第89話
それまで殺風景だった応接室は、聖女たちによって整備され、柔らかなソファーに大理石のテーブルが鎮座している。
廊下に飾ってあった額縁も移動し、見栄え良く掛け直せば、人の温もりが乏しかった場所が生活空間に様変わりだった。
もう半年ほど聖女たちと過ごしているが、いつ見ても魔法や魔術は万能である。
トゥルバが帰郷し内情を見てきたラバタール連邦は、最高権力者の交代で混乱はあったものの、今は落ち着いているという。
遊牧民族たちも都市部に定住でき、安定した生活を送れているということだった。
寝て起きても興奮冷めやらぬヨヒラを宥めつつ、セオドアはソファーに凭れ頷く。
「なら、そろそろマシュー第一王子から返答も来るだろうし、まずはそちらだな」
「ああ。ただ、どうやらホールボーム帝国が、ラバタールの連盟国から武器の購入を進めているようだ。これは前からある取引らしいが、少しずつ動き出した可能性もある」
三人がけの椅子に悠々と座るトゥルバが、わずかに表情を固くする。
隣でテーブルいっぱいに並べらた菓子類を頬張っていたメイイェンが、目を眇めて指先を舐めた。
「氷の帝国は大富豪の武装国家ですわ。買い付ける量も他国とは違いましてよ」
「どことも争ってないのに、なんでそんな買い込んでるの?」
一人がけのソファーに座って、同じくビスケットに口をつけていたチェンノッタが、訝しげに眉を寄せた。
確かに彼の言う通り、聖女が誕生して厄災が近づいているとは言っても、国同士の争いは水面化だ。表立って殺傷沙汰になっているところもなく、ホールボーム帝国がそこまで武力を準備する必要がないように見える。
エルシィも同意すると、メイイェンはフェイが差し出した果実水を飲みつつ、人差し指を軽く振った。
「ホールボーム帝国の抑止力は、世界一の領土を持つグェイドン帝国でしたの。ですがグェイドンは皇帝が代替わりしたばかりで、幼いでございましょ? それを好機と捉えているのですわ」
「……つまり、メイイェンの故郷を侵略しようとしている……ってことなの?」
「そうですわ、ルヴィナ。近くの平穏な国から徐々に飲み込み、あたくし達と同じく世界征服を目論んでいるんですわ」
ホールボーム帝国は以前より、そういった動きがあったのだという。
内紛が鎮静され、聖女が各国から姿を消した今が、帝国にとって攻め時なのだ。
ちょうどその時、ドアが軽く叩かれて、トレーを持ったシテラが入ってくる。
「御尊父、フォアヘッケルの第一王子より、返事が届きました」
両手で差し出されたトレーの上には、王家の封蝋が入った封書があった。
セオドアが受け取り、ペーパーナイフで開けて書面を読むと、彼は眉を寄せて口をへの字に曲げる。
「どうされたんですか?」
「この間のお礼もしたいから、聖女含めた全員で来てほしい、だそうだ。小さな歓迎パーティーもしたいとかなんとか」
「あら、ちょうど良いですわね」
気乗りした様子ではないセオドアに、メイイェンがすかさず声をかけた。
彼女はにっこりと、邪気のないように見せかけた微笑みで周囲を見渡し、再度口を開く。
「大丈夫ですわ、パパ。立場の違いを見せつけて差し上げれば、良いのでございましょ?」
フォアヘッケル国の城は、教会が隣接しているせいか、大聖堂、と言われても納得できるような外観をしている。
三角屋根の下には美しいステンドグラスが飾られ、中に入れば鮮やかな光が、城内へ反射するかのように輝いていた。
エルシィたちは、これまたセオドアが用意した資金で衣服を新調し、兵士の先導で城門をくぐる。
全員が衣服の色合いを統一し、幻想生物も揃いで着替えれば、それだけでより一致団結できた気がする、不思議な心地であった。
セオドアと腕を組み、遊牧民族が編んでくれたストールを靡かせながら、エルシィは足首まであるスカートを翻す。
金色と青を基調としたワンピースは、胸元から裾まで柔らかなギャザーが寄る。風に揺れると中に着用した赤色のインナーが透けて、僅かに紫へ変化した。
朝がくる手前、東雲の空に似た姿の美しい女神に、警備兵や使用人たちが惚けた顔で道を開けていく。
兵士が声をかけてから、扉を引き開ける。
通されたのは謁見の間ではなく、王族の私邸がある区域だ。派手さはないが明るく清潔な印象を与える場所で、エルシィも幼い頃、よく出入りしていた場所である。
懐かしさに目尻を緩ませていると、セオドアが足を止めた。
見れば通路の脇で道を譲り、頭を垂れている女と、彼女に付き従う使用人たちがいる。
「……ハナバ公爵令嬢さま」
エルシィがそう呼べば彼女は、──カロライナは顔を上げ、品の良い扇で口元を隠しながら目を細めた。
公爵令嬢カロライナ。艶やかな金髪と、柔らかいアーモンド色の瞳が可愛らしい、マシュー第一王子の婚約者だ。
ラバタール連邦では酷い目に合った彼女だが、どうやら体調も回復した様子である。エルシィが安心して微笑むと、カロライナの視線がセオドアに移った。
流石に作法は叩き込まれているので、ジロジロ、といった見つめ方ではないものの。上から下まで一瞬で眺めた彼女は、扇を閉じて、使用人たちへ振り返った。
「彼女たちはマシュー第一王子殿下の客人です。ワタクシが案内役を賜りましょう。下がりなさい」
外面がやや高圧的なところは、昔と変わりないようだ。
使用人たちも慣れているようで、兵士だけは戸惑っていたが、皆、深く頭を下げてから、エルシィたちが来た道を歩いて行った。
数人の姿が見えなくなり、エルシィもホッと息を吐いて、改めてカロライナを見る。
「……よかったの? カティ」
彼女の愛称を呼べば、カロライナは扇を握りしめながら、体を震わせてエルシィに飛びついた。
「良くないわ、エルシィ姉様!! どうしてすぐワタクシに会いに来て下さらなかったの!!」




