1.1 キャラクター
「名も無き物語へようこそ」
女性の声が歓迎を告げた。空には雲1つない快晴。深海まで見通せるほど透き通った海の上、どこまでも広がる広大な空間に、水面に立つ2つの人影がある。骨格から1人はおそらく男性であり、自分がいる場所を確かめるように周囲を見渡している。それは初めて都会にやって来た地方出身の人が、埋め尽くすほどの高層ビルに圧倒されるのと似ていた。
もう1人は協会に飾られた女神像のように美しく究極の美ともとれる容姿をしていた。しかしその体は上から下まで髪を含めてすべて水によって形づくられている。透き通る足元の海よりも深い青、その体を透けて、奥に水平線を見ることができる。
「私はミリア、この世界とゲームシステムの説明を担当するものです」
女性は耳触りの良い声で名乗った。身長は180センチほどだろうか、美しく長い髪を持ちスラっとした体形はは一糸まとわぬとも情欲を掻き立てることなく、芸術作品のように感じられる。おとぎ話に出てくる水の精霊を思い出させた。
それに比べて男性は真っ白だ。顔すら存在しない。それは何者でもなく、何者にもなれるというこれからの暗示のように見えた。
「ゲームの説明は必要でしょうか?」
ミリアと名乗る女性が一言質問を投げかけたあと、彼女は目を閉じ祈るように両手を組んで彼の返答を待ち続ける。
「ゲームの説明?事前情報である程度知っているけど、軽くおさらいしとこうかな」
彼、神坂碧がミリアの問いに答えると、彼女の後ろに水でできた球体がいくつも浮かび上がる。その球体はテレビのように映像を映し出していた。
碧が「軽くおさらい」と言ったからだろうか、ミリアは球体に映る映像と共に大まかにこの世界の説明を始めた。
そこにはモンスターと戦う鎧を着た騎士やローブを着た魔法使い、猫耳と尻尾を付けたいわゆる獣人と呼ばれる少女など、現代ではコスプレと呼ばれるような恰好をした人々が映っている。そのほかにもドラゴンの翼を持つ人間や耳の長いエルフが歩いていたり、釣竿を持って川で釣りをする人がいたり、大柄な男たちが酒場で酒を飲んでいたりとこれぞファンタジー世界といった光景がみられる。
『ジェネシスレコード』
数十年前からTRPGとして多くの人に遊ばれてきたゲームであり、プレイヤーは剣や槍、あるいは魔法などさまざまな物を武器にして戦うキャラクターを作り出し、GMと呼ばれる物語の進行役のもと会話とサイコロを駆使して楽しむ遊びである。中世ヨーロッパの街並みやどこまでも広がる平原、魔物が潜む森、竜が住まう山、ファンタジーの王道が詰まった世界観で自身が創り出したキャラクターを演じるジェネシスレコード、通称ジェネレコはゲームシステムが発表され、皆が遊べるようになってから数多くの根強いファンを産み出した。
そのジェネシスレコードの世界が、限りなく現実に近しいものとして映像に映っている。
「このように『ジェネシスレコード』の世界では、現実で味わうことのできないファンタジーの世界を体験することができます」
ミリアはすべてを包み込むように腕を広げ、まるで我が子を紹介するかのような慈愛の笑みを浮かべる。
そう……この場所を含めてすべてがゲームの中の世界であった。
現代の最新技術を導入して、完全にゲームの世界に入り込む。視覚や聴覚だけでなく五感すべてでゲームを楽しむことができる完全VR。ゲームの世界は足元の水面にも映し出されている。多種多様な種族と広大な世界、国やその中の街並み、城、人々、小説やゲーム好きが一度は妄想する物語の世界。それが現実となって目の前に広がっている。
「この世界であなたは何者にもなることができます。どこへ行こうとも、誰と過ごそうとも、どれだけの時間でも……すべてあなたの自由です」
ミリアの話すことが本当に可能ならば、どれほど魅力的だろう。そしてゲーム内時間と現実の時間には差があり、ゲームでの1日は現実での6時間分になる。時間の感覚をいじられるのは少し怖い。それが一般的な感覚。しかし現実が忙しく、ゲームの時間が取れない人もゲームを十分に楽しむことができるというのはかなりのメリットとなるのに間違いない。その分ゲームにログインしている人としていない人ではより大きい差が生まれてしまうというのが問題になる可能性はあった。それでもそのデメリットを補って余りある効果が、時間差というシステムに存在した。ゲームの存在を知ったプレイヤーたちから不満の声はあがらなかった。
「これから大学の春季休業もあるし、リリースがこのタイミングでよかった」
碧はゲーム時間が満足に取れるだろうことに安堵した。
