第74話
闇が解けて視界が開けた直後、頭上の外壁が吹き飛んで、エルシィは悲鳴を上げた。
咄嗟にセオドアが引き寄せ、ヒルギ科植物を模ったウィズィが木の根で全員を包み、跳ね飛んでくる瓦礫から身を守る。
「な、何?」
セオドアの腕の中から状況を確認すれば、以前、見たことがある男が地面に転がり込んだ。
ルヴィナによく似たその顔は、確かリリンベル国第二王子だ。その隣を、体勢を立て直しながら着地した男も、彼女によく似ている。
彼らは剣の切先で煉瓦を擦り、忌ま忌ましげに歯噛みしていた。
「なんなんだ、クソっ、あれは誰なんだ!!」
視線の先を思わず追いかけ、エルシィは口を半開きにする。
リリンベル国の王城は半分ほどが木っ端微塵に崩れ、多くの使用人たちが逃げ惑っている。
その中を兵士が駆け回っているが、皆が恐れ慄いた顔を引き攣らせていた。
夜空には大きな満月が浮かび、星も見えない。
その眩い月光を背に立つ男が一人、二人の王族を見ろしていた。
「…………え、俺?」
同じくポカンと口を開けたセオドアの声に、甲高い高笑いが被さった。
「おーほっほっほ! 最高ですわぁ!! あたくしの衝動を受け止めてくださいませ!」
「……邪魔……!」
軽やかな足取りで宙を舞うメイイェンの、鋭い回し蹴りがナリッジの剣を弾いて空気を裂く。
彼は痺れる利き手から持ち替え、同じ速度で斬撃を繰り出すも、メイイェンが背中を反って瓦礫に両手をつき、そのまま両足を蹴り上げた。
彼女の頭部には冠のように、複数の赤い実が美しい花を開花させている。
自身の魔法とフェイによって強化された肉体は、それだけで骨をも断つ、強靭な武器へ変容する。
人間離れした技を持つナリッジでも、衝撃を受け止めるだけで精一杯だ。
隙を見て放たれる炎は常識を逸脱する温度で、特殊な魔法を施された剣も、切先から融解される錯覚がする。
とてもでないが今のナリッジには、この苛烈な聖女を掻い潜り、兄たちへ助太刀できる余力がなかった。
「っジルヴェ、構えるんだ、早く立て!!」
カージナルの焦った声の直後、セオドアを模した男が上階から飛び降りる。
地面に降り立つ瞬間に魔法陣が一瞬浮かび、ジルヴェが振り上げた剣を、片足で蹴り飛ばして腕を掲げた。
再び、一瞬だけ魔法陣が反応して、第二王子の額に衝撃が走る。
後方に突き飛ばされた弟を横目に、カージナルが魔法を帯びた剣で切り付けるが、それも寸前で草木の蔓が弾き返した。
エルシィは状況が全く把握できず、視線でセオドアに説明を求める。
彼は夜闇に隠れるウィズィの隙間から、紫の瞳を細めて微かに口角を上げた。
「……なるほど、ルヴィナお嬢さんか」
「え、あの人、ルヴィナさまなんですか?」
「わっはっは、こりゃやべぇな、ちょっとどころではなく照れるんだが。……彼女は俺を模写することで、兄二人を完全にねじ伏せようとしているんだろう」
シテラと同体したルヴィナの攻防は、セオドアを鏡で映したかのように良く似ている。
呪文を一才使用しないやり方で、魔法を瞬時に発動させているのだ。シテラの人外的な動きと、複数ある眼球で視野の広さを借り、あらゆる方角から襲う脅威に立ち向かう。
セオドアの体術は、魔術師の命綱である手を極力使わない。
彼女が変化したその男もまた、剣を避けながら両手を地面につけると、カージナルの腕に足を絡ませ、遠心力で体を回転させながら投げ飛ばした。
「……ルヴィナ、すごい……、……けど、あれはダメじゃない……?」
目を見張って感嘆するチェンノッタだが、凄まじい爆発音に半目で上空を見上げた。
ナリッジを下に行かせないよう、嬉々として相対するメイイェンの瞳は爛々と輝いている。
彼女は聖女一の莫大な力を持った魔法使いだ。国中に雨を降らせ結界を張っていたヨヒラが次点だが、それを悠に超えるほどの聖女である。
そんな彼女について来られる相手に、興奮が抑えきれないのだろう。
