第95話
ルーシェが弾き出す銃弾が、流れ弾もこぼれ弾も、その全てを撃墜する。
「……“南十字に聞こえや叫べ” “徒野の空に、夢を降ろせと”」
トゥルバが呪文を紡げば砂塵が巻き上がり、軍隊の視界を徐々に奪っていく。
それでも喚き散らかす隊長格の一声に、部下たちが乱れることなく引き金を引く様は確かに、日々の鍛錬の賜物なのだろう。
だが、いくら軍隊が矢継ぎに銃弾を飛ばしても、トゥルバたちに届くことはなかった。
針に糸を通すような正確さで、ルーシェが追尾し、迎撃する。砂塵が太陽を遮っても鈍い金色と輝くその銃口は、銃撃の隙間から新たに撃ち飛ばし、軍隊の端から順番にその足を打ち抜いた。
致命傷にはならないが、一人、また一人と動けなくなる仲間に、緩やかな焦りが広がっていく。
「“真昼の月に応えや踊れ” “白亜の大地に、波を寄せよと”」
空は砂に覆われ、陽光は届かなくなり、赤黒い闇が訪れた。
どこに発砲して良いのか、誰を敵としていいのかも分からず、ただの人間たちは呼吸を震わせる。
「……“もういいかい”」
小さな子供の声が、闇の中へこだました。
得体の知れない恐怖に貶められた軍隊の発砲音が、一瞬だけ、静寂に包まれた。
「“もういいかい” “もういいよ” ……“どこにもあすは、あたえないから”」
蠢く闇に悲鳴すら飲み込まれて、乱れのなかった軍隊の整列が崩壊する。
チェンノッタが伸ばしていた魔法陣の上で、強力な魔法が網となって帝国の軍勢を拘束した。
彼らはあっという間もなく地面に押さえつけられ、身動きの取れない状況に悲鳴をあげる。
トゥルバはルーシェを下げ、緩やかに砂塵を解くと、冷めた顔でゆっくりと近寄った。
「……どうするの?」
「この人数だ。逃して情報を持ち帰ってもらった方が、いいかもな」
万が一、二人で調査中に交戦になった場合。余計な殺生はするなと、セオドアからキツく言われている。
特にチェンノッタはその観念が緩いので、トゥルバが逃さなければ、何の感慨もなく魔法を行使したことだろう。
少年は小さく鼻を鳴らし、身動きが取れないまま睨む隊長格を見下ろした。
「だってさ。よかったね、おじさん。皇帝さまに会ったら、僕らの邪魔をするなら容赦しないって、伝えておいてよ」
「このっ……下賤な民草の分際で……!」
「はいはい、そうだね。国に帰ったら文句を聞いてもらったら」
大した興味もなくチェンノッタが話を切り上げようとした時、トゥルバはふと、違和感を覚えて目を瞬かせた。
パチ、と何かが爆ぜる音が聞こえた気がして、倒れる軍勢を見下ろす。
埋めき倒れる一人の背中から、緩やかに芽吹いた春の花が見えたような、錯覚がした。
「っチェンノッタ!!」
異変に気がついたウィズィが声を張り上げる。
その声に反応しようとした少年だったが、時すでに遅く、周囲を立体魔法陣が取り囲んで、ウィズィが掴んでいた肩から弾き飛ばされた。
「……!!」
何事か大声を出す様子が見え、しかし壁に阻まれた声が届かない。トゥルバがチェンノッタの足元に魔法陣を展開するが、まるで嘲笑うように崩れ解けて、朽ちていく。
甲高い咆哮を上げて、ヒルギ科植物を模した異形に戻ったウィズィが、立体魔法陣に根を巻きつけた。しかし以前のシテラと同様、立体魔法陣の力で急速に根が成長し始め、ボコボコと歪な形状になり腐り始める。
気が触れそうな激痛にウィズィが根で地面を叩き、しかし立体魔法陣に巻きつけた根は離さず、己の内側に引き寄せた。
