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第78話




 誰よりも早く反応したのは、ヨヒラであった。


「オルジオ!!」


 叫び声を上げた主君に、オルジオの体表を形作る水分が蒸発し、一気に大木へ変わると、足元の魔法陣が光り輝いた。二つに割れた木の間に佇むミイラが、両手を広げるのに合わせて、天井と石畳から凄まじい勢いで枯れ木が生成される。

 それはセオドアとイザベルの間をこじ開け、ヨヒラが地面に飛び降りた。エルシィも咄嗟に夫を抱きしめ距離をとる。


 驚いた様子のイザベルが、目を瞬かせて数歩、後退する。

 彼女は心底戸惑った顔で、セオドアとエルシィに視線を向けた。


「あの、申し訳ございません。これは一体、なぜ……?」

「ぱぱになにすぅの!! あっちいって!!」


 次々と生まれる枯れ木は、刃物に似た鋭さでイザベルに立ち塞がる。

 オルジオの薄い皮に覆われた腕に抱き上げられ、ヨヒラは養父母を守ろうと眉を吊り上げた。


 距離をとったイザベルは、片手を頬に当てて首を傾ける。


「何か誤解があるようです。ああ、その、突然の愛情表現でセオドアが戸惑ったのは、分かりました。しかし弁解の余地を賜りたいのですが、あまりに久しぶりで、嬉しくて……」


 ほう……と息を吐くイザベルに、エルシィが掴んでいたセオドアの腕が一気に粟立つ。彼が嫌悪感を露わにしている証しだった。

 セオドアは片手で己の唇を拭って、長く息を吐き出す。


「…………イザベル、出会い頭にキスされるほど、俺たちの関係は親密じゃねぇはずだが?」

「まぁ、ル・ル(愛しい人)。どうしてそんな事を言うのですか? わたくしとあなたは、いつだって相思相愛でしょう?」

「人の話を聞いてないのは、相変わらずだな……!」


 恍惚に頬を染めるイザベルは、本当に心からそう思っているように見えた。

 エルシィは得体の知れなさに恐怖しつつ、以前出会った彼女を思い出す。あの時のイザベルは、もっと普通の人間であったはずだ。


 彼女はセオドアに縋り付くエルシィに、初めて気がついたと言わんばかりに、再び表情を和らげた。


「エルシィさま、でしたね。こんなところでお会いできるとは」

「あ……、ええと、……あの時は、助けてくださり、ありがとうございました」

「いいえ。わたくしは当然の処置をしたまでです。美しき女神のお役に立てて嬉しく思います」


 セオドアに関する事がなければ、特筆すべき不審さがないのが、逆に気持ち悪い。


「セオドア? いつまで女神に張り付いているのですか? 困っていらっしゃるでしょう?」


 イザベルの邪気のない瞳が、再びセオドアに戻ってくる。

 彼はエルシィを片腕に抱きながら、視線は逸らさずに眉を寄せた。


「困ってない。夫が妻の側にいて、なんの問題がある」

「…………夫?」

「そうだ。エルシィは俺の妻だ。しかも相思相愛の。信じられないなら今ここで、キスして見せようか?」

「えっ、嫌ですけど」

「そこは良いって言ってくれねぇかな奥さま!?」


 公衆の面前で宣言を受けてキスされるほど、エルシィは乙女を捨てていない。

 苦笑いするセオドアを半分ほど黙殺しつつ、唖然とした顔で硬直するイザベルに、エルシィも口を開いた。


「本当に、ちゃんと、夫婦です。なのでわたしの夫にキスするような真似は、今後、謹んで頂けると嬉しいです」


 冷静な態度に努めているが、エルシィとて、はらわたが煮え繰り返りそうだった。

 好きだと伝えた相手に、我が物顔で口付けられて寛容になれるほど、彼女は大人になりきれない。

 強調して言い放った言葉に、イザベルはやはり呆けた顔でいたが、徐々に言葉を噛み砕いたのか、眉尻を下げた。

 腕を軽く組んで片手を頬に添えると、視線を逸らしつつ嘆息する。


「ああ、女神。たくさんの幸福を用意したのに、まだ足りないと言うのでしょうか」

「…………え?」


 予想外の返答に、エルシィの怒りは急速に消えた。

 同じく瞠目するセオドアの、妻に触れる指に力がこもる。


「上限いっぱいまで聖女も用意して、幸せな家族も縁を繋いで、波乱はあれど順風でやりがいのある世界まで(こしら)えたのに、それでもまだセオドアを欲しがるというのですか? 流石に傲慢だわ」


