第90話
幼い頃。
勘違い聖女騒動が発覚する前の王城で、エルシィは約四歳から十二歳までの時を過ごした。
正直に言って身になったことは殆どなく、両親の元へも帰してもらえず、勉強も作法も詰め込みすぎてついて行けない状況に、てんてこ舞いであった。
だが幸い、勝手に婚約関係を結ばれたマシューも、婚約者であるカロライナも、エルシィにはとても親切だった。
特にカロライナは幼い時から、エルシィを“姉様”と言って慕ってくれている。
とは言っても年齢の違いはなく、エルシィの方が数ヶ月早生まれ、というだけだ。しかしハナバ公爵家の長女として、未来の王妃として、毎日の重圧に耐えていたカロライナは、エルシィが当然のように与えてくれる気遣いに、すっかり絆され懐いている。
今も部屋に通したマシューなどそっちのけで、エルシィにベッタリだ。
「カティ? 大事な話だから僕の隣においで」
「どうしてマシュー、意地悪だわ。あなたは機会があれば会えるけれど、ワタクシはそうもいかないのよ。エルシィ姉様を堪能させて」
「ちょっ、だめやだくすぐったい、吸わないで吸わないでカティ!」
腕に抱きついて、スゥ──と思い切り吸引するカロライナに、エルシィは顔を赤くしながら叫ぶ。このまま頬を差し出せば、すぐでも齧り付きそうな勢いである。
目を丸くする聖女たちの傍で、セオドアが片手で鼻から口までを押さえ、耳まで赤くしながら何事か言っていたが、トゥルバに背中を引っ叩かれ咳払いした。
「えー、あー、マシュー第一王子殿下? 話をしていいか?」
「ああうん、ごめんよ、カティはこういうところが本当に可愛くて可愛くて仕方がないんだ」
「分かった分かった、話を進めよう」
惚気が炸裂しそうになったので慌てて話題転換し、エルシィはセオドアに呼び寄せられて隣に座る。
カロライナは不服そうであったが、扇を開くと大人しくマシューの隣へ腰を下ろした。
そうすれば、おもむろにヨヒラがエルシィの膝によじ登る。チェンノッタが夫婦の中央に陣取り、ルヴィナがエルシィの隣へ、メイイェンがセオドアの隣へと、それぞれ座った。トゥルバはエルシィ側に寄りつつソファーの後ろに立ち、後ろ手に組んで姿勢を正す。
養父母に害なす存在は赦さない。そう言わんばかりの態度に、マシューも自然と佇まいを改めて、己の膝に軽く両手を置いた。
「手紙を読んだよ、ハープシコード。面白い状況だね。君には多大な恩もあるし、僕らマライカス家としては異存ない」
「話が早くて助かるぜ」
「と言うより、貴国がわが国と友好関係を樹立してくれる事は、こちらもありがたいんだ。フォアヘッケルはのどかな国だからね。戦乱が起きても立ち向かう術が乏しい」
そこはリリンベル国と同じなのだろう。
フォアヘッケル国は酪農が主産業の、国民性ものどかな国だ。
国土はそれほど広くないが、全国民が自給自足できるほど産業が発展しており、他国へも多く輸出している。
海に隣接していないので水産業は流石に厳しいが、世界の食糧庫と言われるほど実りある国であった。
王家も、武装より明日への生活を、と言う目標を掲げており、技術面の投資もその方向で進めている。
数年前は防衛にも国費を割いていたが、エルシィの勘違い聖女騒動があり、王家はかなりの非難を浴びたらしい。トミー大司教に大目玉を食らった教会と共に、反省して国の舵取りを変更したのだった。
ただ、とマシューは言葉を切り、カロライナと視線を合わせてから眉を寄せる。
「僕ら王家が納得していることと、家老達が納得することは別問題だ。家老の中には、ホールボーム帝国の動きに過敏になっている者もいてね。君たちを信用していない輩もいる」
「まぁ、それは真理かと思いますわ。あたくし達はまだ発足から僅かですもの。世界で信用を勝ち取るには、些か時間が足りていないのは否めませんわね」
セオドアに寄り掛かりながら足を組んだメイイェンが、猫目の双眸を細めてマシューを見つめた。
「ですが、それを踏まえてマライカス王家は、あたくし達を歓迎するパーティを開く、という事でよろしくて?」
「……そうですね、メイイェン前皇帝陛下」
「ほほほ、強気ですわねぇ。その真意はどこにあるのかしら」
苦笑まじりに肯定するマシューに、彼女は上機嫌に笑う。
生まれながらに王であるメイイェンは、例えイザベルの力で生死を繰り返していたとしても、周囲の傀儡ではない、と言っていた。
不老不死といった不名誉な話題性もあり、エルシィが思うよりも各国に存在を認知されている。
王座を降りたとはいえ、あの大国に女皇帝として君臨していた人だ。相対するマシューも話しづらそうで、隣り合うカロライナも扇の内側で目を伏せる。
「おおかた……あたくし達を国力に取り込んだように、見せたいのではなくて? あたくし達はたった七人と、家族である従者達だけの国ですもの。大多数の前で小さきは淘汰される。そうお考えでは?」
「まさか、それは深読みが過ぎますよ」
「あらごめん遊ばせ。では安心ですわね。パーティーが始まった時にあたくし達の養父母が、マライカス国王と同席になるなどと、そんな不躾な事にならなくて済みそうですわ」
満面の笑みで引き下がったメイイェンに、マシューの顔が僅かに引き攣った。
国同士が関わるパーティであれば、同格の国であれば同席に。上位の国を招待するなら、最も上座に席が来る。という事が、世界各国で暗黙の了解になっているのだという。
メイイェンの口調はまさに、エルシィとセオドアを、マライカス王家の同格と扱うな、という警告であった。




