第69話
数日後。
聖女たちの万能な魔法と、盤石な魔術ですっかり骨抜きになった母と、義理の息子が出来たことがよほど嬉しかった父に、泣く泣く引き留められながらの再出発だ。
目的地はセオドアの故郷、リリンベル国とホールボーム帝国の国境にある、辺境の地。
ティニバル街と呼ばれるそこは、魔術インクに使う鉱物が採取できる地方都市として、豊かに栄える場所であった。
やや座標が定めにくく、一行は数キロ手前の町に転移し、セオドアが荷馬車を手配して進んでいく。
相変わらず調子の良い民謡を響かせながら、御者役を務める彼に、エルシィは馬車の小窓から顔を出した。
「そろそろティニバル街に入りますか?」
「おう。リリンベル国の管轄だから、滞在許可証も取りやすくて良かったぜ」
「ごめんなさい、セオドアさま。わたし、面倒をかけちゃって……」
興味津々で窓の外を眺めていた彼女は、眉を下げて視線を上げる。
今のルヴィナの容姿は、膝を突き合わせて向かい側に座る、シテラとほぼ瓜二つであった。
多少背丈が違うため、姉妹に見えるほどである。
リリンベル国に入ってから知ったが、聖女ルヴィナは失踪したという事になっているらしい。
トゥルバが出回っている新聞を購入すると、彼女の似顔絵と共に、保護した相手には褒賞を与えるという文面が添えられていたのだ。
ピアノン王家はエルシィと同行している事を知っていて、各国でも話題になっているはずなのだが、そういった内容は一切触れられていなかった。
不可解な状況に怯えるより、憤った彼女は、魔法を使用して自身をシテラの姿に寄せ、自らの身を守っているのである。
いつものルヴィナの喋り方をする、小柄なシテラ、という状態に、フェイが何とも言えない顔をしていた。
「……でも、変だわ。お姉さまはどうしたのかしら」
両親が名付けた『ルヴィナ』は、元々は姉の名前である。
ルヴィナの失踪は、第二王女の存在が居なくなったという事と同義であった。
荷馬車の座席が硬いため、フェイの膝の上に座っているメイイェンが、双眸を細めてルヴィナを見やる。
「あなたの姉姫は分かりませんが、少なくともピアノン王は、あたくしたちのパパとルヴィナが同行していることを、公表したくないのでしょう」
「え? どうして?」
「ピアノン王は、我が琴家と同様、旧王国時代の直系に強い嫌悪感を持っていますの。自国が排出した聖女が、ハープシコード王と行動を共にしている事実を公表すれば、負けを認めた事になりますのよ」
聞き返すエルシィに、彼女は足を組み替え、己の巻いた髪を軽く撫でた。
エルシィには国同士の思惑は与り知らないが、ピアノン王家がセオドアを疎んだのは事実だ。
そのセオドアに誘拐された、などと表現しようものなら、他国から娘すらまともに囲えない軟弱な国だと、嘲笑の対象になりかねないと言う。
それに加えセオドアがエルシィと婚約した事が、ホールボーム帝国の王族を通じて、国境を越え出回っていることも要因なのだろう。
聖女の力に与え、真価を発揮できる存在はある意味、聖女より貴重な存在だ。
そのエルシィに余計な追っ手がつく事を避け、同時に印象を貶める発言も出来ないリリンベル国は、ルヴィナが失踪したと言う落とし所でしか、表現できなかったのだ。
くだらない、と鼻で笑うメイイェンに、ルヴィナは眉を下げて俯く。
「…………セオドアさまは、お父さまたちが言うような、人じゃないわ」
「うふふ、当然でございましょ? あたくしたちのママが認めた男ですわよ」
「なんか、後ろですげぇ褒められてんなぁ」
小窓の向こうから聞き耳を立てていたセオドアが、指先で頬を掻きつつ呟いていた。
ティニバル街に入り、暫く荷馬車を進めていると、セオドアが緩やかに馬を止める。
彼は隣に座っていたトゥルバに手綱を任せ、御者台から降りると、荷台に回って扉を開けた。
「奥さま、ちょっとだけ、寄り道していいか」
「? はい」
「あー、みんなは少し、乗っててくれ」
片手を差し出されて、己の手を重ね、エルシィは馬車を降りる。
続けて降りようとする聖女たちを、セオドアが制止して苦笑混じりに笑った。
「なんで? 僕らも行くよ」
不服そうなチェンノッタの頭を撫で、しかし彼は首を横に振る。
「すまん、……なんというか、あまり、大人数で行けないところなんだ」
セオドアが歯切れ悪く断る様子に、何事か察したのだろうか。
言い募ろうとするチェンノッタを翼で遮り、肩に留まるウィズィが早く行くよう促した。
「ウィズィ?」
「おうおう御尊父! ちゃっちゃと行って用件を済ませてきな! ここは俺たちもいるからヨォ!」
「ああ、ありがとうな」
疑問符を浮かべるエルシィの腕を引いて、扉を閉めたセオドアが歩き出す。
僅かに寂しそうな横顔は、何か、エルシィに特別な事を見せようとしているようで、彼女も口を噤んでいた。
丘を切り崩して建造された街は、通路の大半が階段になっている。
道ゆく人は、現地の住民も観光客も多く、これまで行った国より魔術に関する店が多いのが印象的であった。
セオドアと指を絡ませ、興味深げに様子を眺めていたエルシィは、立ち止まる気配に顔を上げる。
少し小高い階段の上から、セオドアが階段下にある一軒家を見つめていた。
軒先では赤子を抱いた女と、その横で仲睦まじそうに会話をしている女が2人、西陽で影を作っている。
赤子を抱いた女を休ませ、洗濯物を取り込んでいる女は、遠目に見ても美しい容姿をしていた。
快活に笑う顔はセオドアによく似ていて、少し癖のあるレッドブラウンの髪の間から、青と真紅のオッドアイが柔和に母子を見つめている。
エルシィは小さく呼吸をして、夫を見上げた。
彼は微笑ましいと言わんばかりに目尻を緩ませていて、しかし階段を下りようとはしない。
繋ぐ手に力を込めれば、セオドアがエルシィと視線を合わせた。
「…………兄さん?」
彼が口を開くより先に背後から声をかけられ、エルシィは慌てて振り返る。
そこにいた人好きそうな青年は、セオドアを見つめて大きく目を見開いた。




