第75話
「いったぁああい!!」
ゴツ、と言う音と共に、脳天に拳骨をくらったフェイが、頭を抱えて涙目で蹲る。
隣ではメイイェンが思い切り指弾された額を抑え、同じく床に座り込んで、涙目でセオドアを見上げた。
「絶対怒られると思ってたけど、暴力反対よっ」
「うるせぇ、拳骨で済んだ事を有り難く思え。メイイェンもだ」
「はいですわ……」
拳を握りしめたままのセオドアが、半目で睨んで息を吐き出す。
エルシィたちが到着し、他聖女とセオドアが加勢して、約十分。
リリンベル国の城内で無事に立っているのは、彼女たちだけになっていた。
王族は全員、トゥルバの砂塵に閉じ込められ、応接室の一箇所に集められている。
使用人たちもそれぞれが各部屋に幽閉され、その動向を砂の戦士が見張っていた。
ヨヒラの水を含んで強化された戦士たちは、並大抵の攻撃では破壊されないようになっていて、兵士たちも恐れて近寄ろうとしない。
何より兵士たちは間近でセオドアの魔術に触れ、すっかり戦意喪失してしまっているのだ。
彼が一瞥するだけで泡を吹いて倒れる部隊もいるほどである。
ソファーに座り休んでいるルヴィナが、釈然としない様子でセオドアを見上げ、頬を膨らませた。
「パパ、ずるいわ! あんなの真似できない!」
「そりゃまぁ、君の魔法が凄すぎて、俺は超頑張ったからな。ママの前でカッコイイとこ見せねーと」
「ママ、わたしも頑張ったのよ、本当よ」
「ええ、もちろん分かってます。でも、危ないことはしないでね、大きな怪我がなくてよかった」
隣に座るエルシィに縋ったルヴィナの髪を、優しく撫でながら視線を合わせる。
彼女は嬉しそうに表情を緩ませ、エルシィの腕に自らの腕を絡ませた。
床に座り込んでいたメイイェンも飛び起き、反対側に座ってもう片方のエルシィの腕を組む。
「あたくしの勇姿も、見てくださいまして、ママ?」
「メイイェンさまは突っ走りすぎです。トゥルバくんとノッタくんにも、怒られたでしょう?」
「だってあの第三王子、とっても強かったんですもの! まぁでも、あたくしたちのパパがナンバーワンですわ」
我が事のように胸を張るメイイェンに、ソファーの後ろにいるセオドアが苦笑した。
ルヴィナもメイイェンも、並大抵の魔法使いと比べることが出来ないほどだった。それは誇って然るべき力だろう。ちょっとばかりセオドアの本気度が次元を超えていただけで。
「……待たせてすまん」
エルシィたちが待機する、損傷のなかった応接室の扉を開けて、トゥルバが入ってくる。
その後ろには砂の兵士が、リリンベル国の王族を取り囲んで連行されてきた。
メイイェンが立ち上がり、優美に一礼してセオドアに場所を譲る。
彼はエルシィの隣に腰を下ろすと、トゥルバに目配せし、ピアノン王家を砂塵の中から解放させた。
真っ白な顔色の国王と王妃は、もはや膝から崩れ落ちそうだ。ルヴィナの姉兄たちも、憎悪と恐怖が入り混じった表情でセオドアを睨んでいる。
ナリッジだけは相変わらず、感情の読めない双眸で見つめていた。
彼は不遜な態度で足を組み、冷めた瞳で見つめつつテーブルの向かい側を指差した。
「座るといい。俺たちとこれ以上、争っても仕方がないだろ」
「ハープシコード、貴様、こんなことが許されると……!」
「言葉に気をつけろ。今この部屋で一番の決定権を持っているのは、俺じゃねぇ。ルヴィナだ」
エルシィと手を重ねながら、ルヴィナが姿勢を正す。
回復した彼女の双眸は澱まず、まっすぐに王族を見据えていて、彼らは戸惑い狼狽えた。
国王と王妃がソファーに座り、子息女が背後に立つ。第二王女が瞳を揺らし、唇を噛み締めてルヴィナを見つめていた。
「な、……何が希望で、このような暴挙を」
「暴挙というのですか、ピアノン王陛下。先にわたしを道具のように使い潰そうとしたのは、あなた方です」