ゲームを購入する際、ダウンロード版が主流となっている現在。リリース時刻からゲームを始めるスタートダッシュは、そのゲームを本気でやりこもうとしている人間にとって非常に重要な事項である。
碧もこのジェネシスレコードというゲームに、本気になろうとしている人間の1人である。
現代には古今東西様々なゲームが存在している。そしてゲームを遊ぶ上で忘れてはいけないものがある。それはゲームハード。その中で今最も”アツイ”もの、それはVR-仮想現実-ハードだ。
モニターを通しての映像ではなく、限りなく現実に近い光景を360度映し出す技術。世界を創造するといってもよい、それがVR。
初めてVR技術が世に出回るようになってから数十年、その技術の可能性を追い求めた者たちによってVRは圧倒的最先端の技術となり、今日でもその発展はとどまるところを知らない。VRの発展は世界の発展であり、多くの業界に取り入れられている。
ゲーム業界もその1つであり、むしろ技術発展に影響する最大手である。
そしてジェネシスレコードこそが現在のVR技術の集大成、いやこの先の発展の基軸となるゲームと評判だ。碧は改めて周囲の光景、VR技術によって作り出されたこの世界を目に焼き付けていた。
「続いてこの世界を生きていくうえでのあなたの姿を決めましょう」
碧は食い入るように見ていたもう1つの世界から視線を外し、ミリアのほうへ向きなおる。
ジェネシスレコードはVRゲームの中でも最も注目されているジャンル、MMORPG-大規模多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲーム-である。
ストーリー性のある世界で、ゲームのプレイヤーはただ1人のキャラクターを操作して様々な経験をしながら目的の達成を目指していくRPGというゲームジャンル、それを何千、何万、何十万、あるいはそれ以上のプレイヤーが同時にプレイするというものをMMORPGと呼ぶ。
それをVRというもう1つの世界に自分が降り立って遊ぶ。それがVRMMORPGである。
「俺の姿?……キャラクタークリエイトだな」
(事前情報として種族とその特徴、そしてキャラクターの見た目は現実の見た目を反映することも可能という話を聞いたが、やっぱり第2の人生を歩む気持ちでどうせなら見た目もカッコよく変えたい)
碧はどうせなら自分の容姿はかっこよくありたいと思っていた。加えてファンタジーの世界で現実の容姿は浮くかもしれない。現実の自分にコンプレックスがあるわけではない。しかしまったく別の自分というものになってみたかった。
MMORPGというゲームの特徴の1つとしてこのキャラクタークリエイトがあげられる。自分が操作するキャラクター、VRというゲームでは自分の分身、第2の自分ともいえる存在を産み出すシステムである。
「まずは種族を選択して下さい」
ミリアがそう言うと碧の目の前に透明な操作パネルが浮かび上がった。そこには種族名と種族特有の装備を着た見本となるリアルな立ち絵が並んでいる。
上から『人間』『獣人』『エルフ』『ドワーフ』『竜人』『妖精』『ホムンクルス』……様々な種族が存在し、その中のいくつかの種族が選択できるようになっている。種族の特性からプレイヤーではなることができない種族も、それぞれの種族の関係性や特徴の説明を兼ねて表示されている。そして選択可能な種族から2つの組み合わせを取ってハーフの種族を選択することもできる。運営からは「今後も新たな種族がこの世界で発見されるかもしれない」と告知されている。
種族名の下には種族に関する簡単な説明が並んでいる。人間に関して特筆することはないが、例えば獣人なら犬、猫、狐などの数十種類の動物から元となるものを選択可能で、エルフは純エルフ、ダークエルフと2つから選択することができる。ホムンクルスは錬金術によって作り出された人造人間であるが、この世界において新たにホムンクルスを産み出す技術は失われているらしい。プレイヤーがホムンクルスを選択したらどこから生まれたのかという謎はあるが……。
プレイヤーが選択できない種族にはシェイドという影の存在がいる。一定の形を持たず、子をなすこともない。どこからともなく発生した霧のような存在が意志を持ち、人間の形をとるようになったという種族だ。人の形をとっているときの見た目は一般的な人間と変わりない。
TRPG時代のジェネシスレコードとは異なり、VRゲームとなったジェネシスレコードには種族によるステータスの差は少ないと言われている。公式からは種族よりも職業や個人のキャラクター育成による影響が大きいと発表されている。種族選択による影響は見た目の違いとゲーム中に発生する特定種族限定イベントやランダムクエストに違いがでるくらいである。