メイイェンが扱う魔力の大きさを、端的に表すなら。
彼女が一時的に展開していた結界魔法は、グェイドン帝国の領土全てである。
それはアマノテル国の、約四十倍に匹敵するのだった。
「天誅降臨、焔ですわ──ッ!!」
呪文などなくとも強力な魔法が、ナリッジの体重を支えていた石段ごと溶かして吹き飛ばす。
轟音に思わず声を上げたヨヒラが、オルジオにしがみ付いて瞳を潤ませた。
「おい、親父殿。あのお転婆は止めた方がいいんじゃないか?」
「同感。ちょっとトゥルバと行ってきていい?」
流石にトゥルバが辟易した声を上げ、チェンノッタも同調する。
強者が大好物なメイイェンはおそらく、血湧き肉躍る状態で周囲があまり見えていない。
エルシィがあわあわとしていると、セオドアが思わず声を上げて笑った。
「よしよし、いいねぇ、国を取ると言うだけのことはある。二人とも、メイイェンお嬢さんを頼むぜ」
「うん、行くよトゥルバ」
「任された」
銃のルーシェを背負うトゥルバが、チェンノッタの魔法に連れられて闇の中に消えていく。
最後にウィズィが木の根を解いて影に沈むと、セオドアはオルジオに振り返った。
「オルジオ、ヨヒラ。奥さまを頼む」
「旦那さまは?」
「ルヴィナお嬢さんに加勢してくる。せっかく娘が尊敬してくれているんだ、パパだって、頑張っちゃうぜ!」
彼の一言に視線を戻せば、セオドアに似た男の額から汗が飛ぶのが見えた。加勢にきたリリンベル国の兵士たちを、危なげない動作であしらっているが、徐々に体力が消耗している様子が窺える。
ルヴィナが行っている魔法は、全身の神経を絶えず尖らせ、精神を消耗する魔法の使い方だ。
セオドアへの身体変化、視線を動き、呼吸の仕方。重心の移動、足の運び、魔術式に似た魔法の行使。
他人を模写すると言うだけで、体力も気力もすり減らす。
それでも表情を変えず立ち向かう彼女は、ただ完璧に、セオドアを鏡と映すのだ。
「っルヴィナさま!!」
エルシィの視線の先で、男の片足が僅かに沈んだ。
身体を強化した魔法だが、あらゆることに気を配りすぎた脳が限界を訴え、後ろにたたらを踏む。
その隙を見逃さず、カージナルが手に持つ片手剣の柄頭で、男のこめかみを強打した。
血液が散って、意識が揺らぐ。
奥歯を噛み締め呻き声を耐えた様子に、カージナルが口角を吊り上げた直後だった。
柔らかな音がして視線が逸れる。
腕に刺さった針に似た何かの、正体を認識する前に、カージナルとジルヴェの体が宙に投げ出された。
何が起こったのか全く理解が追いつかず、地面に打ち据えられた二人が、慌てて顔を上げる。
王族に走り寄った勇敢な兵士もいたが、しかし蛇に睨まれたカエルの如く、呼吸すらままならなくなった。
「……兄上、……こ、こんな、俺は、こんなの、聞いてない……!」
涙声でか細く訴えるジルヴェに、カージナルが視線を逸らせないまま、唇を紫に変色させる。
こつ、と革靴の爪先で地面を叩く音が、波紋のように広がった。
活動限界で魔法が解除され、倒れ込んだルヴィナとシテラを腕に抱いて、セオドアが目蓋を伏せる。
「……頑張ったな、ルヴィナ。パパとママが来たから、もう大丈夫だぜ」
「……っ……うん、……うん……!」
苦しく不安だったことだろう。ただ必死に、己を蝕んでいた恐怖と戦っていたことだろう。
早鐘を打つ心臓を押さえつけ、セオドアに視線を返したルヴィナが、ぼろぼろと泣き崩れてしがみ付いた。
セオドアは腰から下げるホルダーから、万年筆を取り出し、自身の米神から額にかけ魔術式を書き込む。
エルシィのところへ戻り、動けない二人を地面に下ろすと、緩慢な動作で振り返った。
カージナルもジルヴェも、理解し損ねていた。
ルヴィナが思考し完璧に演じ抜いた男が、どれほど慈悲深いものであったのかを。
正真正銘、目の前に佇むのは死への服従だと。
彼らは夢にも、思わなかったのだ。




