広まる噂
評判は、なかなか上がらないが、下がるのは一瞬だ。
広場で公開で行った話し合いで、ニセ記者が言ったことが、王都中に広まった。
引きこもりをしていたこと、そしてイベントで幼女に手を出そうとしたこと、それが噂となって、飲み屋で、商店の店先での井戸端会議で、人々の口の端に上る。
「気にしないから」
ルイはそう言うが、公衆衛生局の業務にも影響が出始めていた。
衛生観念を広めるために、飲食店組合で講習会を行っているが、参加者が急激に減ってきた。
孤児院を訪問しても、子どもたちに会わせてもらえない。物品だけを受け取って、追い返されたりもした。
「やはり、僕が責任をとるべきなのかな……」
ルイは弱気になってきた。
「時間が経てば変わるよ」
そう言うが、どこまで言葉が届いているだろう。
ルイはがんばっている。がんばりが形にならないことは、いくらでもある。前の世界でも……。
でも、そう簡単に納得したくはない。なんとかルイのがんばりが実を結ぶようにしてやりたい。公衆衛生局の職員もそう思っている。
******
ヴァルター伯爵の存在が気になったので、L に調査を頼んだ。第1王子のグスタフの派閥だとも言う。きっと何か企みがあるのだろう。
その報告にL と G がやってきた。
「侍女とか、使用人に嫌われてますね」
開口一番そう言った。
「だから、いろいろと話が聞けました」
G が報告してくれる。
屋敷に酒を飲みながらこぼすような話だから、何を企んでいるのか、具体的なところまではわからない。しかし、その話、その言葉、それをパズルのように組み合わせていくと……。
「侍女たちが、一番聞いた言葉が”50億”でした」
「それは、公衆衛生局の予算だな」
「次が、”子爵”です」
「それは、僕か?」
「わかりませんが、可能性は高いです」
そうやって、ヴァルター伯爵が酒を飲みながらつぶやいている言葉を使用人から集めてきた。
まず多かった50億、そして子爵、王子殿下、人気、衛生局、風評、噂、など。
「これは……」
「そうだな。ヴァルター伯爵のねらいは公衆衛生局だろう。ルイトポルト王子殿下に責任をとらせて、第1王子がトップに就く。タクの代わりに自分が管理のポストに就こうということだ。それで予算の50億を自由にできる。第1王子は、今までのことで謹慎の身だが、これで評価が上がれば謹慎も解かれる。それをねらっているのだろう」
「それで詐欺を……」
「今、王都でのルイトポルト王子殿下の噂も彼が流しているのだろう」
「はい、屋敷に潜入していたときに、雇われて噂を流した連中が金をもらいに来てました」
「そいつらは?」
「全員捕まえてあります」
「そいつらをどうするかだな……」
「いい考えがある。任せてくれないか」
「もちろんだよ」
「次の王国枢密院でルイトポルト王子殿下の処遇が決まる。それまでが勝負だ」
L もルイを助けたいと思っている。だから、その言葉にも力がこもっている。
******
ヴァルター伯爵、第1王子への対策は、目処が立ってきたが、国民の評判は変わらない。噂を流した連中は捕まえたが、いったん流れた噂は、止めることができない。
そんなとき、事件が起きた。
ルイと一緒に郊外の孤児院を訪問した帰りだった。その孤児院も、園長や職員は笑顔で迎えてくれたが、子どもたちは男の子だけだ。女の子は、奥に隠されているようだった。
信頼されていない……。それがひしひしと伝わってくる。
ルイは笑顔で、「これからもがんばってくださいね」と言うのが精一杯だった。
馬車の中での落ち込みも酷いものだった。うつむいたまま一言も発しない。このままだと王国枢密院で、自分から辞めると言い出しかねない。
突然、馬車が止まった。前の橋の上でたくさんの人が集まっていて、馬車が通れなくなっていたのだ。
「どうやら、子どもが川に落ちたらしいです」
御者は、そう説明した。
それを聞いたルイは飛び出していった。
川の流れは緩やかで、かなり深いみたいだ。その岸近くに子どもがうつぶせで浮いていた。
「貴族の馬車にはねられて、川に落ちたんだ。その馬車はそのまま行ってしまいましたがね」
見ていた男がそう説明した。
ドボン!
