第73話
真っ直ぐに見下ろす双眸に、始めに我に返ったのはアルヴァラだった。
「まぁ愛しいわたくしのルヴィナ! 探していたのよ、お姉さまに良く顔を見せて」
彼女は立ち上がって腕を伸ばし、そのままルヴィナの頬を両手で包み込む。
気圧されたルヴィナが半歩後ろに引けば、フェイが枝分かれした腕で、第一王女との間を遮った。
剣呑に瞳を細めたメイイェンとフェイを片手で制し、ルヴィナは深呼吸をして小さく首を振る。
「アルヴァラ第一王女殿下。わたしはもう、あなたの妹ではありません」
「何を言っているのでしょう? あなたは生まれた時から、わたくしの大切な妹ですわ。どうしたのかしら、忘れてしまったの?」
「そうだよ、ルヴィナ。彼らを退けてくれないか、せっかく兄妹の再会だというのに」
血の繋がった姉兄の、不気味なハニーイエローが覗き込む。
第二王女の扱いを見るに、彼女らは聖女ルヴィナに光を当てようとしているのだろう。完全に光と影を入れ替え、再び聖女を取り込み、国政の基盤を磐石にすり替えたいのだ。
聖女を失っているリリンベル国と、他国の均衡は崩れつつある。
元々強い武力国家であるホールボーム帝国と、最高権力者が変わったラバタール連邦が台頭し始め、世界は変動しつつあった。
リリンベル国は観光産業を生業とする平和な国である。だが同時に、豊かな資源を外界から護るだけの手段が乏しい国だ。
それまでは聖女の恩恵を盾にしていたが、今はそれも失っている。
この国が危ういのではない。
世界が揺らいでいる。
聖女の誕生は、厄災の訪れの第一歩だと。
「可愛いわたくしのルヴィナ。ほら昔みたいに、お姉さまを慕ってくれるでしょう?」
アルヴァラの甘言が、脳の内側に忍び寄ってくる。
なんとか自分を奮い立たせて見つめているが、ルヴィナは今すぐにでも、胃の内容物を吐き戻してしまいそうだった。
メイイェンが隣でずっと手を握ってくれ、フェイが覆い被さるように守ってくれている。
それでも脳裏にこびりついた恐怖が、昇華されるわけではないのだ。
ルヴィナを見つめ笑う二人は、正反対の愛を唄う。
そう言うのなら、どうして。
どうして?
「…………ならどうして? 愛してるなら、どうしてわたしの首を背後から刺したの、お姉さま……!!」
ルヴィナの足元に、月面を模した魔法陣が出現し、目を焼くほどの閃光を放つ。
メイイェンが同調して魔法を乗せようとするが、フェイが片腕に抱いて、己の聖女を引き剥がした。
「フェイ!? 何を」
「後ろに下がっていなさい、ペイジフェイリリス!!」
驚愕した彼女の声を遮ったのは、怒りと悲しみのうねりが混濁した、シテラの怒号だった。
シテラはフェイと入れ替わり様、瞬時に異形の姿に戻ると、蔓を伸ばしながら巨大な花弁を開花させる。
中央に転がる橙色の眼球は血走り、リリンベル国の王族や兵士は悲鳴をあげて、人智を超えた姿に恐怖した。
逃げ出した姉兄を、シテラが憎悪の眼差しで睨みおろす。
「私がここに来たのは、お前たちだけは許さないと誓ったから。お嬢さまを苦しめたお前たちだけは、絶対に許さないと心に決めたから」
いつもの落ち着きを払った声音と、同一とは思えないほどざらついた、地を這うような声。
それでもルヴィナに触れる蔓は、葉は、彼女が流す涙を優しく拭っていく。
一斉に開花したチューリップは、奇形に渦巻き、全てを刺し貫かんとする槍に姿を変えた。
「愛してるなどと、一体どの口が言うのですか!? 私の聖女がどれほど苦しんだか、知りもしようとしなかったお前たちが!!」
激しい奇声を上げた異形の槍が、天井から一斉に降り注ぐ。
それは明確な殺意の塊だ。なす術もなく兵士の装甲が砕かれ、断末魔は凄まじい咆哮に掻き消される。
土煙が上がって視界は閉ざされ、しかし一瞬、空間が歪むような魔法の軌道を感じ、ルヴィナは目を見開く。
「──シテラ!!」
叫んだ主君に応え、咄嗟にシテラが幾重にも葉を重ねる。
そこへシテラが放ったはずの槍が、鏡のように反射し突き刺さった。