(人間はバランス型で獣人やドワーフ、竜人は人間より力が強そうだし、エルフは他より魔法を使うのに秀でているとか大きな補正があったりしそうなものだが、これはこれで一部の種族だけにプレイヤーが集中するといった問題がなくなるから良い調整だと思うな)
碧はこの仕様に賛成だった。
「まあエルフや竜人、シェイドが多そうな気はする。それと世界に入りやすい人間も多いだろうな」
碧は1つ1つ種族説明を真剣に読み進め、自分にはどれがあっているのか、どのような姿で第2の生を謳歌するのかを悩む。人間以外から選択し、純粋な人でなくなるというのも面白い選択だと感じた。
「ん?種族ごとの限定スキルはあるのか。決まったものじゃなくてランダムに手に入るそうだが……まあステータスに違いがないならあまり気にしても意味ないし、やっぱり見た目で選ぶか」
碧はいくつか候補を決めたうえで最終的にエルフを選択した。
「続いてキャラクターの姿を決めます」
パネルの左側に自分の姿が表示される。現実の碧と同じ姿の人間がこの世界の服らしい旅人っぽい服装を着ている。
(なんだこれ……ちょっと気味が悪い)
碧は鏡を見ることとは少し違う違和感に眉をひそめた。自分自身が作り出されたキャラクターの1つとして存在している。
「現在は現実でのあなたの姿を反映しています。これをもとにキャラクタークリエイトを行うこともできます。あるいは右側に表示されているあらかじめ用意されているプリセットを参考にすることもできます。ご自身の好きなように作成したい方は詳細設定を選択して、一から姿を考えることもできます」
その説明を聞いて、碧は迷わず詳細設定を押した。碧はこういうキャラクリにはかなり時間をかけるタイプで、加えてせっかくの異世界で全く自分と同じというのももったいないと思う性格であった。それは種族をエルフにしたことからもうかがえる。
(性別は男性、身長はリアルよりもちょっと高めの170後半くらい。エルフにしては珍しいとされる黒髪でインナーカラーとしてちょっと紫を混ぜて、エルフは髪が長いイメージあるけどそこまで長くなくていいかな。エルフの特徴でもある耳の長さも調整が利くのか……なら人間より少し長い程度にしよう)
「どうしよう、耳が長いエルフのほうが偉いとかエルフ基準で美しいとかあったら……このゲーム、NPCとどう交流を持つかっていうのがかなり重要だと思うからな。現実と同じく取り返しのつかないことはしないほうがいいかな。キャラクターデータを消去して新規のキャラクターを作り直すこともできるらしいが、できることなら一生愛せるキャラクターを作りたい」
完全に自分の世界に入り込んだ碧は、自然と頭で考えていることを口に出していることにも気づかないほど熱中してキャラを作りこんでいった。
……
……
……
(世界で最も詳細にキャラクターを作り出せるゲームだなこれは)
碧がキャラクリに相当な時間をかけたのは言うまでもない。満足のいくキャラクターがパネルに表示されたのは2時間以上経過した後だった。
「……終わりましたか?」
ミリアはわずかに呆れの混じった声で声をかけた。碧は満足そうに微笑を浮かべながら目を閉じ何度も頷いている。彼女の顔からは「いつまで待たせるんだ」という声が聞こえてくるようである。
「ん?ああ、完成したな」
神坂が顔を上げるとミリアは女神然とした完璧なほほえみを浮かべている。
(あれ?今一瞬……)
「初期装備は種族特有の衣装と全プレイヤー共通の旅人の装備、ゲーム開始時点ではこの2種類から選択する必要があります。お好きなほうを選んでください」
碧が疑問を抱く前にミリアは次の説明に移った。
改めてパネルを見ると、そこには碧の最高傑作が2人並んで、別々の装備を着て表示されている。片方は革の鎧や布のズボン、小手、ブーツなどの装備としては軽い動きやすそうな装備。肩を覆うように首に巻いた布がトレードマークのようになっている。
もう一方はベトナムの民族衣装、アオザイのような見た目の服装。前者が共通装備、後者が種族装備である。
「せっかくだからエルフ特有のほうにしようかな」
特別感に惹かれて種族賞美を選択する碧。
「次にキャラクターのジョブを選択してください」
今度はパネルにジョブが表示される。ジョブとはキャラクターの職業であり、剣の扱いに長けている剣士や魔法を扱う魔法使いなどが存在する。
ゲームをやっていくうえで最初にキャラクターの職業を決める必要がある。ゲームに参加してから後になってジョブを変更することもでき、ジェネシスレコードの世界を生きるにあたって1つの指標となるようなシステムである。
