「教皇なんてどうせ裏で悪どいことをしてるオッサンなんでしょう?」
──誰かが呟いたその言葉に、わたしは耳をぴくぴくと震わせた。
ある休日の朝。ベニス共和国にある交易都市の広場が賑わっていた。教会総本山から司牧訪問にやってきた教皇が演説を行っているためだ。
おかげで広場は信徒達ですし詰めとなっているが、その中には他人事そうな目をした人々の姿も多い。おそらくは興味本位や、広場で開かれているイベントのついでで覗いている未信者の口だろう。
「身なりは立派だけど……あんなの、ただの太ましいオッサンってだけじゃんかよ」
ぴく。
「っていうかあの人、セクハラやモラハラを働いてそうな人相してない?」
「分かる! うちの上司に似てるって思ってた! 最悪だねー」
ぴくぴく。
「高尚な方だっていうけど、そういう奴らに限って、裏金だ、風俗だ、なんて犯罪に身を染めてるもんだしな」
「つーか、実際にそういう世相の時もあったんだろ? やだねー、ああいうお偉いさんばっかイイ暮らししててさ……信徒から巻き上げた金で、いいご身分だよね」
「ずるいよなー」
ぴくぴくぴく!
……悪い話ほど耳に入ってしまうとはよく言うが、さてどうしたものだろう。
平常心、平常心と心の内で復唱する。
演説を終えると、信徒の皆が温かい声援を送ってくれた。それに応えるべく、わたしは皆に手を振る。が、
「うわっ。あのオッサン、デブに加えてハゲじゃん」
「最悪のコンボだな」
その聞き捨てならない純粋な悪口にわたしの鉄壁の表情筋は決壊寸前だったが、奥歯を噛み締めることでなんとか笑顔を保って、わたしは壇上から降りた。
「ホセ様」
すると、今日の護衛でついてくれている『治安部』の警護員が険しい顔で、
「あの不敬者達への処罰はいかがされましょう?」
「……構わないよ。放っておきなさい」
「ですが……」
「あんな陰口に付き合うほうが時間の無駄さ。それよりも、次の予定は?」
「……かしこまりました。次は会食となりますので、移動しましょうか」
「ああ。引き続き、警護をよろしく頼むよ」
そんなこんなで、今日一日の予定が終わる頃にはすっかり夜になっていた。
領事館のわたしに割り当てられた部屋に戻ると、入り口のドアや窓の戸締りを入念にチェックした後、大きく息を吸い──
「ハゲって言うなーーーーーーーっ!!!!」
べちゃっと、すぐ近くのソファーに泣き崩れた。
「別にそう言われるのは今にはじまったことじゃないけど! だからって言っていいことと悪いことはあるじゃないか! 確かにわたしの外見はこんなんだけど、でも改善はしようと頑張った結果がこれで、中々に克服できないことだから人はそれをコンプレックスと呼ぶというか……うううう、今日も言われたい放題だったよおおおおおおっ!!!!」
本日負った心の傷に、わたしはおいおいと涙した。
「ぐす……そんなに髪の毛、薄くなってるかなあ……」
サイドテーブルに置いてある手鏡を取って覗いてみる。
写るのは、冴えない面をしたでっぷりオッサンが一名。
正しくわたしだ。
頭部の毛髪は、わたしの嘆きに比例してしおしおして見える。
「……ハゲてるな……」
見間違いがない現実に、ほろりと涙が流れるのだった。
わたしは教皇である。名前はホセという。生まれはとんと見当がつかない。帝都の教会の庭でかくれんぼをしていたら友達に見つけてもらえず、ぴーぴー泣いていたのがわたしの記憶の始まりである。
育ててくださった職員の方々が言うには、わたしはモンスター災害で滅びた片田舎の孤児だという話だ。悲しいぐらい、よくある出自である。そんな子供が成長したら世話になった組織のトップになっているのだから世の中は何が起こるか分からないもので──うん。なんでほんとこうなったんだろうね??
