第72話
チューリップが咲き乱れる庭園は、もうどこか遠い国のように思えた。
シテラとフェイに挟まれ、自分の姿を偽ったままのルヴィナは、通された応接室から見える景色に目を細める。
時刻はもう夜だ。
ソファーに足を組んで座るメイイェンは、部屋を警備する兵士たちを見渡し、残念そうな息を吐き出した。
彼女が会いたがっているのは、おそらく第三王子ナリッジの事だろう。強い剣士と言えばルヴィナは彼しか思い浮かばない。
程なくして扉が開き、兵に囲まれた王族が入室してくる。
ソファーの後ろで姿勢を正し、シテラに寄り添ったルヴィナは、現れた人物に息をのんだ。
美しさは鳴りをひそめ、荒れた肌に髪の艶も失った姉姫、──第二王女が、憤怒の形相で踵を鳴らし近づいてくる。
「いったいわたくしの影をどこにやったの、今すぐ連れてきなさい、今すぐによ!!」
ヒステリックに叫んだ彼女が、メイイェンの胸ぐらを掴み上げた。
セオドアが買い与えたワンピースに皺が寄り、メイイェンは目を眇めて第二王女の手を掴みかえす。
「まぁ、客人に対して無礼ですこと。……フェイ」
名を呼ばれ行動を許されたフェイの姿が、脳天から裂けて本性を現した。
白い顔には赤い空洞がいくつも浮かび、細い2本の手足が音を立てて枝分かれする。網目状に膨らんだ下半身が包む、ザクロを模した赤い実が、緩やかに液体を溢して床に広がった。
悲鳴をあげた第二王女を退け、フェイは自身の腕にメイイェンを抱えこむ。
空洞が形を変え、にや、と笑えば、至近距離で見た兵士は泡を吹いて倒れそうであった。
ルヴィナとシテラを守るようにも、白い枝が伸ばされる。
三人を囲う彼に、メイイェンは満足げに頷いて見せた。
「あたくしたちに害なそうとお思いで? まったく浅慮ですこと」
「な、っわ、わたくしに、こ、こんな事をして、良いと!?」
「あら、先にあたくしの一張羅を汚したのは、そちらではなくて? 良いのですわよ、その薄汚い指を切り落として差し上げても」
片手で軽く胸元を撫でて皺を伸ばし、メイイェンはソファーにもたれ掛かる。
この場を支配するのが誰であるか、もはや明確であった。
兵士に半ば引きずられつつ助け出された第二王女に、ルヴィナは目を瞬かせて僅かに視線を下げる。
自分は今まで、どうやって支配されていたのだろう。
今、自分と同じ顔の姉姫を見ても、何も感じないのに。
腹の前で組んだ指先を見つめていれば、再び扉が開かれて顔をあげた。
「恐ろしいわ、どうしてこうなっているのかしら? 国王陛下と王妃陛下の名代で来て、正解でしたわね」
「そうですね、姉君。相手はもう平民だというのに、立場を理解できない思慮の無さは悪でしょう」
穏やかに会話をしながら入室してきた人物に、ルヴィナは呼吸を止める。
それ以上、上手く肺が機能せず、か細い悲鳴のような音が喉を締め上げた。
脳にたった一つの感情が押し寄せて、どうしたら良いか分からなくて、シテラと揃いの侍女服を握りしめる。
現れたのは、リリンベル国第一王女アルヴァラと、第一王子カージナル。
ルヴィナを最も支配した、恐怖の対象だった。
アルヴァラは美しい月光色の長髪を揺らし、ソファーに座ったままのメイイェンを冷めた表情で見つめる。
そして腰を抜かしている第二王女を一瞥し、兵士に穏やかな声をかけた。
「いつも警備をありがとう。その粗悪品を捨ててきてちょうだい」
「お、お姉さま……」
「まぁ、姉などと汚らしい声で呼ばないで。わたくしの妹は、聖女ルヴィナだけよ」
にっこりと笑う第一王女に、第二王女は土気色の顔で絶句する。
兵士に抱えられて退出していった彼女を、シテラは視線で追いつつ、半歩前に出てルヴィナを背に隠した。
「さぁ無礼な粗悪品は排除したわ。そこの平民様も、己の立場を早くお分かりになって?」
「ボクらは愛する妹を探しているのです。それとも、どこも聖女という人間はこれほどまで傲慢なので」
しょうか、と。
カージナルが続けようとした瞬間、フェイがしなやかな枝を床に叩きつけた。
それは大理石が埋め込まれた床を、ヒビのない綺麗な曲線で窪ませ、室内に静寂を連れてくる。
「…………立場を分かっていないのは、アンタたちじゃない?」
吐き捨てたフェイから感じるのは、明確な殺意だ。
過呼吸を必死に鎮めようとしたルヴィナは、空気を裂いた音とフェイの言葉に、ハッとして自分を取り戻す。
何も恐れることはない。
今の自分には、立ち向かう勇気があるのだから。
高笑いしたメイイェンが足を組み替え、フェイの輪郭を指でなぞった。
「お座りなさい、リリンベルの子供たち? ルヴィナの動向を知りたいのでしょう?」
「っ……何様のつもりで、ここは王城ですわ。あなた、今はもう皇帝ではないと知っておりますのよ」
「あらあら、知っているのなら、お行儀良く着席なさいませ」
鈴を転がしたような声で笑い、メイイェンは顎でソファーを指し示す。
第一王女と王子は先ほどあった余裕を捨て、強張った顔色を隠しながら、恐る恐る足を踏み出した。
リリンベル国王と王妃が自ら出向かなかったのは、為政者として当然だ。いざという時、子息女同士の話だとして、逃げ道を用意するのは懸命な判断である。
だからこそメイイェンは、この場で圧倒的な支配者になるのだ。
まずはこの国を、養父母の安寧に向けて足掛かりとするために。
この場に高位魔法使いや魔術師がいたとて、誰も逆らえない程の力を聖女は秘めている。
その手綱を握り操れるのは、世界でたった二人だけなのだと、世界に知らしめるために。
メイイェンがフェイに守られながら立ち上がり、ルヴィナに振り返った。
片手を差し出す彼女に、ルヴィナは意図を理解して目を見開く。
「さぁ、お膳立ては最骨頂でなくて? あなたの存在を見せつける時ですわ」
火炎の聖女がここへきた目的は、強者との相対だろうが、それだけではないのだろう。
これは自国と決別した彼女が手向ける、ルヴィナへの花なのだ。
ルヴィナはシテラと視線を合わせて頷き、緩やかに魔法を解除しながら一歩踏み出す。
肩で切り揃えた月光色の髪を揺らし、メイイェンの隣に立って、細い手に己の手を重ねた。
足の低いテーブルを挟んだ向こう側で、姉兄だった男女が息をのむ。
ルヴィナはメイイェンと揃いのフレアスカートを、指先を添えて持ち上げ、美しい所作で膝を折った。
何も恐れることはない。
ルヴィナ・サックスは愛する家族のために戦える、偉大なる王の養女。
その真実がこの心に、これからも勇気をくれるのだ。