ルイが、川に飛び込んだ。子どものところまで泳いでいき、子どもを抱きかかえた。
「誰か、ロープか何かを」
そう叫ぶ。
「これを使ってくれ」
近くにいた男たちがロープを垂らした。ルイは、それを取って子どもに結びつける。男たちは、ロープを引いて子どもを引き上げた。
よかった。周りの人たちから安堵の声が聞こえる。
ところが、子どもは息をしていない。
僕は、寝かせた子どものところに行って、心臓マッサージをした。中学のとき、高校のとき、それぞれ救命の講習を受けていたので、人工呼吸と心臓マッサージはできる。
しかし、1人では、そのどちらかしかできない。
そこに、川から引き上げられたルイがやってきた。
ルイは、両方ともできるのだ。これから、こうした救命を広めようと彼には教えていたのだった。
僕が人工呼吸をして、ルイが心臓マッサージをする。
「戻ってきてくれ……。頼む……」
ルイが、必死で子どもの胸を押し続ける。
ゴホッ、ゴホッ。子どもは、口から水を吐き出し、息を吹き返した。
「よかった……」
ルイは、半泣きで子どもを抱きしめた。
「助かった!」
周りに集まった群衆から歓声が立ち上がり、大きな拍手が巻き起こった。
「ニコ!」
その群衆から、1人の女性が飛び出してきた。母親らしい。
ルイは、抱きかかえた子どもを、その女性に渡した。
母親は、子どもを抱きしめる。
子どもは、まだ何が起きたのかわからない。
母親に抱きかかえられ、安心したのか、それとも忘れていた痛みを思い出したのか、思い切り泣き始めた。
「ありがとうございます。息子の命の恩人です」
「いえ、無事で本当によかったです」
ルイは、そう言って爽やかな笑顔を返した。
「殿下!無茶はおやめください」
そこに馬車の御者が走ってきて叫んだ。
「殿下だと?」
群衆がざわめき出す。
「殿下って、王子?」
「第1?第2?」
あちこちから声があがる。
「第3王子ルイトポルト王子殿下、何かお言葉を……」
僕は、ルイの前にしゃがんで、そう伝えた。これだけの人々、何も言わないまま帰れない。
「第3?」
そうした声が、群衆の中から聞こえてきた。
「そうだな……、何より子どもが無事でよかった。それだけだ」
ルイが、そう言ったが、まだざわめきが収まらない。たぶん、例の噂のこともあってだろう。ルイも、それに気がついている。
「噂については、僕も聞いている。そして、それは本当のことだ」
その言葉に、人々はざわつく。
「僕は、昔はとんでもなくダメな人間だった。人と話すのが怖くて、宮殿に籠もっていた。人が怖いから、子どもに目をむけてしまった。本当に申し訳ないことをした……」
群衆が、しーんとなった。
「それから、しばらく田舎で暮らした……。畑を耕して暮らした……。麦を育てて、野菜を植えた……。村の人は温かかった。こんなにダメな僕を受け入れてくれた……。その経験が僕を変えたのだ。過去に犯したことは消えないけれど、これからは王子として、国民のために働きたいと思っている。そのために公衆衛生局を立ち上げた……。1人でも病人を減らしたい。今はそれを願っている。どうか、それを信じてもらいたい」
その場にいた全員が、ルイの一言一言を噛みしめていた。
「信じるぞ!」
1人の男が叫んだ。
「俺も!」
「私も!」
その声が、波打つように広がっていく。
「ありがとう……」
ルイは、不覚にも涙を流した。
「こんなものでよろしければ……」
1人の少女がタオルを差し出した。ルイはずぶ濡れなのだ。
「ありがたく使わせてもらうよ」
ルイはそう言って、そのタオルで、まず濡れた子どもを拭いてあげる。
「王子殿下が……」
その場にいた、すべての人がひざまずいて、頭を下げた。
*******
勝負の王国枢密院の会議の日。
L は、準備万端。たぶん大丈夫だという。
会議は、公爵様が議長で、順次、議事が進められた。
議事の最後で、ルイが発言を求めた。議長の公爵様が、それを許した。
「私の不手際で、公衆衛生局に関わっていくつかの詐欺事件が発生しました。まず、それをご報告いたします。そして、その責任につきまして、私の処遇を決めていただければと存じます」
それを聞いた、第1王子のグスタフが口を開いた。
「せっかく良い仕事をしていたのに残念だな。ただ、公衆衛生局の仕事は今後も必要だ。それで私が代わりにその仕事を引き継ごう。今は謹慎の身だが、少しでも国民に貢献したい」
「いや、それなら私が……。謹慎の者に任せるわけにはいかない」
第2王子のシュレックが、口を挟む。第1王子には、前に部下の失態を咎められての恨みもあった。
それから、2人で、ああでもない、こうでもないの舌戦が続く。
それを止めたのは、王だった。
王国枢密院は、王の諮問機関。つまりは、王に意見を提出するための機関だ。枢密院での議論の結果を具申するのが仕事なので、王は、その議論には参加しない。結果だけを聞いて、反対ならば意見を採用しない。それが基本だった。
しかし、この場では王が口を出した。
「ルイトポルトの責は問わない。このままでよい」
それですべてが決まった。
議長の公爵様から、そう聞いた。
「王がなぜ?」
僕はL に聞いた。
「ああ、ヴァルター伯爵から依頼されて噂を流していた連中の前に魔神が現れたんだ。そして、地獄へ行くか、自首するか、選べと言ったんだ」
「自首を選んだ」
「そりゃそうだろう。その自首の先を、近衛兵第1部隊とした。王の直轄だ」
「そうなると、第1王子とヴァルター伯爵の企みが、すべて王に伝わった……」
「そういうことだ。もしかして第2王子も関わっているのではと、疑心もあったんじゃないかな」
「だから、ルイに任せた」
「そういうことだ」
これで、公衆衛生局に手を出してくることはないだろう。
しかし、平穏はなかなか来ない。
久々にクリスティアンが尋ねてきた。レナータさんとの結婚も間近に控えている。そのことでだった。防衛隊のあるオストールでもささやかな披露宴をする予定だが、正式な結婚式と披露宴は、シュパイエル辺境伯領で開かれるという。
「そこに来て欲しいんだ。ちょっと遠いけど」
「もちろん。喜んで行かせてもらうよ」
クリスティアンは、本当に幸せそうな笑いを見せた。
しかし、そのシュパイエル辺境伯領で事件が起きる。
それもドクトルがらみかもしれない事件が。