 言われた意味が理解できず、エルシィは動揺を露わにした。


「……なにを、言ってるの?」

「それはこちらの台詞だわ。ねぇ()()()()、どうしてなの? これほど恵まれた環境を用意したのに、どうしてまだセオドアを欲しがるの?」

「待って、説明して、何を言ってるの!?」


 悲鳴を上げたエルシィの声に、ヨヒラの魔法陣が再び輝いた。

 それに重なって、水面で揺れる月面が地面に揺蕩い、光の筋となって周囲を覆う。


「ママ!」


 異変に気がついたルヴィナが、異形のシテラと共に駆け込んでくる。

 イザベルの背中に気がついた彼女は、片手を前に突き出すと、シテラが咆哮をあげて蔓を叩きつけた。


 ──はずだった。


 シテラの蔓が触れる前に、立体魔法陣がイザベルの身体を覆う。

 眩く開花した春の花に触れれば、シテラは神経を触る激痛に呻き声を上げた。

 勝手に身体が活性化され、次々とチューリップを模した小さな花が開花していく。それは一見美しい成長であったが、自身の及ばぬ感覚で増殖していき、シテラは呼吸すら奪われて、巨大な花弁を床に打ち付ける。


「シテラ!? どうしたの、シテラ!」


 幻想生物の異変に、ルヴィナが真っ青な顔で走り寄った。

 急速に大きくなった立体魔法陣は、エルシィたちを庇って前に出たヨヒラとオルジオを飲み込む。彼女たちはシテラと同様、神経を蝕む痛みに悲鳴を上げた。


「オルジオさんっ、ヨヒラ!!」


 エルシィが咄嗟に立体魔法陣の中に飛び込めば、それはメイイェンの時以上の痛みを持って、エルシィに襲いかかる。

 意識が吹き飛びかけて、しかしエルシィの背後から彼女を抱きしめたセオドアに、必死に己を手繰り寄せた。


「っごめん、エルシィ。このままじゃまずい、後で気が済むまで往復ビンタしてくれ」

 

 肩を掴まれ振り返れば、彼はそのままエルシィの呼吸を塞ぐ。

 指が耳を塞いで音だけが響いて、痛みと違う何かに心は痺れて混ざりあって、エルシィは彼の腕に爪を立てた。

 こんなことをしている場合ではないのに、思考回路は奪われ低下していく。

 それでも涙目を開いた向こう側にいる相手が、セオドアであるということだけで、脳の大半を占領するのは安堵なのだ。


 こんな風にしか出来ない自分が、自分でも浅ましいと思う。

 汚らしい女といつか、愛した人に蔑まれるかもしれない。

 この熱に浮かされた心はもう、純情な乙女ではいられないのかもしれない。

 

 それでもエルシィは、彼を招く。



 どうか一番、その奥まで。


 

 しん、と。

 イザベルの立体魔法陣が、その挙動を停止する。


 ひどく傷ついた顔をするイザベルが、足を踏み出してエルシィの腕を掴んだ。セオドアの胸を押して離れたエルシィは、イザベルに正面から対峙して腕を掴みかえす。

 足元から蔓がのび、たおやかな丸い葉が浮かび、紫から白にかけてロータスが大輪を開花させた。

 幾重にも重なる花弁は美しく、幻想的な心地よさと危うさを引きつれる。


 エルシィはどこか遠く、自分の声すら、幕がかかったように聞こえる場所にいた。

 ここにいるのは自分ではなく、それでも力が湧き上がるような、誰かと同体になっているような錯覚がする。

 全身が苦痛で、倦怠感が鉛のように苛むのに、今なら自分にもできる気がした。


 誰かを守れる力が、ここにある気がしたのだ。

 

「──わたくしのセオドアを、奪っていかないで」


 蒼白で心を揺らすイザベルに、エルシィは自ら唇を、薄い皮膚の一部を噛みちぎる。

 背後でセオドアが何事か叫んだが、その言葉を認識することはできなかった。

 

「わたしの旦那さまよ。二度と渡さないわ……!」


 イザベルの立体魔法陣など、ただのお遊びであるかのように。

 エルシィの意志を宿したロータスが、一瞬の静寂の後、()()()()()()()弾け飛んだ。


 

 




 

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