確かに、お世話になった教会に恩返しをしたいとは常々に思っていたけれど……だからってここまでの地位につきたかったかというとそんなことは全くもってしてなくて。しかしあと一、二年もすればこの仕事も一〇年の大台に乗ろうとしているのだから、長いものだ。
それだけ勤めてみても、正直この仕事には未だ慣れない。大変なことだらけだし、すごく荷も重いし、今日みたいな悪口も絶えないしと、悩み事に事欠かさないからだ。現に、そのお陰で髪の毛はすっかり薄くなったし……。
とまあそんな具合で毎日のストレスは酷いけど、そんなわたしにも密かな楽しみがあった。
「失礼します……」
控えめなドアのノック音。扉を開ければ、一人のメイドの姿が。
「よく来てくれたね、リズくん」
彼女はわたしの世話を焼いてくれている侍女の一人だ。
そっと部屋の中に招き入れると、彼女はおずおずとかしこまって、
「ホセさま……。本日も、本当に……?」
「あぁ、もちろんだ」
「お……おやめになってください。こんなこと、これ以上はいけませんわ」
「いけないことなのは、わたしもよく分かっているよ。それでもなんだ」
「そんな……」
「ふふ。今日はどんな具合なんだろうね……?」
わたしは目を細めて、手をわきわきさせる。
一方、リズくんは暗い顔でうつむくばかりだ。
ふむ……。これはよろしくないな。
「リズくん、そんな悲しい顔をしないでおくれ。第一、君の用意はもう済んでいるのだろう? 今更なしなんてのは、君にとっても酷なことなんじゃないかな?」
「それは、そうですが……」
「気に病むことはないんだよ。これは、わたしが求めているだけの話なんだ。だから君は黙って、言うとおりに従ってくれればいいんだよ……」
「ホ、ホセさま……そこまで、わたくしの……?」
「ああ。是非とも頂戴したいんだ!」
少しの沈黙の後、リズくんはスカートをたくしあげてカーテシーの所作をする。
「かしこまりました……。そこまでおっしゃってくださるなら、ホセさま。つたないものですが、どうぞお召し上がりくださいまし──」
かくして。
ソファに腰かけて、わたしは彼女の奉仕を甘んじて堪能した。
もぐもぐ もぐもぐ
ずずー……
「は~……おいしいねー……」
口の中いっぱいに頬張って、紅茶をすすり、満喫する。
テーブルに並べられた、リズくんお手製のお菓子を。
「うう……また衣装担当の者から、ホセさまの衣服サイズが合わなくなったと小言を受けてしまいますぅ……」
「ご、ごめんね……。でも、これがわたしの貴重な楽しみなんだ。だから申し訳ないけど、またよろしくお願いね?」
「はい……。分かっておりますわ。ホセさまのためなら、火のなか水のなかですもの……!」
「そ、そこまで気負う必要はないんだよ……?」
というか、そんなガン決まった目をされても困っちゃうよ。
心の内でそんなことを思いながら、わたしはクッキーを頬張る。おいしい。今日もリズくんが作るお菓子は最高だなー。
……こんなことをしているからでっぷり体形がまた極まるのだと分かってはいるけど、これがわたしの貴重な憩いの一時せなんだから、仕方がないよね!
◇◇◇◇◇◇◇◇
「んん……?」
その日の深夜。外が騒がしくて、わたしは目を覚ました。
何かあったのかとわたしの部屋前の警護員を呼ぶと、
「ホセ様はどうかご自室で待機なさっていてください! あなたの命を狙ったものと思われる不届き者達を捕まえたのです」
「なんだって!? 彼らは今、どこに……!?」
「中庭ですが……ホセ様!?」
制止の声をふりきって、わたしはどたどたと走りだした。
ああもう!こういう時に体が重たいと不便だなあ!
「──ホセ様の命を狙う逆賊どもめ。その罪、貴様らの命であがなうがいい!」
中庭まであと一歩というところで、そんな叫びを耳にした。道を曲がれば、警護員達が捕まえた人達に剣を振りかぶるところ──!
「やめなさい!!」
「ホセ様!? なぜここに……!」
ぜえぜえと息を切らしながら、わたしは皆の説得に乗りだした。
「はぁ、はぁ……も、モンスターや厄災みたいに、話が通じない相手じゃあないんだ……処断をどうするかは、一通りの話を聞いてからでも、っはあ、遅くはないだろう……?」
「ですが、この者共はあなたの命を狙っていたのですよ!?」
「ありがとう……。わたしの身を心配して、そこまで必死になってくれているんだね……。確かに、わたしにとってはそうかもしれないけれど……でも同時に、彼らを知る人達にとってはかけがえのない人々のはずなんだ。それならやはり、むやみな殺生は避けてしかるべきだよ」
「しかし……!」
いきりたつ皆をなだめすかす。
でも、そんなわたしの態度に思うところがあったのだろう。
捕えられた一人が舌打ちをこぼした。
「偽善者め……。貴様のその甘っちょろい口八丁で、我々がほだされると思っているのか!?」
「貴様っ! ホセ様の慈悲になんたる無礼な……!」
「まあまあ。……そうですね。ですが、そうやって人々との対話を続けることが、わたしの使命ですから」
地面に膝をつけて、縛られた一人一人と目を合わせる。彼らの眼光はいづれもギラギラと殺気立っていて、とても険しい。その上で、わたしは努めて穏やかに話しかけた。
「貴方がたは、どうしてこのような行いを?」
「心当たりがないとは言わせないぞ!」
怒り心頭に彼は叫び始めた。
「我々は貴様の裏の顔を知っているぞ! 信徒が収める献金を不正に使って豪遊をしているのだろう!?」
「ホセ様がそのような不徳を成されるはずがないだろう!?」
献金の不正利用は心当たりないけど……毎晩、おやつを堪能している件は豪遊に入るのかな……?
