、今でも後悔している……」

 ネルツ公はそう言った。


「最高評議会のお二人が言うのですから、これで決定ですね」

「それでは……」

「その男は、ご老人に預けます。その代わりに、絶対にここから出さないでください」

「わかっておる。ありがとう」

「いえ、礼にはおよびません。その類い希なる頭脳を王国のために使ってもらえるとありがたいのだが」

「もちろん、そのつもりだ。これから、彼に人とは何かを教えていきたいのだ」


「それから……」

 レミュス老人が、話を続ける。

「これを機会にレミュス家の当主を譲ろうと思う。アレキサンデルのこともあるからな」

「そう思われるなら仕方がない。タク、これからも頼むぞ」

 王女がそう言った。最高評議会に出ているのだから、王女、ネルツ公、バルトリアンは、知っていた。

 しかし、セシリアとクレバーが……。二人を見ると、目がこれでもかと見開いていた。


「それなら、私からも報告だ」

 王女が、隣にいたバルトリアンの手に、自分の手を重ねた。

「アヒレスと婚約することにした」


 それには僕もビックリだ。またセシリアが目を見開いている。

 セシリアにとってバルトリアンは、普段からの知り合いで友達みたいなもの。それが最もあこがれている王女様との婚約だから驚くのも無理はない。


「なんと……、それはめでたい」

「それは、おめでとうございます」

 ネルツ公と、レミュス老人が、祝福の言葉を述べる。

 僕は、2人の関係を怪しんだことも何度かあったから、そこまでの驚きはないが、大好きな2人の結婚だから、心の底から嬉しい。


 これで、すべてが終わった。ドクトルがいなければ、これほどの事件は起きなかったのだから、必ず王国に平和が訪れる。


 ドクトルはクズか? そう聞かれると答えにくい。でも、ドクトルの周りにクズがいたから、これだけのことが起きたのだ。ドクトルも、そのクズを利用した。クズがいなければドクトル独りではできなかった。それだけは間違いない。


 僕はまた新しい力を手に入れた。

 最初に復讐しようと思った第1王子のグスタフはもういない。

 では、次に何をすればよいのだろうか。


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