第93話
エルシィが伸ばしかけた腕を、トゥルバが遮って一歩前に進み出る。
「ひとまず明日、日が登ったら様子見を見に行ってくる。第一王子、アレは今の所、実害はないんだな?」
「あ、ああ。ただそこにあるだけだよ」
「ならいい。チェンノッタ、親父殿に報告しに行くぞ」
「え……、……、…………分かった」
ウィズィを見上げて何事か伝えかけ、しかし眉を寄せて顔を逸らし、チェンノッタはエルシィの腕を引く。
戸惑うエルシィだったが、カロライナにも促されて足を踏み出した。
風に揺れるオウムは飛び立つ事なく、一向を眺めて口を閉ざす。
肩越しに振り返ったエルシィは、やはり居ても立っても居られず、チェンノッタの手をやんわりと解いた。
「ママ!」
「ごめんね、でも大丈夫。すぐ戻るわ」
トゥルバに目配せすれば、彼は意図を察してくれ、チェンノッタを片腕に抱え上げた。
放せともがく小さな体を押さえ、大銃をエルシィに向けて放り投げる。
驚いたエルシィが受け止めようとすれば、瞬時に形が組み替わり、エルシィの上体にまとわりつきながら、四方八方へ銃口を向ける姿に変化した。
カロライナが思わずマシューの腕に抱きつくが、彼女は喉から出かけた悲鳴を寸前で飲み込み、目を見開くだけに留める。
マシューも同じく驚愕に口元を引き攣らせ、後方で様子を伺っていた使用人の声も聞こえた。しかし第一王子は深呼吸をしてから、従者たちを片手で制する。
「ルジー」
己が幻想生物に声をかけ、トゥルバは剣呑に目を眇める。
「お前はウィジャネクロイが何か知っているな」
エルシィを要塞の様に守る彼女は、声を出さずに銃口を軽く下げた。
「チェンノッタの言葉に、お前から動揺も焦りも、驚愕すら、何も感じなかった」
「…………」
「何を隠して黙秘したいのかは知らねーが、お袋殿の敵にはなるなよ。……俺たちは王から、お前たちを庇ってやる事はできねーぞ」
「っ……」
行くぞ、と声をかけて踵を返すトゥルバに、ルーシェが何かを言い淀んだ。
しかし彼は一瞥もくれる事なく、もがいて暴れるチェンノッタを脇に抱えて歩き出す。
マシューとカロライナは戸惑った様子だが、同じく困惑するエルシィと顔を見合わせて、小さく頷いた。
「……君たちの間にも、色々あったようだね。ハープシコードには、話が終わったら君の傍に行ってもらうよ」
「すぐに向かわせますわ、姉様」
「ありがとうございます、殿下、カティ」
申し訳なさを感じつつ、エルシィは四人を見送る。
改めてウィズィに視線を戻せば、オウムは大樹を眺めて瞳を細めていた。
エルシィはおもむろに片腕を差し出し、指先で羽を撫でる。
驚いた様子で顔を向ける彼に微笑めば、エメラルドのオウムは何度かくちばしを開閉した。
この場に残りたかったのは、ウィズィの気配がセオドアに似ていたからだ。仲間のいない場所で一人きりで、残していきたくなかったからに他ならない。
ウィズィが何者か分からないが、意図があってウィジャネクロイと名乗っているのだろう。彼の内情を知っているらしいルーシェも、聖女に害なそうとしているわけではないはずだ。
ウィズィはエルシィに視線をやり、躊躇う仕草をするも、大人しく腕に飛び移って羽をたたんだ。
「…………聖女トゥルバに嫌われたら、ウィジャネクロイのせいです。訴えます、蜂の巣にします」
抑揚に乏しいながらも、暗い声音でルーシェが弱々しく呟く。
「しょーがねーだろうよ。あそこで誤魔化す方がヤベーだろ? オメー様だって何も言えなかったじゃねーか」
「それはマライカス第一王子と婚約者がいる状況で、驚かせるのは忍びないと思ったからです」
「へーへー、そーかよ。だが、いずれは違える道の上だ。遅かれ早かれってヤツだぜ」
言い募るルーシェに、ウィズィが諦めを滲ませた口調で諭した。
彼女は言葉を詰まらせ、エルシィの身体を守る銃口を迷わせて、その細い腕に触れる。
無機質な感触に体温はなく、それでもルーシェの迷いを表しているようで、エルシィは眉を下げた。
「道を違えるって、どういうこと? どこかに行くってこと?」
不穏な会話に面食らい、思わず口を挟む。
ウィズィがやや言葉を選びながら、視線は大樹を見据えて、翼の先端で器用にエルシィの腕に触れた。
「……さっき、オメー様には種が宿っていて、神を下ろすって話をしたな?」
「え、ええ」
「厳密には、母体樹に神を下ろすんじゃない。母体樹の神を下ろす。あの女が行おうとしているのは、オメー様にそもそも宿っている種を、……流すことだ」
「流す?」
「そうやって無理やり立体魔法陣を発動させて、オメー様に世界を崩壊させてきたんだろう。……だけど俺たちがオメー様に望むのは、そうじゃない」
彼は言いづらそうに言葉を切り、何度か唸って、しかし言葉を探しかねる。
流石に酷だと察したのか、ルーシェが言葉を引き継いで掠れた息を吐き出した。
「……我々は御母堂に、その種を産んで頂きたいのです」
「……、……うむ? っえ、え?」
まったく理解が追いつかず、というより追いつけるはずもなく、エルシィは思わず己の下腹部を片手で押さえる。
顔が赤らんでいいのか、青くなればいいのか、反応に困りながら己を取り囲むルーシェを見上げた。
ルーシェ曰く、産むと言っても人間同様の出産ではなく、発芽し、開花させるという表現に近いという。
立体魔法陣が芽吹かせるロータスに似たものかと、納得して胸を撫で下ろしたエルシィだったが、続くルーシェの言葉に目を見開いた。
「生きる神降ろしの原木、母体樹は、幻想生物を産む事は出来ますが、出産に耐えうる事はできません」
え、と。
エルシィは瞠目したまま、瞳を揺らす。
「……御母堂、あなたに宿る種を芽吹かせることで、世界は新しい終焉を迎えます。それはあの女も手出し出来ない強制力です。……我々の望みは、新しい世界へ進むこと。その為に、…………あなたに、命を絶って頂きたいのです」
相変わらず抑揚に乏しい。けれども確かに紡がれる言葉が鼓動の奥を抉っていく。
何も言えなくなったエルシィに、ルーシェの声だけが、凪いだ夜を揺らしていった。