「ウィジャネクロイ、ダメです、それを放しなさい!!」
ルーシェが悲痛に叫ぶが、彼は決して力を緩めない。
「っ!! っ、っ!!」
何度もチェンノッタが首を振って、自分の魔法も行使しようともがく。しかし逆に身体が闇に囚われて、彼は瞠目しつつ泣き叫んだ。
ママ、と呼ぶ声は外に漏れず、トゥルバの魔法陣も歪み消滅を繰り返す。
「チェンノッタ!! くそっ、一体どこから……!!」
「未だ女神は我らの味方だ!! お前たち、体制を立て直せ!!」
動揺するチェンノッタの魔法が打ち消され、拘束が解かれた軍勢が銃弾を装填し始めた。シリンダーを引く鋭い音が響き始め、トゥルバはルーシェの銃を一丁、引き寄せる。
腕で標準を合わせながら、躊躇わず隊長格に向けて発砲すると、寸前で銃弾が木っ端微塵に霧散した。
彼らの銃に付与された立体魔法陣が、危うい発光を帯びて春の花を開かせる。
それは盾にも矛にも軍勢を守護し、トゥルバの魔法に牙を向いた。
その間も立体魔法陣に囚われた少年の体が、徐々に地面へ伸びる影の中に沈み始める。
見覚えがある状態は、チェンノッタが行使する転移魔法のそれだ。おそらく規格外の力で魔法陣が書き換えられ、以前、エルシィを飛ばした時のようにチェンノッタを転移させるつもりなのだろう。
以前はセオドアがいたが、今、この状況を打破できるのはトゥルバしかいない。
トゥルバは周囲を確認する余裕もなく、ホールボーム帝国の飛び地だという領土全てを覆うほど、巨大な魔法陣を展開した。
案の定、端から崩れて壊れていくが、呪文を叫んで瞬時に形成し直す。トゥルバは何度も、何度も、美しく乱れのない円を作り直した。
チェンノッタをこの地へ食い止める事だけが、今できる全てだ。ここで義弟を見捨ててはいけないと、トゥルバは鉄の味がする口内に気が付かないふりをする。
絶望に染まり背を向けるほど、内なる闘志は消えていない。
全ての装備を終えた軍勢の銃口が、一斉にトゥルバへ注がれる。ルーシェも形を組み替えようとするが、意識の大半が魔法陣の維持に割かれているトゥルバに、これ以上の負担をかけられないと銃身が揺れた。
躊躇いを見せる彼女に、トゥルバが軍勢を真っ向から睨みながら口角を上げる。
「ルジー、大丈夫だ」
「ですが聖女トゥルバ。幻想生物と聖女は同体。あまり派手な立ち回りは、御身に影響します」
「問題ない。俺がイヴドラとイレアの養子だという事を、忘れたのか」
皮膚から汗が吹き出し唇が震え、それでもトゥルバは緩慢に片手を持ち上げた。
「タールバ・サックス・トゥルバ。そう名乗りを変えた時から、俺の目指す場所は決まったんだ」
強い魔法を行使し過ぎた脳が警鐘を鳴らす。視界は赤く点滅し吐き気が込み上げる。
それでもトゥルバは決して諦めたくなかった。
戦う意志がここにあることが、今までも、これからも、この心を奮い立たせてくれるから。
ルーシェはトゥルバを見下ろし、緩やかに形を変えていく。
「……貴方の意志が我が命。貴方の勇気が我が力。聖女トゥルバ、共に参りましょう。ワタシが絶対に貴方を守ります」
首に細く白い腕が回る。張りのある伸びやかで、聞き惚れるほど美しい声が鼓膜を打つ。
驚愕に言葉を失うトゥルバが、見上げた先にある横顔はいっそ恐ろしく、平伏しろと脳に訴えるほど均整が取れた相貌だ。
だがどことなく、似ている。
「……お袋殿?」
無意識に呟いた呼び名に、彼女はうっすらと微笑んだ。




