第85話
「……なんか……予想以上に突拍子もないんだけど、それって本気で言ってるの?」
「まぁ冗談ではないな」
セオドアの話を聞き終えたフェイが、何とも言えない顔で眉を寄せた。
この本を見るまでエルシィとて半信半疑だったのだ。互いに顔を見合わせ、反応をし損ねている彼らの態度は当然だろう。
研究書に目を通していたオルジオが、僅かに眉尻を下げてエルシィを一瞥する。
「…………あの御仁が御母堂様に、たくさんの幸福を用意したと、言っており申したな」
「っ……!」
「御尊父様の言葉が全てであれば、つまりこの世は、御母堂様の良きに計らい、創造された世界となり申すか」
エルシィの心臓は跳ねて、食道に気持ち悪さが迫り上がった。
顔色悪く両手で口を押さえると、隣に移動していたセオドアの片手が背に添う。
衣服越しに伝わる体温に安堵する傍ら、彼女は上体を丸めて唇を震わせた。
エルシィは思うのだ。
セオドアを諦めず手放さなかったが故に、エルシィにとって都合の良い世界を創造され、五人の聖女が誕生したと言うなら。
それは間接的に、エルシィが子供達を殺そうとした事と同義ではないのかと。
自分がセオドアの立場を狭め、本来あるべきであった世界を歪めて、この場所に立っているのではないのかと。
そう、思うのだ。
沈黙するエルシィを見つめていたヨヒラが、オルジオの膝によじ登りつつ、本を覗き込む。
「こまるの?」
可愛らしい声で、彼女は首を傾げる。
エルシィが視線を向ければ、隣でルーシェに腰を下ろしているトゥルバが、肩をすくめてみせた。
「まぁつまり、痴情のもつれが永遠と繰り返してるってことだ」
「うわ……嫌な言い方するなトゥルバ」
「この話の本質はそこだろ、親父殿。あの得体の知れない女が、親父殿を手に入れたいと、お袋殿が好む世界を用意し続けている。だが結局手に入らず、世界を創造し直す。その中で聖女が生まれたり、生まれなかったり、様々あるだろうが、それは別にここにいる誰のせいでもない」
やや呆れた調子で話を整理していたトゥルバだったが、最後、眉間の皺を深めて視線を下げる。
「大きな問題はそこじゃないだろう。問題なのはお袋殿が、世界を破壊するってことだ。親父殿がいて、俺たち聖女がいて、幻想生物がいて、それでもお袋殿は何度も世界を破壊する状況に追い込まれている」
「……うーん、まぁでも、御母堂さまの発動条件が、アレだしねぇ……」
フェイが苦笑いを浮かべつつセオドアに視線を向けた。
彼は目を眇めて軽く睨み返し、しかし反論する要素が思いつかなかったのか押し黙る。
エルシィが扱う立体魔法陣の発動条件は、羞恥と喜びだ。
それが端的にどのような状態を示しているのか、流石にエルシィも分かっているので、思わず赤らんだ頬を隠すように俯いた。
トゥルバは二人の様子に片方の眉を上げ、膝に片肘を乗せて頬杖をつく。
「それを分かっていながら、親父殿がお袋殿を抱くとは思わねーが」
「待ってやめてぼかしてトゥルバくん!!」
ど直球に言葉にされて、エルシィは耐え切れず悲鳴を上げた。
完全に意味を理解していないのが、この場にヨヒラしかいないのがまた、辛いところである。ルヴィナはポッと頬を染め、チェンノッタは双眸に呆れを滲ませる。
メイイェンが片手を額に当てつつ、長く息を吐き、不服そうな表情のトゥルバに投げかけた。
「そういうデリカシーの無さはモテませんことよ」
「別にモテなくてもなんでもいいが……?」
「でも、トゥルバの意見が最もなことは、あたくしも同意いたしますわ。あたくしたちのパパは、そんなケダモノではありませんもの」
「信頼されてんなぁ、パパは嬉しい……」
「じゃなければ、実祖父に概念童貞など言われませんでしょ」
「メイイェンさん?」
さらっと微妙に貶されたセオドアが真顔になるが、メイイェンは知らぬ存ぜぬ顔でエルシィを見る。
「なんらかの原因で、そこまで力を行使せざるを得ない状況に追い込まれる、という事ですわね」
百草霜色の瞳に射抜かれ、息が詰まった。
トゥルバやメイイェンの言う通り、これまでの世界でも、セオドアがそういう意味でエルシィに触れる事は、おそらくなかっただろう。
彼は言動こそ不埒なところがあるが、基本的には理性的で優しい人だ。それはエルシィも聖女たちも分かっている。
なら、エルシィが力を行使しないといけない状況とは、なんだろうか。
考え込む一行を眺めていたヨヒラは、オルジオの膝から降りると、エルシィの足元に近寄った。
「まま! あのね、ヨヒラね、ままがいぇば、なんでも、できぅよ!」
「ヨヒラちゃん……」
「だからね、だいじょぶ。ままのこと、まもるね」
小さな手を精一杯伸ばす彼女は、エルシィが背を屈めると、無邪気に前髪を撫でる。
幼いながらに、良くない状況を察してくれているのだろう。その暖かさに緊張がほぐれて、エルシィは膝に抱き上げて頬を擦り寄せた。
髪に隠れて見えないが、頭部にある聖痕を片手で撫でると、ヨヒラはくすぐったそうに高く笑う。
「……そうね。ヨヒラの言う通りだわ。わたしたちが絶対に、ママを護るから」
不安そうに話を聞いていたルヴィナも、ヨヒラの様子に安心して、華やぐ笑顔を投げかける。
彼女はテーブルから身を乗り出しながら、エルシィとセオドアの手に、自身の細い手を重ねた。
「わたしたちを信じて。わたしたちはママが居れば、なんでもできるのよ」
力強く繰り返されるのは魔法の呪文だと、今は思う。
その言葉を聞くたびにエルシィこそが、自分がこの場にいる意味を与えられたように、前を向けるのだ。