ルヴィナは声の震えを抑えつけ、ハニーイエローの瞳を細める。
「またわたしを城に閉じ込め、利用するつもりだったのでしょう? でも、わたしはもう、この国の人間ではありません。……わたしは母の聖女。父の娘。わたしの力は養父母の為に振るうものだわ」
憤りを滲ませる彼女に、実父母は閉口し俯く。
蒼白のアルヴァラが耐えきれず、ルヴィナを呼んで口元を引き攣らせた。
「も、もうそんなつもりはないのよ、ルヴィナ。あなたの希望を言ってちょうだい。なんだって叶えてあげるわ、わたくしの可愛いルヴィナ。ね? あなたを愛しているのよ」
第一王女の言葉に、ルヴィナは表情を歪ませた。
フェイの隣で佇んでいたシテラが、輪郭を歪ませるのを、シテラ、と呼んで制する。
エルシィの片手を掴む細い手が震え、彼女は首の後ろにある聖痕を手の平で押さえると、涙を堪えながらエルシィとセオドアを見つめた。
視線を受けたセオドアが頷く。エルシィも赤らむ聖痕を指先で摩り、ルヴィナを励ます。
聖女は顎を引いて意思を確かめ、再び前を向いた。
「リリンベル国を、わたしたちの配下に置きます」
「…………は……?」
「王政はそのまま続けて頂いて構いません。ですが、最たる決定権はわたしたちに明け渡してください」
理解が追いつかず呆けた顔をする王族たちが、徐々に状況を噛み砕いて眉間の皺を深めていく。
口を魚のように開閉させていたジルヴェが、唾を飛ばしながら叫んだ。
「何を世迷い言を……っ! 貴様らたった七人で一体何をしようと言う!?」
「そのたった七人に沈められたこの城は、もう国の中枢として機能しているとは言えないと思うが?」
ルヴィナの言葉を引き継ぎ、セオドアがエルシィの肩を抱きつつ、目を眇めた。
緊張に小さく喉を鳴らすエルシィに、彼は頬を寄せて首を傾ける。
「悪い話じゃねぇと思うが。俺たちの配下に降れば、他国の脅威から護る術ができる」
「何を──」
「俺たちの目的は、自由と安心を得るために、世界を征服することだ。だが別に、誰かの生活を脅かそうって話じゃない。……ホールボーム帝国からの侵略から、守って欲しいんだろう?」
嫌味な笑い方に、国王が我慢ならず立ち上がった。
「ふざけた事を言いおって、お前の下につけと言うのか、ハープシコード!! 一族の名折れだ、我々に恥をかかすと言うのか!! 全く理解し難い!!」
喚き散らす国王に、セオドアはやや面倒そうに溜め息をこぼす。
肩に触れる指先へ僅かに力がこもっている事を感じ、エルシィは息を吸い込むと、赤い顔で憤る国王を見上げた。
「何か問題があるのでしょうか」
「な、なっ、何を」
「ハープシコードは彼の旧姓です。戸籍上、彼の名前はセオドア・サックスになっています。……名乗らなければ、無害なのでしょう? 夫は今、ハープシコードと名乗っていません」
王族と、なぜか隣のセオドアも絶句する。
彼らは互いに顔を見合わせ、だが、しかし、と反論しようとするが、うまい言葉が出ない。
エルシィとて彼らの戸惑いは理解している。
セオドアの現在の姓がどうであれ、彼がハープシコードと名乗れば、すべからく悪なのだろう。
だが大前提として、彼の姓はもうサックスなのだ。
セオドアがどう名乗ろうが、書類上、抹消されていない事実なのである。
必死に戦うルヴィナを見て、エルシィにも出来ることがあると、そう思った。
当たり前のように、誰も寄せ付けない強さを誇るセオドアの隣で、自分にも役割があることを模索したかった。
だからエルシィは、滝のように流れる冷や汗を隠しながら、凛然と顎を上げる。
自分には家族の命と尊厳を護る、矜持があるのだ。
「わたしたちは、領土を持たない一つの国です。この城を鑑みて、わたしたちの力を試算して、リリンベル国のご意志を聞かせて下さい」




