第52話
宮殿内にある王族の住居では、統治王が王妃と共に、青褪めた顔で逃げ場を失っていた。
トゥルバは目を細めて、腰を抜かした兵に囲まれた二人を睨みつける。
居場所を奪われ過ごしてきた遊牧民族たちも、無言で武器を構えて、トゥルバの背後に付き従っていた。
悲鳴をあげるが動けない二人の前には、一人の男が立っている。
土気色に近づいた顔で剣を構えるのは、エルシィの国の第一王子、マシューだ。
「やぁ、サックス嬢。ちゃんと生きてて嬉しいよ」
「殿下……!」
思わず踏み出したエルシィを、セオドアの片手が押し留める。
彼は険しい表情のまま、室内を見渡して何かを探っているようだった。
トゥルバはマシューに視線を戻し、目を眇めて口を開く。
「……アンタが、エルシィを砂漠に捨てたんだな」
「とんでもない。僕は話にのって、手伝っただけだよ」
語学に長けたマシューは、トゥルバとの会話も造作ない。穏やかな口調はいっそ恐ろしいほど冷静だ。
相対するこちらと、力量差で敵わないことを知っているはずなのに、マシューの瞳は揺らがない。
──否、揺らぐものがないような、そんな相貌だった。
トゥルバは殺気立つ仲間を制し、ルーシェに呼びかける。
大きな銃は形を組み替え、数十はくだらない銃口を持った姿を展開すると、全てのセーフティを一斉に外して、シリンダーを引いた。
禍々しいほど強烈な殺意の塊に、王妃が泡を吹いて気絶する。
統治王も涙を流しながら、トゥルバに向けて両手を擦り合わせた。
「ま、待ってくれ、こ、この場所を望んで、いるのだろう!? い、いくらでも、いくらでも渡す、全財産を渡す、だからどうか、助けてくれぇ……!」
ルーシェが咆哮をあげて、銃口の一つが発砲する。
光を帯びた銃弾は空気を切り裂いて、統治王のすぐ斜め上を打ち抜き、壁に穴を開けた。
「黙りなさい。我らが聖女トゥルバの、厳かなる父君は、汚らしい命乞いなどしませんでした」
「ひ……っ!」
「父君は誇り高き、愛ある戦士でした。その生命を踏み躙っておいて、命乞いなど恥を知りなさい。我らの聖女を脅かした愚行、その身をもって償いなさい」
「ルジー」
ルーシェの声が微かに震えているのは、気のせいではないのだろう。
トゥルバが優しく声をかけ、片手で無機質な外観を撫でると、彼女は小さく鼻を啜るような音を響かせる。
「……ワタシの聖女を、これ以上、侮辱するな……!!」
心を震わせる怒号に、エルシィは眉尻を下げた。
幻想生物にとって聖女は、何にも変え難い宝物だ。聖女が傷付けば一番初めに怒り、最後まで悲しみを背負って、彼らと共に生きていく。
アサルジンシャリエも、トゥルバに出会った時の悲しみを、未来永劫忘れることはないのだろう。
父の遺体を胸に抱いて願った、たった一つの祈りを、永遠に。
言葉もなく体を震わせる統治王を横目に、トゥルバは仲間に指示を出す。
王と王妃は押さえた。宮殿を回って敵兵に知らしめ、害なす相手を今度こそ追い払うのだ。
トゥルバの言葉に力強く頷いた遊牧民族たちは、それぞれが合図を掛け合って、走り去っていく。
彼は仲間の背を見送ってから、改めてマシューに視線を戻した。
「……アンタ、そこをどけ。……蜂の巣になるぞ」
「それは困ったな。でも、そういう訳にはいかないんだ」
マシューが一歩踏み出すのと同時に、ルーシェの威嚇射撃が床を抉った。
しかし第一王子は空な目で笑って、足を止めずにトゥルバに近づいてくる。
僅かに表情を歪めたトゥルバの背後で、セオドアが壁を指差し、声を張った。
「マシュー・マライカス殿下。君の懸念は、そこにあるんじゃないか」
