第60話
三ヶ月欲しいと、セオドアは指先で口元をなぞる。
「三ヶ月で、他の聖女の魔法が競合しないようにする」
「っ!? バカじゃないの、そんなのやってらんないよ!!」
足の間で叫んだチェンノッタを、彼は珍しく睨み据えた。
大きく肩を跳ねさせた少年は、それでも拳を握り締め、セオドアのオッドアイを睨み返す。
「あの子が魔法をコントロールできるようになるまで、このままでは相当な時間がかかる。何か大きなキッカケがなければ、ヨヒラお嬢さんはずっとあのままだ」
「そうかもだけど、でも」
「俺たちもここから出られず、幽閉状態で生活するわけにもいかねぇ」
セオドアの言い分はエルシィも理解できた。
オルジオが棺桶と表現した通り、転移魔法が使えない今、この国から出国するのは難しい。
アマノテル国は島国だ。加えて周辺は複雑な海流区域だと言う。仮に船を調達できたとしても、海へ漕ぎ出すにはあまりに無鉄砲がすぎた。
体を震わせ憤るチェンノッタに、セオドアは目尻を和らげ片手で頭を撫でる。
「それに言っただろ、チェンノッタ。命懸けで誰かを守るには、どんな手も使うべきだ」
少年は唇を噛み締め、けれども堪えきれないように、手の平で自分の目蓋を何度も擦った。
泣き出してしまった小さな体を抱きしめ、彼はゆっくりと背中を叩く。
「でも、でも、セオドア、……いやだ……」
「大丈夫だ。俺は天才なんだぜ?」
「知ってるよ! でも、あんな魔術式を三ヶ月も書き続けるんだよ、やだ、僕もやる」
「おいダメだ、言っただろ? 絶対に真似するなって」
「いやだ、おまえがやるなら、僕もやる!!」
セオドアの首にしがみつくチェンノッタを宥め、困り果てた様子で彼は視線を迷わせた。
エルシィは二人の様子を見つめながら、考えを巡らせる。
どちらの心配も分かる上、例えばルヴィナだけ認識齟齬の魔法が使えるようにしたとしても、シテラの言う通り本屋敷には連れて行きたくない。聖女が増えたとなれば、余計にこの屋敷に閉じ込めようとするだろう。
かと言ってヨヒラをあのままにしておくのも、どう考えても悪手だ。
食事をし睡眠を取れるようになっても、ヨヒラが魔法を行使し続けることは、いずれ彼女の心臓を止めてしまう。
ここに来たのはイザベルの立体魔法陣が、ヨヒラの雨を吹き飛ばしてきたからだ。
幼子の魔法が競合できないほど強い力なら、少なくとも魔法は打ち破れる。
エルシィは己の胸に片手を当てて、視線を下げた。
この場でイザベルと同等の力があるのは、エルシィだけだ。
だが自分ではこの力を扱うことができず、発動条件も極めて特殊で不安定である。
メイイェンを救った時のように、セオドアと協力すれば可能かもしれないが、今回は規模が大きすぎる。
頭を悩ませ小さく唸り、片手で額を抑えたエルシィは、ふと指先で髪飾りに触れた。
「……あの、上手くいく保証は全くできないけれど、わたしに少しだけ、考えがあるの」
全員の視線がエルシィに向く。
不思議そうな顔をする彼らに、顎を引いて頷いた。
この国独自の衣装に身を包んだエルシィは、ヨヒラを抱いたオルジオと、オウム状態のウィズィ、そして人型になったシテラが背中に銃のルーシェを背負い、共に本屋敷の門を潜った。
遠巻きに何事か囁き声が聞こえるが、部屋の御簾は下ろされているので、影だけが動いている。オルジオの案内で廊下を歩いていくが、出迎える人間もいなければ、すれ違う人間もいなかった。
ヨヒラは不安そうに周囲を見渡し、しかしエルシィの姿が視界に入ると、微笑んで見上げてきた。
「もうすぐよ、ヨヒラちゃん。ちょっと我慢してね」
「うん。ヨヒラ、できぅよ」
優しく頭を撫でてやれば、ヨヒラは嬉しそうに笑みを深める。
同じく目尻に皺を寄せて笑うオルジオが、感慨深い様子でヨヒラに頬擦りした。
「いやはや、こうして屋敷を出られるようになるなど、思わなんだ」
「頑張りましたからね……!」
エルシィが皆に、自分に時間をくれと宣言し、三ヶ月半。
その間、全員が全力でヨヒラと遊び尽くしたのだ。
家の中は他聖女も魔法が使えるので、出来ることから始め、徐々に庭に出て、外に連れ出していく。
特に屋敷の庭園を魔改造し、トゥルバが砂の城を模した迷宮を作った時は、白熱したものである。組分けをして、先に頂上の部屋に到達した方が勝ちとすれば、盛り上がりは夜遅くまで続いたほどだった。
それと並行し、幻想生物たちには積極的に、屋敷の外に繰り出してもらった。
そこで見た国の様子を、出来るだけ表現豊かに、ヨヒラへ話して聞かせるよう頼んだのだ
ヨヒラはあまり屋敷の外に出たがらない為、オルジオも外界の様子を話すことは控えていたという。
しかしエルシィの指示に沿って、外が怖い場所だけではないことを繰り返し話せば、ヨヒラは次第に興味を持つようになっていった。
雨は相変わらず降り続いているが、彼女の関心が他に向くに連れて、雨雲は光を滲ませていく。
毎日、賑やかに楽しく過ごす日々が、ヨヒラに安寧と幸福を与えてくれることを、祈るばかりだった。
そして今日、本屋敷に住まう帝から、直々に封書が届いた。
あれだけ騒げば当然だが、本屋敷に別の人間を連れ込んでいるのは既に知れ渡っている。内容を簡潔に言えば、挨拶に来い、だった。
難色を示す全員に、エルシィが幻想生物を連れてヨヒラと行ってくることを伝えると、それはもう笑ってしまうほどの大反対である。
特にセオドアはエルシィを軟禁しそうな勢いで、思わず平手打ちしてしまったくらいだ。
それでもエルシィは、自らが行かねばならない理由があった。
立ち止まったオルジオに倣って足を止めると、ウィズィが軽く羽ばたいてエルシィの頬に擦り寄る。
シテラとオルジオが御簾を持ち上げて彼女を通せば、そこには多くの兵士が厳戒態勢で片手剣を構えていた。
ルーシェが威嚇するように形を組み替え、四方八方に銃口を向ける。動揺した兵士たちが小さく息を呑むが、エルシィは構わず一歩踏み出した。
広い謁見の間には、目前を連なるように御簾が垂れ下がっている。
その向こう側で数人の影があるが、どれも緊張を滲ませ、ピリピリとした空気が伝わってきた。
「……そなたが、あの紙に記された天女か。我々に何を要求するつもりで、このようなことを……!」
年若い男の声がする。
エルシィは背筋を正して顎を引き、大きく息を吸い込んだ。
「それはもちろん、聖女ヨヒラを迎えにきたのです。そう書いてはありませんでしたか、グェイドン帝国皇帝陛下からの手紙には」