「それだけでなく、各国の要人から裏金を頂戴し、それを自身の毛髪復活のための研究資金に回しているだとかっ!」
「馬鹿を言うな! そんなくだらないことをホセ様がされるかっ!」
裏金とか研究は知らないけど、育毛剤探しには余念がないかなー……なんて、とても言いだせる雰囲気じゃないな……。
「あまつさえは、立場の弱い女性に無理を強いて、尊厳を踏みにじるような行いを……!」
「いい加減にしろっ! これ以上のホセ様への愚弄は許さんぞっ!?」
よもやそれは、リズくんにお菓子の用意をお願いしていることかあ!?
まずいぞ。これには本格的に反論できないかもだ!
…………いや。本当にそうかなあ?
しかし、追及の内容はどれもビミョーに覚えがあるものばかりだ。そう考えると、確かに彼らの訴えは身から出た錆ではあるのかもしれないな……。
「──貴方がたの言い分は分かりました」
背中が汗でぐっしょりしていたけど、なんとか表情は「厳格で寛大な教皇」を保った。ふっ。だてに対談や演説で磨かれた表情筋じゃないんだぞ。この程度の焦りは朝飯前だ。
「どれも正確性に欠けるところはありますが、いづれもわたしへの不信から生じた疑惑ではあるのでしょう。わたしは貴方がたの意見を真摯に受け止めさせていただきます」
「! 自分の非を認めるということか……っ?」
「そこまでは言いませんが……信徒や未信者の意見・不平不満を受け止めるのが、女神様の威光を借るわたしの職務ですからね。煙が立たないところに火は立たないとも言いますし、これを機に、わたし自身の行いを省みさせていただきます」
具体的には、リズくんのお菓子や育毛剤探しの自粛とかね……。ううっ、わたしの貴重な憩いがぁ……!
「綺麗事を……!」
「綺麗事ですよ。ですが、治世を志す上でこれほど大事なこともありません。人は、良心を決して捨てられない生き物なのですから。だからこそ……誰がどうであろうと、わたしだけはこれを貫かなくてはならないのです。皆の信心を預かる教会の最高責任者として、ね。貴方がたの命を尊重するのも、その一環なのですよ」
にこ、とわたしは笑顔を浮かべる。
笑うという感情表現は、基本的には相手への敵意がないことのアピールになる。
実際、眼前の彼らは呆気に取られて、わたしへの敵愾心を削がれているようだった。
「わたしへの不信でこのような罪に手を染めてしまったことが本当に悔やまれますが、犯してしまった罪はしっかりと清算しなくては。最終的にどのような処断が下るかは分かりませんが……だからといって、安易に命を粗末にしてはいけませんよ。貴方達の名前を呼んでくれる誰かが居るなら、猶更です。心当たりがあるならば、どうか可能な限り、自身の命を大事になさってくださいね──」
捕えられた彼らは相変わらず不満げな顔をしていたけど、一様に口をつぐんでいたので、一旦は冷静さを取り戻してくれたのだろう。これならもう大丈夫かと思い、わたしは後のことを『治安部』の警護員達に託すこととした──。
そんな具合で、彼らが連行されていった後。
「ふう……」
一仕事を終えたわたしは、肩の荷を下ろした。
どうなることかと思ったけど、なんとか流血沙汰は避けられたな……。
襲撃犯でも、人の死亡被害が生じると後の処理がより大変なんだよね。いやー、不要な手続きが減ってよかったよかった……。
「ホセ様! 流石のご高説でございました」
「いやいや、そんなことはないよ……。それよりもすまないね、君達の仕事を邪魔をして」
「いいえ、とんでもございません。改めて、ホセ様の素晴らしさを垣間見れて、感服いたしました!」
「ははは……。本当にそこまで敬服されるものではないんだけどな……」
「後のことは我々で対処しますので、どうぞお部屋でお休みになられてください」
「そうだね……。それじゃあ、お言葉に甘えようかな。夜分遅くまでお仕事、お疲れ様です」
ありがたく、わたしが部屋に引き返していったあと──
「逆賊が相手でも、あんな対等に説得に乗り出すなんて……ホセ様は本当に人命を重んじられる方だな……」
「ああ。しかも、自分の非を決してないものとしないあの誠実さ。流石の思慮深さだ」
「うちの部長にも見習って欲しいもんだよなあ……」
「バカ。それは言わない約束だろ」
なんて。警護員達がそんな噂話を立ててるとは露知らず。
「ううう……わたしのおやつタイムがあ~~~~……」
自分のベッドに戻ったわたしは、自分で決めた禁制の誓いにしくしくと涙するのだった。
こういう創作ファンタジーで王様や領主と同じぐらい悪役にされる職業ランキングトップに入っている印象があったことから思いついたネタです。
この教皇さまは確かな善性と親しみやすさで成り立ってるイメージです。
連載のこのへんの話(https://ncode.syosetu.com/n9153ip/30/)で部下の一人が暴れてるんですけど、今の教会の主要メンバーの多くは問題を起こす個性派ぞろいなので、その皺寄せを処理できるトップが据えられてるんですね。タイヘンダナー。
この人に関連したネタは他にも色々と思い付いているので、今後もなんらかの話はあげると思います。




