第76話
意気消沈な様子だったが、国王と王妃が同意したことで、リリンベル国の支配権は移行した。
聖女たちが魔法で王城を修復し、ついでに修繕が必要だった箇所も直してしまえば、使用人たちの心証は悪くない。怪我人の治療も、必要な生活用品も、常識を逸脱しない範囲で望んだ物が施されれば、文句をいう人間は少なかった。
なにせ聖女五人が揃っている。彼女たちにかかれば、ピカピカの城へ生まれ変わることなど造作もなかったのだ。
喚き散らす姉兄たちはシテラが請け負い、一日ほど時間をもらって教育し直すという。
無表情の中で感情を煮えたぎらせる彼女に、ルヴィナも気圧されて承諾した。
「ナリッジ、ちょっと残ってくれ」
本性を現したシテラに連行されていく中で、セオドアがナリッジを呼び止めた。
彼は首を傾け他兄弟を一瞥し、しかし体ごと振り返って、応接室のソファー前へ戻ってくる。
幻想生物を連れて聖女が出払っているので、応接室には三人だけだ。
エルシィが何事かとセオドアを見ていれば、彼は向かい側に座るよう促し、指先で顎を摩りつつ僅かに眉を寄せる。
「聞きたかったんだが、その剣はどうした」
「………………なんで僕に聞く」
「お前が兄弟で一番まともだからだろ」
見た目と声がいまいち合致しない第三王子は、セオドアの言葉に少し目を丸くする。
そして帯刀している腰元に視線をやり、鞘ごと留め具から外すと、テーブルの腕に静かに置いた。
微かに光を帯びたそれに、春の花が芽吹いて緩やかに根と葉を伸ばしていく。
エルシィが息をのめば、セオドアが剣呑に双眸を眇めた。
「……イザベルが来たのか」
「そうだ。ホールボーム帝国の動きが激しいから、国を守れるように。……でもジルヴェ兄上が、必ず勝利を掴めるって言っていたけれど、扱いにくいし、重いし、負けた」
テーブルを挟んだ向かい側に座ったナリッジは、憮然として、しかし僅かに声音に悔しさが滲む。
セオドアが手に取ると、草花は媚びるように彼の手に触れ、花を開花させた。
「イザベルの魔法陣は、俺が人体に書く魔術式に近い。扱う人間の精神に依存する」
「精神?」
「メイイェンを前に、自分の勝利を想像できなかったんじゃねぇか、ナリッジ」
リリンベル国第三王子の顔に、険が浮かぶ。
勝利を確信していなければ、この剣に付与された立体魔法陣の効果は得られない。セオドアはそう言うのだ。
ルヴィナがセオドアを模した男に成り替わり、兄二人と対峙した時、兄の剣には迷いがあった。ナリッジも凄まじい力を持ったメイイェンを前に、攻防だけで精一杯であった。
相手に勝つ自分が確立していない、という心理状態として、イザベルの魔法を阻害したのである。
ナリッジはセオドアが持つ剣を一瞥し、眉を顰める。
「……気持ちの面で負けたから、扱いづらかった……ってこと」
「その通りだな。イザベルの力は、それが弱点とも言える」
半透明な草花を鬱陶しそうに払い、セオドアは剣をテーブルに戻した。
エルシィが恐る恐る触れても、草花は指先に、まるで挨拶するかのように絡んでくる。
魔法、と呼ぶには不可思議なそれに、セオドアがエルシィの手を掴んで首を振り、片腕に彼女を引き寄せた。
「………………貴方が振るえば、それは変わるのか」
ポツリと、ナリッジが呟いた。
「…………ここで、その母体樹を傷つけたとして、貴方がこの剣を扱えば、この魔法は真価を発揮する?」
「嫌な想像はやめておけよナリッジ。この城には俺以外に、聖女が五人揃ってる。もしそんな理由で俺の妻に傷なんぞつけたら、リリンベル国は地図から消えるかもな」
エルシィの髪を優しくすき流し、セオドアはあまり語調を変えずにナリッジを嗜める。指先に絡ませる毛先に口付けた彼に、エルシィは眉を下げて視線を外した。
彼女は相変わらず無表情のナリッジと双眸を交え、言葉を選びながら口を開いた。
「……第三王子殿下は、ルヴィナさまのことは、どう考えていたんですか」
「考え?」
「ルヴィナさまは、あなたの初めての妹でしょう? ……そんな彼女が、殺されかけて、聖女として覚醒して、逃げる勇気を持った彼女を連れ戻して、……あなたは何を、思ったの?」
ナリッジはエルシィから顔を逸らし、肩をすくめつつ数秒、沈黙した。
「…………どうでもいい」
「ど……うでも、いい、なんて」
「僕にはリリンベル国第三王子という肩書きがあって、役目がある。それ以外の人間がどこで何をしようが、あまり関係がないし、世界中、好きに征服したらいい」
淡白な物言いに面食らう。
彼は姉兄や両親と違い、本当に全てが無関心で出来ているようであった。
上からの命令に従い、任務を遂行し、それが終われば何も残らない。それを肯定も否定もしないような男なのだろう。
流石に腹が立ってエルシィが反論しようとした矢先、でも、とナリッジが呟いた。
「あの子が姉上に刺された時、僕は姉上を殺そうと思った」
感情の読めない瞳は、テーブルに置かれたままの剣を凝視している。
「あの子が血を吐いて苦しむ姿を見た時、僕は兄上を殺そうと思った」
なんでだろう、と。
ナリッジは瞬きをせず、呆然とした様子のまま、緩慢な仕草で己の両手を見下ろした。
「あの子の首に聖痕が浮かんで、成功だとはしゃいで、今まで通り振る舞うルヴィナを、僕は殺そうと思った」
言葉を失うエルシィに視線を戻すことはなく、ナリッジは操り人形のようにぎこちなく立ち上がる。
「僕は、あの子を大事にできないように、なっているんだそうだ」
まるで誰かから聞かされたような、他人事のような口ぶりで、しかし表情には一つの感情が宿った。
それは初めて見る確かな変化で、ナリッジは唇を震わせる。
引き止めることも出来ずにいると、彼は重い足を引きずって、エルシィとセオドアに背中を向けた。
項垂れる肩はか細く震え、決して嘘ではないことを伝えてくる。
それでも兄妹の間にある溝は、もう、飛び越えられないものなのだろう。
「…………生まれてきたあの子は、ちっちゃくて、とても可愛かったんだ。…………大事にできたはずなのに、なんでだろう……!」
ナリッジは振り返ることなく出入り口の扉に近寄り、砂の戦士が空けた隙間から一人、薄暗い廊下へ身を投じていく。
最後に聞こえた声に嗚咽が混ざるのは、きっと、気のせいではないのだろう。




