第51話
統治王が住むラッカヌーン国へ、砂で出来た戦士が訪れたのは、間も無くのことであった。
チェンノッタの魔法で、すっかり戦意喪失していた軍隊は、宮殿の前を占拠した夥しい戦士に、もはや戦うことを放棄する。
トゥルバの魔法で作られたその兵は、遊牧民族たちを守る盾となり、突き進む武器となり、彼らの心を胸に宮殿を突き進んでいく。
エルシィは緊張を滲ませる顔で、唾を飲み込んだ。
前を行くトゥルバの背より、銃の姿になっているルーシェが、柔らかな声をかける。
「御母堂。ご安心ください。我らが聖女は、必ずや集落の安寧を取り戻します」
「ルーシェさん」
民衆は遊牧民族の味方であった。
事前に何の話し合いもないまま、軍は無差別に侵攻を開始したのだ。民衆の不信感と反発は凄まじく、そこへ軍だけを狙ったチェンノッタの魔法が広がり、人々は守られたのである。
世間一般にいる魔法使いや魔術師など歯牙にも掛けない、得体の知れない力であったことは事実だ。それでも少年の魔法は、誰にでも等しく訪れる夜と同じである。
その向こうにある朝日に、民衆は安堵し、道を開けたのだ。
宮殿の最奥にある現王の住居の前では、逃げ遅れた兵が目を回して倒れている。
その前では軽く手を払ったエルシィの母が、愛娘を見つけてにこやかに片手を振った。
「まぁエルシィ、お帰りなさい」
「お母さん!? これはなに、どうしたの!?」
「あら、ごめんなさいね。お父さんを連れていくって言うんだもの。お母さん、驚いちゃって」
慌てて顔を巡らせれば、柱の影で震えている父が目に入る。
父は見た目こそ筋骨隆々の彫刻でいかついが、極めて穏やかな性格の人である。暴れ回る母に顔色は真っ青で、胃腸は爆発寸前であった。
エルシィが走り寄れば、父は娘を抱きしめて、……というより、縋り付いて、彼女の頭を優しく撫でる。
「お父さん、大丈夫だった? 怪我してない?」
「大丈夫だ」
「まぁエルシィったら。お母さんがいるのに、お父さんに怪我させるわけがないでしょ」
「きゃあっ!?」
突然、どこからか砲撃されて、母が片手で飛来物体を叩き飛ばした。
宮殿の中を砂が舞い、視界が不鮮明になり、生物の気配が近づくのか遠いのかも分からなくなる。
エルシィを連れ去った魔法だと認識した刹那、恐怖が肌を粟立てて、息が詰まった。
「奥さま、俺から離れないでくれ」
セオドアと聖女たちが、エルシィたち家族を背に庇って、砂の向こうを睨みつける。
母は特に感慨もない顔で指を鳴らし、軽く地面を飛び跳ねた。
一気に緊張が高まってトゥルバが砂の兵を動かし始めるが、エルシィの母は間延びした声で、彼らを遮った。
「大丈夫よ、先に行って頂戴ね。ここはおばさんに任せて」
「し、しかし、相手は魔法使いだ。ルジーの力があれば難なく終わる」
「力は温存しておかなくちゃ。それにただの魔法使いでしょう?」
のほほんと言い切った母に、エルシィは冷や汗を滝のように流しながら、皆を促す。
「み、みんな、ここはお母さんに任せて大丈夫。走って! トゥルバくん、先導して!」
砂嵐の向こうから縦横無尽に向かってくる、魔法を帯びた砂の塊だ。
しかし一行に届く前に、強靭でしなやかな肉体を持って、その全てが打ち返される。
エルシィの母はベールを身に纏いながら、踊るように天井をつたって、身を忍ばせていた魔法使いの横っ腹を蹴り飛ばした。
悲鳴をあげて引き摺り出された魔法使いの女は、あまりの痛みに呪文が途切れ、砂嵐が即座に晴れていく。
鍵のかかる扉を解除しているルヴィナの後ろで、エルシィの隣にいるセオドアが、もうほとんど悲鳴のような呼吸音を飲み込んだ。
「…………すっげ……」
「あんまり見ないで旦那さま! わたし、いたたまれない……!!」
エルシィの母は、力を買われてこの場所にいる。
全ての悪意を見切る、驚異的な動体視力と、それに見合うだけの身体能力を持った人なのだ。
母は血反吐を散らして疼くまる魔法使いに、軽やかな歩調で近づいていく。
「まぁまぁ、こんな若いのに。ねぇあなた、もっと相応しい生き方がきっとあるわ」
「──ッバカにして……!?」
奮起した魔法使いの足元に、歪な魔法陣が浮かび上がる。
瞬時に砂で出来た槍が形成されて、数センチの余地もない地面から母に向かって放たれた。
しかしそれすら、僅かな動作で避けてしまうと、母は残念そうに肩をすくめる。
「魔法がくるまでの速度が遅いわねぇ。ううーん、困ったわ。おばさんね、これ以上の……」
「お父さん!!」
ハッとしたエルシィの声が、周囲に響き渡る。
魔法使いが飛ばした砂の槍は、軌道を変え、父のいる柱の付近に突き刺さったのだ。
頭を抱えて退避する父に、母は瞠目して、半ば無意識に魔法使いの腹を蹴り上げた。
大変嫌な音がして、魔法使いの体が吹っ飛んでいく。
いくら女とはいえ、ありえない高さまで打ち上がった体に、エルシィは悟った。
父に怪我はないようだが、もはやそんな生優しい次元を超えている。
あの魔法使いは間違いなく、母の琴線に触れたのだ。
あの状態になった母はもう、目に映る、父に害なす存在全てを排除するまで止まらない。
「みんなお願い、早く扉の中に行って!! お願い!!」
重量のある扉を押し開けて、全員が室内に雪崩れ込んでいく。
そして再び、慌てて扉を閉め直した向こう側で、背を見せる母が呟いた。
「……うふふ、お母さん、頑張っちゃうぞ」
語尾に星の幻覚が見えた気がしたが、もはや誰も助けに入ることはできないのである。




