第61話
エルシィの言葉に、耳元でウィズィが呆気に取られた声を発する。
「……おうおう御母堂様ヨォ。いつの間にそんなことしてたんだ?」
「うん。ちょっと、ね」
三ヶ月半ほど、ただヨヒラと遊び尽くしていたわけではないのだ。
エルシィは手紙をしたため、どうにかグェイドン帝国へ発送してほしいと、オルジオに頼んでいたのである。
母体樹の心が聖女と繋がっているのなら、きっと手紙は皇帝のところまで届くはずだと、そう信じて。
セオドアとチェンノッタの授業を聞いていた時、流通している魔術インクの原材料は、北部から輸出されていると耳にした。
特殊な鉱物が使用されるそのインクは、採取できる鉱山が決まっていて、アマノテル国は輸入に頼るしかない。
オルジオがセオドアのために買い求められるぐらい、市場に出回っているのなら、どこかに外部からの流通経路が残っていると踏んだのだ。
完全に国を封鎖していないなら、届ける望みはある。
エルシィが手紙を通して、大国の皇帝に頼んだことは、アマノテル国に圧力をかけることだった。
グェイドン帝国第17代皇帝、チン・メイイェンは、ヨヒラと同じ聖女だ。
その聖女を閉じ込め、あまつさえエルシィたちも幽閉状態のまま放置するなら、それ相応の報復は辞さないと、手紙で脅しをかけてもらったのである。
エルシィたちは確かに、ヨヒラの魔法を安全に止める手段がない。
なので彼女が考えついたのは、より大きな国から指示をかけてもらい、帝から言質を取ることで、ヨヒラを説得する方法だった。
東の帝国は、苛烈な聖女皇帝のおかげで、周辺国に対しかなりの発言権を握っている。
強い力には、競合しないほどより強い力を。
正統法で救えないなら、手段を選んではいけないのだ。
「ソレは我々の国を守る、大事な人柱だ。連れていくなど」
「ヨヒラは生きてる女の子です。それに大事だと言うのなら、どうして放置するんですか? どうして誰もこの子の傍にいないんですか?」
「必要ないだろう! ソレは供物となって死ぬのだ!」
大きな声でがなり立て、何かを叩きつける音が響く。
驚いたヨヒラが泣き出すと、本屋敷の縁側から見える外が、急激に雨足を強めていった。
「まま、ままぁあ」
「大丈夫よ、ヨヒラちゃん。おいで」
オルジオからヨヒラを預かり、強く抱きしめて耳元で囁く。
「もう少し我慢してね。大丈夫、大丈夫。……わたしはここよ」
泣きじゃくるヨヒラは、必死にエルシィが袖を通す布を掴んでいた。
どこにも行かないことを信じて欲しくて、何度も呼びかけて背を撫でる。
「っさっさと泣き止ませろ、このままでは国が滅ぶというに、どうしてそれが分からんのだ!!」
「滅んだら良いのです。御母堂、ご命令ください。今すぐにでも全員の息の根を止めて見せましょう」
部屋に声が響き渡り、周囲が驚愕にざわめいた。
シテラが肩越しに振り向くと、ルーシェが再び銃を組み替え始める。それは部屋全体を、隙間なく銃撃できるほど展開され、非常に殺意ある形で敵陣を睨みつけた。
一斉に外されたセーフティに、エルシィは片手で銃身の一つを下げる。
「ダメです、ルーシェさん。絶対に発砲しないで」
「……ご命令とあれば」
構えた状態ではあるものの、エルシィの一言に渋々ルーシェは引き下がった。
エルシィはほっと息を吐いて、再び帝がいるであろう御簾を睨みつける。
「死ぬのだとしたら、この子を解放してください。皇帝陛下からのご意志もそうであったはずです」
「だから、ソレは供物で、このままでは水害が」
「だったら、もう雨は降らなくていいと、この子に伝えてあげてください」
「──ッわかったわかった、もういい、もういいのだ、雨を降りやませろこのグズが、どうしてお前は私の役に立たんのだ、もういいのだ!」
立ち上がった大柄な影が、暴言を吐き捨てて御簾が揺れた。
ヨヒラは怯えたようにエルシィに縋り、細く早い呼吸を繰り返す。その様子が何か、別のことを訴えているようで、エルシィは目を見開いた。
そして同時に、選択を誤ったのだと後悔する。
「やだ、こわいよ、こわい、いたいよ、おしかり、しないで、……ヨヒラ、もっとがんばぅよ、やだ、やだよぉ、……おとぉ、さま……!」
その瞬間。
尋常ではない雨量の、滝のような雨が国を包み込んだ。
悲鳴をあげるほどの轟音が地面を叩き、家屋さえ雨を受け止めきれずに軋み始める。それと同時に、それぞれの居住区域を包んでいた結界が、泡のように弾け飛んだ。
空から流れ落ちる洪水は地形すら変えて、地面は陥没し家屋を沈め始める。
オルジオがヨヒラを呼び叫ぶが、音が大きすぎて幼い聖女に何も届かない。
老人の姿が枯れ木に変わり、二つに割れ姿を見せたミイラが、エルシィごとヨヒラを抱え込んだ。
泣き続けるヨヒラをエルシィが呼ぶと、彼女の青灰色の大きな瞳がエルシィを映し込む。
「まま、まま、ほんとはね、ヨヒラ、ちゃんとね、わかってぅの」
「え……?」
「ダメなこと、わかってぅの。でも、でも、……ヨヒラ、いっぱいがんばったの、いいこって、してもらいたかったの……!!」
それは聖女の切なる願いだ。
たった一人残されても、心細く、苦しくても。
オルジオに救われ、ぬくもりを夢見た、忘れられない願いなのだ。
エルシィは彼女の涙をもらって目尻から溢し、胸の中に抱きしめる。
「うん、うん、頑張ったね、いい子だったね、ヨヒラ。……もういいの、ママとパパと、一緒に行こう……!」
その言葉を皮切りに、足元に魔法陣が広がった。
それはエルシィを起点として、一気に国土全体に大きくなっていく。
目蓋を閉じてヨヒラを抱きしめていたエルシィは、頬を撫でた暖かさに目を開いた。
炎鳥だ。
「……え?」
業火は各地で立ち上り、勢いを増していた雨を、一気に干上がらせて天に昇る。
国中を覆い、雷鳴を響かせていた厚く苦しい雲は、炎の煌めきが突き刺さった一秒後、爆発するように吹き飛ばされた。
先程まで雨天であったことなど信じられないほど、雲が消えた青空が太陽を連れてくる。
ポカンと口を開けたエルシィとヨヒラの周囲を、炎が回って包み込んだ。
それは目を奪われる艶紅の炎。
緩やかな軌道を描いて消え去った直後、一重の美丈夫に抱えられた美しき聖女が、高らかな笑い声をもって姿を現した。
「おーほっほっほ! 頭が高いですわねぇ、平伏しなさい愚民共。あたくしのママの御前ですわよ!!」