ひくり、と。
マシューの顔が驚愕に染まって、セオドアが指差した方向を見る。
そこにあるのは、なんの変哲もない木板の貼られた壁で、彼は呼吸を震わせて首を左右に振った。
「……ちが、う……そんなはず、ない。……だって、どこを見ても、どこにも……」
「隣の部屋じゃない。部屋を繋ぐ壁の間だ。魔法が漏れ出ているのが見えるぜ。……大丈夫、まだ生きてる」
剣を投げ捨てたマシューが、血相を変えて木板の壁に駆け寄る。
彼は指先で木目に触れ、確かめるように触れて、視線を彷徨わせた。
「カティ!! カティ、迎えにきたよ。カティ、カロライナ、そこにいるのかい、返事をしてくれ……!!」
泣き叫ぶマシューに、エルシィは混乱してセオドアを見上げた。ウィズィがすぐさま本性を現し、預かっていた旅行鞄を渡すと、セオドアは留め具を外して万年筆を取り出す。
インク壺の蓋を開けてペン先を濡らし、壁に近寄って目を細めれば、美しい字体で魔術式を書き連ねた。
呆けた顔で見つめていた統治王が、我に返って体の向きを変えた。
真っ白な顔色は死人のようで、慌てふためいた様子で腕を伸ばす。
「待て、待ってくれ、やめろ、マシュー殿下、違う、我々は味方だ、そこには何も──っギャアア!」
ルーシェが引き金を引き、統治王の指が一本、壁に向かって弾け飛んだ。
血が噴き出す患部を抑えた男は、痛みに悶絶して泡を吹いている。
終点を打ち終えた魔術式が、淡い光を帯びて木板を粉々に砕いていく。
その中から砂の塊が浮き出て、少女の姿が土を破って倒れ込んできた。
柔らかな金髪は薄汚れ、頬はこけて骨と皮ばかりになっても。愛らしいアーモンド色の瞳はマシューを映して、彼女は第一王子の上に重なり落ちた。
「マシュー……!」
「カティ!!」
両腕に抱き締めた、命よりも大切な婚約者に、第一王子はそのまま咽び泣く。
セオドアは公爵令嬢に回復の魔術を施してやりながら、トゥルバに目を向けた。
「挙動がおかしいとは思っていたんだ。こんな内乱激しい場所に第一王子が自ら出向くなど、普通は有り得ない。連れてきた護衛の数も少なかったしな」
「……その原因が、その女か」
「宮殿中、魔法や魔術の気配が蠢いていて、俺もここに来るまでは気が付かなかったが。……まぁでも、俺に好意的な態度で話しかけていた連中が、しきりに認識阻害や、物を隠す魔術を主体に聞いてきたのも、合点がいったぜ」
入国時セオドアは確かに、他の魔法使いや魔術師と意見交換の機会を得ていた。
その時は遊牧民族が使用している魔法について、突破の糸口を探っていると認識していたという。
だが一番重要だったのは、マシューの婚約者を閉じ込める事だったのだ。
「…………カティは、ただ純粋に、留学を楽しみたかった、だけなんだ」
細い呼吸を繰り返しているカロライナを抱きしめ、マシューが小さく呟く。
エルシィの祖国とラバタール連邦は、貿易の盛んな友好国が多数ある。
しかし近年、各国で武器を生成するための鉛の供給量が減っていて、祖国も取り引きに乗せられなくなっていたのだ。
遊牧民族との紛争が絶えない連邦は、武器の量産が必要不可欠。諸外国は関税を吊り上げはじめ、連邦は右も左も向けない苦しい状況に、立たされ始めてきた。
その中で舞い込んできたのが、カロライナの留学だ。
世界情勢を理解していたマシューは、彼女を行かせたくなどなかった。
だが語学留学は以前より決まっていた事で、抵抗虚しく、カロライナは国を離れることになる。
そして程なくしてマシューは、最愛の人と、一切の連絡が取れなくなったのだ。




