第58話
「トゥルバ、この2本の棒は、どうやって使うの?」
「こう持って、……こう、……そうだ、上手いなルヴィナ」
「ヨヒラ、はい。熱いから気をつけて。あーん」
「ぁーん」
賑やかな食事の風景に心を和ませつつ、エルシィは重大局面にぶち当たっていた。
右手にしゃもじと、左脇におひつを抱え、食糧庫を前に頭を悩ませる。
無事に聖女が回復し、天然温泉が湧き出る半露天風呂も堪能させてもらい、いざ食事の用意を手伝えば、食料が底をついてしまったのだ。
元々それほど支給が多くないところに、大人数で押しかける形になってしまったので、案の定である。
エルシィはあまり食欲がないので、セオドアの食事を少し分けてもらう程度でよかったが、子供達はそうもいかない。
冷水で洗い物をするオルジオが、見かねた様子で声をかけてきた。
「御母堂様。ここは吾輩に任されよ。本屋敷に直談判へ行き申す」
「ごめんなさい……。なんとかなりそうですか?」
「ふーむ。身内を連れて行き、脅しをかければなんとかなりましょうぞ」
「脅し……」
アマノテル国は、元々保守的で閉鎖的な国である。
エルシィたちは完全な密入国者で、屋敷の外に出れば瞬く間に捕まってしまうだろう。
それに加え聖女の力を高める存在である、エルシィが潜り込んでいる事が露見すれば、不味い状態になるのは火を見るより明らかだ。
聖女が新たな幻想生物を召喚したという程で、食料や日用品を手配する本屋敷に乗り込んで行き、交渉するのが一番確実だと、オルジオは眉を寄せた。
「御母堂さま、私がご協力致します」
食べ終えた皿を運んできたシテラが、片手を胸に当てて一礼する。
「シテラさん」
「失態を挽回する名誉を、頂きたく思います」
セオドアの魔術で回復した幻想生物たちの、飛び起きた開口一番は聖女の名前であった。
普段は平坦な表情が多いシテラも、焦燥を滲ませルヴィナを抱き締めていた。
今の彼女の相貌からも、聖女を守りきれなかった無念が伝わり、エルシィは眉を下げる。
「……わかりました。危ない時は、戻ってきてくださいね」
「ご安心召されよ、シテラ様。臆病者の巣窟にいくだけで申す」
オルジオが安心させようと笑い、下からシテラを見上げた。
暫く二人で双眸を合わせていると、老人は髭を撫でて首を傾ける。
「……おお、そうか。どこかで見たことが、と思っており申したが……。ペイジフェイリリス様の妃様ではござらんか?」
「え、知ってるんですか?」
予想外の名前にエルシィが聞き返すと、オルジオは髭を撫でつつ思案げに視線を下げた。
「面識はない方ですが、お姿だけは」
「……ええ、彼は私の夫ですが」
「夫……。ははぁ、ようやっと陥落させられましたか」
「人聞きの悪い言い方はおやめください。では、私はお嬢さまの許可を頂いて参ります」
陥落、という単語に首を傾げていると、シテラはどこか居心地の悪そうに話を切り上げ、居間へ戻っていく。
オルジオは軽快に笑って、洗い物を再開しながら、傍にきたエルシィに耳打ちした。
「フェイ様が妃に熱を上げているのは、知っており申すか?」
「はい、会いましたよ」
「もう十数年、ずっとプロポーズをされておったと噂で聞いております」
「え、そうなんですか?」
「左様です。妃様がなかなか折れず、時間を要したと。なっはっは、よきかなよきかな」
笑うオルジオに、エルシィはシテラが消えていった方向に視線を向ける。
幻想生物の世界はまったく理解も及ばないが、知らないだけで愛おしい世界があるような気がして、目尻を緩ませた。
食料や生活用品の追加を二人に任せ、目下、エルシィたちが取り組まねばならないことは、ヨヒラの魔法を抑制することだった。
あどけない幼女は絶えず魔法を垂れ流し、それが彼女の生命維持を緩やかに妨げている。
セオドアが屋敷に敷き詰められた魔法を補助したので、ひとまず睡眠はできるようになったが、根本的な解決には至っていない。
彼女の魔法がコントロールできなければ、他聖女たちも転移魔法が使えない状態であった。
まず屋敷の外で、魔法が上手く使用できないのである。
セオドアが魔術を付与したため、屋敷の中は競合しなくなったが、一歩でも外に出ると影響を受けてしまう。
トゥルバが最初に姿を見せた時、砂塵を出現させ物体を移動する魔法を駆使していたが、あれも現在は使えなくなっていた。
ルヴィナの転移魔法陣が崩壊し、無我夢中で崩れ落ちる足元から逃げてきた彼らは、自分たちがどうやってここに辿り着いたのか、覚えていない。
体温が遠のき、全ての世界が閉ざされる場所から逃げることに、ただ必死だったという。
「魔法をね、……ここに、ぎゅっと戻していくのよ」
「?」
「ここよ、ここ。……大丈夫、ママがいるから、すぐに出来るわ」
縁側に腰をおろし、石段を跳ね返る水音を聴きながら、ルヴィナが背後からヨヒラを抱える。
小さな手を胸に押し当てては離す動作を、ゆっくりと繰り返し、ヨヒラに教え込んでいた。
隣に座るエルシィが、綺麗な布でヨヒラの目尻を拭うと、ルヴィナがはにかんだ笑みを見せる。
「ママ、わたし、妹が出来たみたいで嬉しいわ」
「ふふ。そうですね」
「おねえちゃん」
「そうよヨヒラ。お姉ちゃんよ」
嬉しそうに破顔し、丁寧に魔法の考え方を教えるルヴィナの横顔は、少し大人びていた。
微笑ましさに見つめていれば、ヨヒラが両手を前に突き出し、ゆっくりと拳を作りながら引き寄せていく。
「ぎゅー」
「そう、上手ね! ゆっくり、少しずつ小さくしながら、心に仕舞うの。そうすれば魔法は、あなたの想いに答えてくれるわ」
頭を撫でられたヨヒラは、微かに口角を上げて微笑んだ。
セオドアがチェンノッタに魔術を指南する時、それは極めて学術的であった。
だがルヴィナの魔法指南は、というより、魔法の基本的な学び全体らしいが、抽象的かつ想像力を育む言い方である。
魔法陣の存在を相手が感じ、視界を奪われるほど、魔法は大いなる力を発揮する。
その為の訓練はまず、己の心の内側に、どれほど魔法を描けるかによるのだった。
ヨヒラが何度か繰り返していると、ほんの僅かだが雨足が弱まってくる。
「雨が止んできたわ! すごいわ、ヨヒラ。ちゃんとできてる!」
声を弾ませルヴィナが褒めたその時、ヨヒラが目を見開いて声を張り上げた。
「だめ! やんじゃ、だめ、やめて!!」