ルヴィナの顔の横を掠めていったそれに、彼女は目を見開いて声を震わせる。
「ど、うして、?」
土煙が晴れて視界に飛び込んで来たのは、剣を構えるカージナルの姿だ。
刀身は鈍く光を帯び、それが魔法だと認識した直後、扉が開かれた。
「兄上、姉上!!」
加勢にきたジルヴェと、ナリッジの剣も、今までにない光を携えている。
長姉を守り前に出た三人の兄弟は、ルヴィナに切先を向けて片足を踏み出した。
混乱に意識が引きずり回されそうになりつつ、ルヴィナは瞠目したまま視線を揺らす。
シテラが渾身の力で叩き込んだ攻撃だ。他の兵士たちは倒れているが、彼らの剣は刃こぼれすらしていない。
動揺するルヴィナを察してか、ジルヴェが嫌味たらしい笑みを浮かべて、軽く切先を上下に振った。
「驚いたか? 魔法と言うのは素晴らしいなぁ?」
王族や兵士に魔法使いはいなかったはずだ。
剣を強化する魔法が使用されているが、仮に魔法使いを新たに雇ったとしても、幻想生物を退けられる存在など、そういるわけではない。
視線の先で渦巻く魔法が、立体的な陣を描いて春の花を芽吹かせる。
察するしかなかった。
あの剣は、聖女も幻想生物も、全てを赤子同然に貶めていく、イザベルの魔法を帯びているのだと。
「ルヴィナ!」
メイイェンとフェイが側に寄り添い、険しい表情で相対する。しかし状況に気がついたメイイェンの顔色は、青褪めていた。
ルヴィナの魔法陣に、メイイェンの火鳥とザクロを模った魔法陣が重なって、地面から火の粉が散り始める。
しかしルヴィナは、咄嗟に義妹の腕を掴んで引き留めた。
「待って、だめ、今のままじゃだめ」
今の状態では打ち滅ぼせない。
ルヴィナが操る魔法は大半、呪文が必要だ。
イザベルと近しい魔法が三つもある状態では、完全にメイイェンの足を引っ張ってしまう。
こちらの出方を窺う彼らから、視線を逸らさずルヴィナは両手を胸に当てる。
なぜメイイェンを苦しめた女の魔法が、この国の王族に付与されたのかは分からない。
だがシテラが再び攻撃しても、彼らが授かった規格外の魔法に全て跳ね返されてしまうことは、明白だった。
どうする、と思考を巡らせている時間すら、今のルヴィナにはなかった。
「……“在りし日、追憶の奏”」
呪文を呟き胸に当てていた両手を、緩やかに開いていく。
「“我が身の鏡と、心を照らして映し出せ”」
ルヴィナの心に従い、シテラが彼女を蔓で包み、そのまま異形の姿から人型に変化していく。
今のままでは勝てない。
メイイェンと並んで動くには、ルヴィナでは力が足りない。
より強く、誰よりもこの場を支配できる存在でなければ、勝利は掴めない。
彼らは武器に魔法を付与された、普通の人間だ。魔術式が直接書き込まれたわけでもなく、魔法で身体が強化されているわけでもない。
それなら扱える魔法の力は、いくら規格外と言えども限られている。
ルヴィナが正面から対峙した、イザベルの立体魔法陣は、人間が扱える限度を超えたものだったから。
「“シテラガルニバス、我が眷属よ“。 “心を照らし、我に続け”!!」
ルヴィナが思考できる限界は、ここまでだ。
それでも完璧に、ルヴィナの強さの象徴に成り代わってみせる──!
「…………おい」
月光の聖女の変化に、ジルヴェがうめき声を上げた。
全員の心の動揺が切先に現れ、芽吹く魔法が揺らぎ始める。
「おい、ルヴィナ、貴様……っ俺たちを馬鹿にしているのか……!?」
背丈は見上げるように。掲げる気配は支配者のように。シテラと混じり合い力を重ねる骨格は、性別を反転し重心を変える。
柔らかな黒髪はクセを纏って外側に跳ね、長い前髪の間から見える紫の瞳は、緩やかに開かれて眼前を映した。
こつ、と。
革靴の爪先で床を叩き、温度のない表情で目の前を見据える。
「……馬鹿にしている? そうだな、そのセリフ、そっくりそのまま返そうか」
その男はセオドアと同じ声帯を持って、三日月に笑みを浮かべ、吐き捨てた。




