第56話
世界地図の最東端。海に浮かぶ小さな島国、アマノテル。
諸外国と細々とした国交を結んでいるものの、あまり外交的ではない国柄だ。
グェイドン帝国と同じく、独自の文化が発展した国で、経済は活火山を生かした産業が主な基盤となっている。
名物はそこかしこから湧き出る温泉と、温泉まんじゅうであった。
しかしここ数ヶ月、聖女が降らせる雨によって、一切の出入国を禁止している国である。
魔法の雨が防御壁になり、魔法や魔術での出入りも出来ないはずだった。
エルシィが経緯を説明すると、オルジオは暫し考えた後、再び外を見る。
「ふーむ……。おそらく、その立体魔法陣の強き威力で、防御壁を突破したのでしょうな。ご両人が参った際、尋常ではない風が吹きましたぞ」
「どうしてここに飛ばされたのかしら……」
「確たるものではございませぬが、この国を棺桶にする思惑が見え申す」
「棺桶?」
恐ろしい単語に思わず聞き返せば、ヨヒラがふと、庭園を見上げた。
何事かと視線を辿れば、上空にモヤがかかっているのが見える。
セオドアが警戒混じりにエルシィを抱き寄せると、背の低い老人に戻ったオルジオが、目を見開いた。
「これはほんに、たまげた魔」
言葉の余韻を割いて、一直線にモヤが屋敷の庭園へ落ちてくる。
視界が砂嵐だと認識した次には、細かい砂塵が水滴を蹴散らして、風を巻き上げた。
悲鳴をあげたエルシィは、セオドアにしがみつきつつ、目前に見えた人かげに目を見開く。
ルヴィナとチェンノッタを両脇に抱えたトゥルバが、一度、深呼吸した。
しかし彼らは声を上げることなく、力が抜けて砂利の上に倒れ込んでしまう。
「みんな!!」
慌てて素足のまま縁側を降りると、聖女たちの傍にいる幻想生物に気がつき、エルシィはたたらを踏んだ。
彼女たちは意識を失った聖女を守るようにおり重なり、しかし這いずるように呻いて、こちらに向かって草木を伸ばしてくる。
それは茶色く濁り、ドロリと黒く汚れた、明らかに腐った体だったのだ。
「ど、どうしたの、何があったの!? しっかりして!!」
錯乱しかけながら呼びかけ、異変に気がついたセオドアも降りてくる。
「ご両人、お仲間を屋敷の中へ! そのまま雨に打たれては、ますます障がありもうすぞ!」
「まま、ぱぱ!!」
オルジオに抱きかかえられたヨヒラが、二人を呼んで暴れていた。
エルシィはハッと我に返り、セオドアと協力して、急いで屋敷の中へ、自分たちが目を覚ました広い講堂へ連れていく。
布団を敷き聖女たちを寝かせると、頼りない足取りで追いかけてきたヨヒラが、三人の顔を覗き込んだ。
三人とも呼吸はしているが、酷く衰弱している。
理由が分からず泣きながら呼びかけるエルシィの前で、セオドアが室内を見渡す。
隅に置かれた旅行鞄を手に取り、歪んだ留め具を外してこじ開けた。
「奥さま。恐らくこれは、転移魔法を無理やり捻じ曲げた反動だ」
「っそんな」
「イザベルの魔法陣は、ルヴィナお嬢さんの転移魔法を作り替えて、君だけを連れ去ろうとしていた。……それを俺たち全員で止めたんだ」
聖女の真髄、転移魔法は、物体を粒子状に組み替え、目的地で再構築する魔法だ。
失敗すれば反動がくる危険と隣合わせの魔法だが、それでも彼らはエルシィを守ろうと、あらゆる力を注ぎ込んだのだ。
セオドアだけがエルシィの傍にいられたのは、身体に多量の魔術式を仕込んでいた為、それを盾に難を逃れられたからだろう。
瞳を隠すレンズが壊れただけで済んだのも、不幸中の幸いだ。イザベルの立体魔法陣の威力を、セオドアが理解し回避できたからにすぎない。
聖女たちは幻想生物の力を借り、己の身を守ったものの、それだけで防げるほど、イザベルの立体魔法陣は単純ではない。
彼女たちの体は粒子の濁流に、意識の半分を奪われてしまっていた。
魔術の準備をするセオドアに、オルジオが眉を下げて声をかける。
「御尊父殿。この屋敷全体が、ヨヒラ様の魔法が充満しており申す。他の術は反発してしまいますぞ」
「ずっと展開してるってことか? ヨヒラお嬢さんの体力が限界じゃねぇのか」
「だからずっと泣いているのです。そしてヨヒラ様は幼子ゆえ、無意識を仕舞い込む事ができませぬ。……この場はヨヒラ様の魔法しか使えませなんだ」
面食らった様子のセオドアは、外しかけたインク壺から手を離した。
「……魔法の雨を降らせて、それが防御壁にもなって、屋敷も結界を張って?」
「この国のあらゆる居住区画に、結界を張っており申す」
「…………マジかよ……。……女皇帝並にとんでもない魔法の規模だな。それってこの子は眠れてるのか?」
セオドアの一言に、オルジオが言い淀む。
エルシィが困惑気味に夫を見ると、彼は渋面を作って小さく舌打ちした。
「……二重、三重に魔法を行使し続けてるってことは、絶えずお嬢さんの意識が働いているということだ。止め方も分からない魔法が、眠りを妨げているんだろ」
「そんな……」
「お嬢さんに魔法を更に使わせるのは、完全に命を削る行為だ。これ以上、そんな事はさせられない」
項垂れて片手で顔を覆い、天井を振り仰いだ彼に、ヨヒラが抱きついた。
はらはらと流れ続ける涙が衣服を濡らし、細い呼吸音が空気を震わせる。
「ぱぱ。……ヨヒラは、わるいこ? おしかりする」
「ん? ……いーや、お嬢さんは良い子だ。……よし、まぁ、やってみようじゃねぇか」
再びインク壺を手に取り蓋を開け、数本の万年筆やペン軸、携帯用のインクカートリッジなどを次々取り出していく。
畳の上に並べた彼は、長く息を吐き出して、両手で前髪を後頭部にすき流した。
「オルジオ。お嬢さんが展開している魔法、わかる限りでいいから全部、ちゃんと教えてくれ。魔術式が競合しないようにする」
「そっ、そんな芸当が可能と」
セオドアは青と真紅のオッドアイを細め、一度、エルシィを見る。
どうかしたのかと目を瞬かせれば、柔らかい笑みが心を貫いて、エルシィは息を詰まらせた。
そして彼は口角を吊り上げ、不敵に笑って宣言する。
「旦那さまにお任せあれだ。……天才魔術師の本領、とくとご覧いただこう!」




