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第86話


 


 ひとまず今は、エルシィの療養と、次の攻略地へ行く準備をすることになった。

 何が起こるか分からない以上、備えるに越したことはない。打てる手は尽くしておこうと、数日間はこの城を拠点に動くことにしたのである。


 リリンベル国を配下に置いた今、次に狙うはエルシィの故郷フォアヘッケルだ。幸い、第一王子マシューには、セオドアが大きな借りを作っている。それを持ち出して傘下に加えようということだった。

 とはいえ争うつもりは毛頭ないので、早速セオドアが一筆したため、郵送で返事を待つことになった。

 

 リクの民(トゥルバたち)に支配権が移ったラバタール連邦は、すでにエルシィとセオドアの膝下にある。

 彼は一度、転移魔法で故郷に戻り、内情を把握してくると言う。

 いざという時の為に単独行動を避け、ヨヒラとオルジオが同行し、数日ほど旅立っていった。


 グェイドン帝国はメイイェンが皇帝の座を降りた手前があり、大々的に動けない。

 だが長らく強き聖女が君臨していた国である。

 フェイ曰く、乳幼児である現皇帝を囲む数人の補佐官は、メイイェンの息がかかった者らしい。彼女が望めば好意的に計らってくれ、心配しなくて良いと言っていた。


 目下、重要視するのは氷の帝国、ホールボームだ。

 武力国家、内乱の多い場所、という情報は出回っているが、アマノテル国と同様にあまり社交的な国家ではない。内政も把握しづらく、準備を進めて攻略の気を伺おうと言うことで落ち着いた。

 

 その中で、イザベルが再び姿を現すのではと懸念があったが、彼女はこの城へ入れないのだという。

 王座の後ろに書いてある魔術式の効果だというが、あの魔術式がどうやって発動しているのか、セオドアも分かっていない。

 ハープシコードを継ぐ魔術師が書き記した事は確かだが、書いた人間はおそらくとうに死んでいて、普通であればもう効力は失われているはずなのである。


「ワシも長い事、この城を管理しておるが、魔法も魔術もよう分からなくてのぉ」


 王座を見上げながら、トーマスは豊かな白い髭を撫でた。

 エルシィは同じく美しい筆跡を見上げ、目を細める。


「爺さんも素質はあるんだから、やりゃあいいじゃねぇか」


 エルシィの隣に立っているセオドアが、やや呆れを含んだ言葉を投げかけた。

 トーマスは、ふん、と鼻を鳴らし、軽く片手を振る。


「ワシはめんどっちぃ事は嫌いじゃて。そう言う事は弁の立つ者がやればいい」

「良く言うぜ……」

「それよかお嬢さん、すっかり顔色が戻ってよかったのぉ。ここへ来たときワシは失礼ながら、死体かと思ったくらいじゃて」

「す、すみませんでした……」


 ゆったりとした動作で歩き始めたトーマスが、朗らかに笑って二人を促す。

 杖をつく背中を追いかけつつ、エルシィは廊下に注ぐ木漏れ日に目を細めた。


「……セオドアはアホじゃから、面倒も多いであろう?」

「本人の前で言うか?」

「面倒……を、かけているのは、わたしの方が多いです」

「わっはっは、奇特なお嬢さんじゃ。我が孫を本当に見初めてくれたとは」

「微妙に失礼なことを言うんじゃ……、……って、爺さん、この部屋は……」


 トーマスは一室の前で立ち止まると、鍵を開けて扉を開く。

 セオドアが一瞬、エルシィの腕を掴んで引き留めたが、すぐに力を抜いて顔を逸らした。


 小綺麗に整えられた一室だ。

 エルシィが足を踏み入れ見渡すと、本棚に並ぶ子供向けの本や、骨組みだけになったベッドに描かれた文字、身長を測るように柱を引っ掻いた傷などが、自然と目に入ってくる。

 肩越しに振り返ると、セオドアは相変わらず顔を背けたまま、片手で覆い息を吐き出した。


「ここはセオドアが使っていた部屋じゃ」

「旦那さまの……」

「ほほぉ、間接的にいやらしいなぁセオドアよ。こんな女神に旦那さまと言わせるとは、さすが美形不良債権は貫禄が違うのぉ」

「ぶっ飛ばされてぇのかコラ表出ろクソジジィ」

「お嬢さん、ちょっとこちらに座りなはれ。……確かこの辺に隠してあったはずじゃ……」

「人の話を聞いてくれませんかねぇ!?」


 すっかり手の上で転がされているセオドアに、エルシィは思わず笑ってしまう。

 彼はハッとして耳まで朱色に染めて、ぶつくさと文句を言いながら、作業机の前に置かれた椅子を引っ張ってきた。

 有り難く腰を下ろすと、部屋の隅に置かれた物入れから、トーマスが小箱を手にして戻ってくる。

 老紳士はそれをエルシィの両手に握らせた。


「さてお嬢さん、開けられるかな?」


 少し意地の悪い顔で問いかけるトーマスに、エルシィは不思議に思いながら開けようと指をかけた。しかし蓋はびくとも動かず、悪戦苦闘すればするほど、頑なに閉ざされていく錯覚がする。


「ええと、これは……?」

「これは魔法が施された箱じゃ。わしらハープシコードの祖先が、人生で最も愛した人から受け取り、代々受け継いで守りながら、開錠に奮闘してきた代物じゃ」

「えっ、でも、魔法はもう効果ないんじゃ……?」

「ああ、そうだぜ奥さま。術者が傍にいないと力を発揮できない現在の魔法では、再現できない魔法だ」


 エルシィの手から箱を受け取り、利き手に万年筆を持ったセオドアが、文字が見えないほど精密な魔術を付与しても開かない。

 彼も帰郷した時は、旅先で得た知識を総動員して解除を試みているが、全く歯が立たないのだという。

 遥か昔の文明の方が発達しているとは、なんともロマンがある話だった。

 


 


 

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