第71話
チェンノッタに促されエルシィとセオドアが戻ると、路肩に寄せられた荷馬車の上に乗り、様子を窺っていたトゥルバが、銃姿のルーシェを背負い直し飛び降りてくる。
「お袋殿」
「トゥルバくん! ルヴィナさまは!?」
「ひとまず落ち着いてくれ」
扉を開けると、オルジオに抱えられていたヨヒラが、エルシィの胸に飛び込んでくる。
それを抱き止めて内部を確認すると、ルヴィナとシテラ、そしてメイイェンとフェイの姿がなかった。
エルシィとセオドアを待っていた聖女たちは、複数連なった馬車に横付けされ、車内を改めさせて欲しいと交渉されたという。
リリンベル国の兵士だとする彼らは、ルヴィナ第二王女の行方を捜索していると言葉にしたらしい。セオドアが荷馬車を手配したので、そこから足がついたのだろう。
だが車内にルヴィナの容姿をした彼女はいない。その時点で事件にならないはずだった。
「馬車の一つに、王族が乗っていたようだ。ソイツはシテラの顔を知っていて、一緒に来るよう命令した」
トゥルバの一言に、セオドアが僅かに片眉を上げる。
第二王女の侍女として共に過ごしていたシテラが、単独で移動しているのは、確かに不自然に思えただろう。
それに荷馬車の中にいたのは、全員が聖女だ。エルシィたちは割と派手な移動を繰り返していたので、情報が回っていたようである。余計にルヴィナだけがいない事が、目についたのだろう。
リリンベル国の兵も力量差を理解していて、交戦こそ無かったものの、シテラを引き抜こうとしたのだ。
「でも、フェイさんがいたでしょう?」
「ああ。だが、メイイェンが余計な口を出してな」
「えっ?」
突拍子もない状況にエルシィが声を上げると、トゥルバは面倒そうに長い息を吐き出す。
「ルヴィナは半分、あの前皇帝に連れ去られた」
「連れ去られたって、そういう事!?」
話が微妙に考えていた方向から逸れ始め、エルシィは目を丸くした。
腕の中でようやく一息ついたヨヒラが、エルシィの衣服を掴み頬を擦り寄せる。
「でもね、まま。シテラはきっと、おこってたの」
「怒ってたの?」
ヨヒラに聞き返すと、彼女は両手で目尻を吊り上げて見せた。
豊かな髭を撫で付けていたオルジオも、白い眉との間から見える小さな双眸で、少し遠い地平線を見ながら話を引き継ぐ。
「左様です。シテラ様は抵抗なく馬車を降りましたゆえ、何か強い考えがあり申したのでしょうな」
◆ ◆ ◆
ルヴィナは困っていた。
軍馬に跨がる屈強な兵士に囲まれた馬車は、今しがた、エルシィたちと進んできた道を引き返していく。
車内では隣に座るメイイェンが、ころころと笑ってルヴィナに寄りかかった。
「おほほほ、面白くなってきましたわ! あなたの魔法も美しくてよ、ヴィーナ?」
あてがわれた馬車は思うより狭く、車体が揺れれば向かい側のシテラに膝同士が擦る。
目蓋を閉じたまま揺られるシテラは、先ほどから一言も発すことなく、無言を貫いていた。
ただその顔は、ある地方の砂漠に生息するキツネのような、なんとも表現できない顔のままであった。
リリンベル国の兵士たちに取り囲まれた時、ルヴィナは特に感傷も動揺もしていなかった。
彼女はもうエルシィの養女で、姓も変更したおかげで心理的余裕もある。大人しくしていれば良いと、楽観的に考えていたくらいだった。
だが運悪く馬車の一つに、第二王子ジルヴェが同行していたのだ。
シテラを目にした彼は、不自然に思ったに違いない。
共に来るよう命じたジルヴェに、ルヴィナは一瞬、拒絶の声を上げそうになってしまった。
だがシテラはフェイを一瞥した後、涼しい顔で荷馬車を降りてしまったのである。
「っ、……ね、姉さま?」
咄嗟に立場を偽装してシテラを呼ぶと、彼女は振り返ってルヴィナを見上げた。
「あなたはここで、御母堂さまを待ちなさい。きちんと報告するように」
「……? おい化け物侍女、お前、妹なんぞいたのか」
近くで会話を聞いていたジルヴェの一声に、反応してしまったのはフェイである。
彼は額に青筋を立てながら、長い足を惜しみなく晒して地面に降り立ち、シテラを片腕に抱き寄せた。
「失礼な人間ねぇ、アタシの最愛を化け物呼ばわり? ……今すぐここで、全員始末しちゃってもいいんだけど」
血液に似たルビー色の瞳は、ひと匙も笑みを含んでいない。
長身の人外に睨み下ろされ、真っ青な顔を引き攣らせて押し黙ったジルヴェ。そこにメイイェンが高らかに笑って、言葉を重ねる。
「リリンベルの第二坊や? あたくし達の家族に要件がございましょ? よくてよ、あたくしが代わりに参って差し上げますわ」
「う゛っ!? め、メイイェン前皇帝陛下……」
第18代に現皇帝の座をあけ渡したとはいえ、五代王族琴家の苛烈な皇帝を、リリンベル国第二王子が知らないはずがない。
フェイが地面に膝をついて足場台となり、悠々と荷馬車を降りてきた存在感に、ジルヴェはますます顔色を悪くしながら更に一歩下がった。
冷や汗を流すルヴィナの傍で、チェンノッタは愉快げに眺め、オルジオに抱えられたヨヒラは、あくびをしている始末である。
とどのつまり、誰もリリンベル国の人間など脅威に思わず、歯牙にもかけていない状態であった。
「よ、っ良いでしょう、我が妹のお話をお聞きしたい」
メイイェンの完全なる悪ノリに気圧されて、ジルヴェが頷いてしまう。
どうしよう、と視線を彷徨わせた瞬間、メイイェンが振り返ってルヴィナを手招いた。
「おいでなさい、ヴィーナ」
「へ、ぇっ」
「!? ちょっと待って、なんで連れていくの」
仮名で名指しされ、驚いたチェンノッタが割って入る。
しかしメイイェンは有無を言わさず、軽やかに車内に戻ると、ルヴィナの腕を掴んで耳打ちした。
「せっかくの機会ですもの、あなたには紹介して頂きたい人がいるのですわ」
「え……、きゃっ」
気が緩んだところで思い切り腕を引かれ、ルヴィナは背丈の低いシテラの顔で外に出る。
シテラが目を見開いてメイイェンに声をかけようとするが、妹という設定を崩すわけにもいかない。
呆気に取られる2人を置いて、メイイェンが率先してジルヴェと交渉してしまい、あっという間に馬車に押し込まれてしまったのだった。
ルヴィナはほとほと困り果てていた。
ついでにシテラも困っていた。
「リリンベル国には、人技を超えた素晴らしい剣士がいると聞きましたの! あたくし、どうしても会ってみたかったんですわ!」
「だと思ったわ、戦闘狂ちゃん。あのねぇ、御尊父に怒られるのはアタシとシテラなのよ?」
「あら、主君の可愛い我が儘くらい、聞き届けなさいな。大丈夫ですわよ、パパは娘に甘いですもの」
高笑いするメイイェンに、ルヴィナはもはや頭を抱えそうである。
セオドアは確かに優しいが、決して怒らない人ではないのだ。それをメイイェンが実感していないだけで。
「……た、助けて……ママ……!」
自分だけ別行動で、私用を済ませたら戻ろうと思っていたシテラも、片手を頬に添えて嘆息していたのだった。