碧はジョブの説明と各ジョブについての説明を流し見していく。
「オンラインゲームにしては珍しく参加者を募集したβテストとかなかったからな、戦闘に関してはどのジョブが強いとか知っているプレイヤーは皆無だろうし、運営もほとんど情報を出さなかった」
戦闘をメインにするようなジョブもあれば、生産職と呼ばれる、建築家や服飾士、料理家といったジョブも存在する。モンスターと戦ったり、冒険をメインに楽しみたいプレイヤーは戦闘職を、専門家として生活したり、釣りや農業を営みゆったりと遊びたいプレイヤーは生産職を選ぶ。
碧は上から順に見ていきながら、ある1つのジョブを探す。もともと神坂の中では選択するジョブは決まっていた。そして目的のジョブを見つけると迷いなく選択する。
「魔導師でよろしいですね?」
「ああ、これでいく」
「それでは最後にこれを」
操作パネルが消え、ミリアは両の掌を重ねて上に向け皿を作るようにすると碧の前に差し出す。
その手には指輪がのっていた。緑色の透き通った宝石が特徴的なシンプルなデザインの指輪。
「これは?」
碧が指輪を手に取り、よく観察しながら尋ねる。
「これはプレイヤーであることを証明する物です。指の大きさに自然とフィットするようにできておりますので、どの指にはめても問題ありません」
それを聞いた碧は少し考えたあと左手中指にはめた。
(指輪ってはめる位置によって意味があったよな?左手中指は……なんだっけ?)
「まあいいか、普段指輪なんて付けないけどここが一番収まりいい気するし」
碧はまだ少し違和感があるのか何度も指輪の位置を調整してはさすっている。
「指輪の位置はいつでも自由に変えることができます、必ずしも指にはめる必要はなく、ネックレスなどのように加工することもできます。ただし指輪自体を変形させることはできません」
なるほどと碧は頷く。つまり判定はわからないが身に着けているという状態であれば問題ないということである。
ふと、碧は指輪をはめているという感覚が薄れているのに気づく。
「指輪をはめているという感覚は徐々に薄くなっていきます。そのため邪魔になるという事はほとんどないと思います」
ミリアは神坂の思考を読み取ったように指輪に関する説明を補足する。
「そういうものか……」
碧はまだいまいち実感に乏しいが、違和感にならないなら、それに越したことはないと納得する。
「『ウィンドウオープン』と唱えてみてください」
「え?うぃ……『うぃんどうおーぷん』?」
碧の聞きなれない単語をミリアが話した。正確に聞き取れたか聞き返すため碧が同じ単語を繰り返すと言葉が途切れると同時に、目の前に先ほどの操作パネルと同様のものが現れる。
碧は驚いてそれを見つめ、今まで様残なゲームをやってきた経験から答えを導き出す。
(これはコマンドメニューか?)
「そのウィンドウからゲームの設定や自身の状態、ゲーム内時刻と現実の時刻など様々なものが確認できます。今ウィンドウを表示してもらいましたので、次からは頭の中で意識すればウィンドウを表示することができます。同じく非表示にしたいときも頭で意識することでしまうことができます」
「それならよかった。『OK, Goo〇le』とか『Hey, si〇i』とか、ああいうの恥ずかしいって思っちゃうタイプなんだよな」
碧がさっそくウィンドウを閉じるように意識をすると、確かにウィンドウは一瞬で消えた。碧は確認のため2回その動作を繰り返した。
「ゲーム内ではスキル名を言葉に出すことで発動するスキルや、使用するときに詠唱が必要な魔法もあります。問題ないでしょうか?」
碧が声に出すことをためらっていたからか、ミリアは具体的な状況を告げ確認をとる。
「そこらへんはファンタジーってことで納得するかな、確かにそう考えると人前で声を出すのとか簡単に慣れそうか」
(うん……ファンタジーなんだよな。ゲームの中だし誰も気にしないか)
「これまでの説明で疑問点はありますか?」
「いや、ないな、すぐにでもゲームを始めたい気分だ。説明とキャラクリだけでワクワクがすごい」
もう待ちきれないとばかりにゲーム開始を催促する。碧はゲームへの期待でにやにやが止まらない。
「分かりました。それでは“リンドウ様”『ジェネシスレコード』でのあなたの物語が良いモノになるよう祈っております」
リンドウ……それは碧が自分の分身につけた名前。
ミリアが両手を組んで祈りのポーズをとると周囲がまぶしくきらめき、世界が真っ白になる。
碧の視界は徐々にぼやけていき、意識がフェードアウトしていく。
……
……
……