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第68話

第二部始動です。どうぞよろしくお願いいたします。




 インクの匂いと、古紙の香りが染み付いた室内。

 エルシィを窓際の椅子に座らせ、セオドアが部屋の奥から持ってきたのは、一冊の本であった。

 表紙や裏表紙には、魔法陣のような複雑な幾何学模様が描かれ、壊れた鍵がぶら下がっている。

 小さな丸テーブルに置いて表紙に触れると、指にささくれ乾燥した皮の感触が伝わってきた。


 向かい側に座ったセオドアに、エルシィは躊躇いながら瞳を向ける。


「……これは、わたしが読んでもいいものなんですか?」

「ん? もちろん。これは先人が、──セオドアが、何度も1人の女性を好きになって、その女性に送り続けたラブレターだぜ」


 椅子の背にもたれて笑う表情は、照れくさそうにはにかんでいる。

 大切な、壊れ物のように慎重に、指先で鍵を避けて表紙を開く。


 それは紛れもないセオドアの文字で、こう始まっていた。



『これを読むセオドアに、いつか、愛する彼女との未来がありますように』





 

 無国籍自治区で無事に手続きを終え、エルシィ一行が帰郷したのは、五代王族マライカス家が統治する国、フォアヘッケルだ。

 エルシィの自宅付近に降り立った彼女たちを、家を建て直したばかりの両親が出迎えてくれた。


 心配していた両親に、到着が遅れてしまった経緯を話すと、両親は驚いたように顔を見合わせる。


「まぁ、そうだったの。怪我がなくて良かったわ」

「…………少し痩せたか」

「ううん、お父さん。大丈夫よ。お母さんも心配かけてごめんなさい」

「いいのよ、あなたの無事が一番だわ。お帰りなさい、エルシィ」


 エルシィより少しだけ背の高い母に抱きしめられ、ホッと安堵の息を吐いた。

 続けて父も抱きしめてくれ、エルシィは背後で様子を見守ってくれていた聖女たちに振り返る。


「みんなも疲れたでしょう? おばさんにおもてなしさせて頂戴ね」


 笑顔を振り撒く美貌の母に、聖女たちはすっかり惚けた顔で、新築の家へ招かれた。

 幻想生物までは入室すると手狭になるため、シテラはチューリップの鉢植えに、フェイはザクロの果実に姿を変えて、ルヴィナとメイイェンがそれぞれ抱えて入る。

 オルジオは人型以外の変化形態が取れないため、ヨヒラを抱いてそのまま、木の香り豊かた家に足を踏み入れていった。


 エルシィが入り、セオドアを手招いたところで、父が2人の間に割って入った。

 緊張を表情に滲ませるセオドアに、父は無表情で見下ろし、何度か頷く。

 そして彼の肩を、ぽん、と軽く叩くと、自ら家に入るよう促した。


「…………良い顔になって、安心した」

「あり、がとう……ございます」

「あの時までの君はとても危うかった。……娘を大事にしてくれて、ありがとう」

「……いえ、こちらこそ、いつも大切にしてもらっています」


 どこかかしこまったセオドアの態度は、父の出自を気にしてのことなのだろうか。


 エルシィの父の生家、サクソフォン家は旧王国時代、もっとも強大な権力を持っていた一族だという。

 悪しき統治者の中でもそれは別格で、彼らを打ち滅ぼしたという、男神と女神すら畏怖する対象であった。

 エルシィには当事者として、きちんと知る権利があるはずだ。そうセオドアに詰め寄り聞いた話によると、歴史書には最悪の家系だと記載があるのだという。

 ハープシコード家とバスガイゲ家は、サクソフォン家に追従する形をとり、世界を牛耳っていたのだと。


 旧王国時代の直径であり、金と青のオッドアイを受け継ぐ父は、とても穏やかで物静かな男だ。

 多数の国を相手どり、悪行の頂点に立っていた家系とは信じられないほどに。


 今も父は、すっかりセオドアを受け入れ、和やかに会話を続けている。


「……息子ができて、嬉しいんだ」


 同じく嬉しそうな母にそう言って、はにかみ笑う顔は、エルシィの知る父その人であった。




 父が再建した家はもちろん新しいが、聖女たち全員を宿泊させるほどの広さはない。

 そこで、トゥルバとルヴィナが共同で魔法を行使し、隣に少々不恰好な平屋を建設した。

 ひとまずはそこで就寝し、準備が出来次第、再び出立することにしたのである。


「またどこかに行くの? ここにいてはダメなの?」


 豪華な夕食が振る舞われ、賑やかで楽しい時間を過ごした後。

 片付けをしながら母に予定を話すと、母は心配そうに眉を下げた。


「セオドアさまのご家族に、ご挨拶に行きたくて。一度も会ったことがないの」

「まぁ、そういうことね。それは大事なことだわ」


 セオドアの口から両親の話が出たことはなかったが、祖父、つまりトミー大司教の兄にだけは、エルシィを会わせたいという。

 ついでに割れてしまった瞳用のガラスも、新たに作りたいという意向だったのだ。


 母は納得した様子で、多量の食器類を手際よく流水で洗いながら、少し寂しそうに微笑む。


「なんだか、エルシィったら、あっという間に大人になっちゃったみたいだわ」

「そ、そうかな?」

「そうよぉ。あなたを大好きな子供達がいるから、安全面では心配してないけれど、ちょっと寂しいわ」

「お母さん……」

「ふふ、寂しいから、お父さんにいっぱい甘えちゃおうかしら」


 普段通りの軽口で笑う母だが、きっと本心なのだろう。

 エルシィ自身、大人になったという感覚はよく分からないが、思考の変化は確かにあるのだろう。

 自分が選び取れる最善を考えるようになったのは、きっと、隣で護る誰かの存在が大きいからなのだ。


 だが、そうは言っても。


「でも、大人だったら、世界征服に加担はしないと思うの……」

「え?」


 キョトンとした顔の母に、エルシィは笑って誤魔化した。

 そうやって片付けを進めていると、広間で遊んでいたはずのヨヒラが、あどけない顔で近寄ってくる。


「まま、ヨヒラ、おてつだい、できぅよ」

「本当?」

「うん!」

「まぁまぁ、可愛いわねぇ。じゃあ、一緒に食器を拭いて貰っちゃおうかしら」


 何気ない母の一言に、ヨヒラが山とつまれた食器を見つめ、指を差しながらエルシィを見る。


「ふきふき、すぅの?」

「え、そうね。でも、ヨヒラちゃんはまだ小さいから……」

「──“ひとつ、ふたとせ、みよのいつつき”」


 突然、呪文を唱え始めたヨヒラに、エルシィがギョッとして目を見開く。

 同じく驚きを露わにする母を含め、足元に柔らかな魔法陣が出現した。


「“りっか、ななつの、やおろずねがい”」

「……あら?」


 何事か気がついた母が、自身が拭き途中だった皿を見下ろす。


「“ここのえ、とおとき、──吸い上がれ!”」


 じゅっ、という蒸発音と共に、濡れていた食器類が瞬く間に乾燥した。

 呆気に取られた2人の足元で、ヨヒラが食器の状態を確かめると、エルシィの片足にしがみついて笑みを見せる。


「まま! ヨヒラ、いいこ?」


 ニコニコと笑顔を振り撒く幼女に、エルシィ母は感極まった様子で片手を頬に当てた。


「困ったわ、良い子すぎておばあちゃんもっとダメ人間にさせられたい……!」

「わたしの子に変なことさせないでね!?」


 




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