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第50話




 タールバ・リク・トゥルバの父は、各国の新聞を取り寄せて、日がな一日読み込むのが好きな人であった。

 

 丸メガネに優しい顔立ちが印象的な知識人で、戦士としては弱小も良いところではあった。性別を問わず屈強な人格者が多い集落で、トゥルバの父は確かに浮いた存在であったかもしれない。

 見目麗しい母は、平凡な顔立ちの父を嫌い、疎うた。トゥルバを出産した後は、父が先祖代々管理している遺産を使い、贅沢三昧であったと記憶している。



 いつも通り母がいない日、父は一枚の新聞をトゥルバに見せた。

 そこに書いてあったのは、砂漠を超えた国で聖女と間違えられた子供の話だ。各国から大いに批判されているという内容だった。

 疑問符を浮かべる幼いトゥルバに、父は優しい目をして、新聞を指し示す。


「いいかい、トゥルバ。……この人が、我らが祖。サキソフォン家の姫君だ」

「お姫様?」

「そうだよ。今はもう、そう名乗ってはいないようだが……。お(じじ)殿も言っていた、我々リクの民が尊ぶ、唯一のイレア(美しき神)だ」


 そこにあったのは名前だけであったが、トゥルバは食い入るように活字を見つめた。

 父も、祖父も。その先祖も。

 建国王の血を引く者たちは皆、他王族たちが疎む旧王国時代の直系を、敬うことを是とした。

 トゥルバもそれが当然だと胸に刻み、いつか会える日が来るだろうかと、心を弾ませる日々だった。


 しかしその日々も、母が現王に捕縛されたと連絡があったことで、大きく変わることになる。


 父は愛用の銃を持って立ち上がった。

 母は父を愛してはいなかったが、それでも父は母を愛し、母のために命をかけた。

 戦士として弱小ではあったが、銃の腕は遊牧民族一であった父。成長したトゥルバも同じく銃を持ち、父の補佐をしながら奪還作戦に参加した。


 だが全ては、罠であった。

 建国王の血を根絶やしにし、王位を奪った現王の血を唯一にするために。

 莫大な富を築いていた現王が母を(そそのか)し、王妃に据える代わりに身内を呼び寄せろとした策略であった。


 宮殿には魔法使いや魔術師が多く仕え、遊牧民族の戦士は一歩のところで力及ばず倒れていく。

 軍に捕まった父は現王の前に引きずり出され、トゥルバの前で命を奪われた。


 母は笑っていた。

 褐色の肌に白い髪、蠱惑的なスカラベの瞳。

 トゥルバは初めて死を願った。


 誰かの死を、ただ、心から。


 魔法で強化された歪な剣で、心臓を貫かれた時も。

 誰かの声が聞こえ、意識が黒で塗りつぶされる時も。


 ただ心から純粋に、誰かの死を願った瞬間だった。



 聖女として覚醒し、幻想生物アサルジンシャリエと共に仲間を助け、父の遺体を集落に連れ帰った後。

 命を落とした戦士たちの葬儀を終えて、トゥルバは宮殿の奪還を皆に伝えた。

 口先では皆の生活の安全と、これからの事を考えてだと名目を並べた。皆の士気は高まり、結束も強くなったが、トゥルバの本心はいつも別のところにあった。


 聖女としての力は確かに強大だった。

 今まで逃避の中にあった日々は、反撃の一手を繰り出すことができ、誰もトゥルバの力を乗り越えてこられない。

 砂を操り結界を張り、罠を仕掛け、蜃気楼を纏い、蟻地獄の底に敵兵を沈める。

 加えて、巨大な銃火器に変形するルーシェの、人間を超越する力。あらゆる魔法や魔術を迎撃し、どんな飛び道具も的確に撃ち落とす力は、確かにトゥルバへ自信と希望を与えていた。


 だがそれでも、あと一歩が何か足りない。

 上手く立ち回っても、仲間と強力しても、絶対的な力を行使できる何かが、足りないのだ。



 

 エルシィのことは、父と同じく新聞を取り寄せながら、動向を追っていた。

 彼女がこの世で最も強い魔術師と婚姻を結び、聖女二人と行動していると知り、最初に浮かんだのは安堵である。


 だが、母体樹の存在に気づき始めた要人たちが気に掛かり、トゥルバは彼女の両親に、彼女を連れ戻すよう頼んだのだ。

 このままではきっと、エルシィは争いに巻き込まれる。

 自分は彼女の聖女だ。危険な目から一番遠い場所にいてほしいのだ、と。


 そう願ってもエルシィは、作為的にトゥルバの元へやってきてしまう。 

 ひどく後悔したのに、いざ彼女が目覚めると、心が救われるような気分をトゥルバは感じたのだ。


 優しいのに、芯のある真っ直ぐな声。オリーブの髪は絹のようで、女神さえ見惚れる青と金のオッドアイ。

 彼女の父と同じその瞳は確かに、旧王国時代の頂点に君臨した、偉大なる王、サキソフォンの血を引いている証だった。


 この人は、(イレア)だ。

 

 だからこそ巻き込みたくなかった。


 どこか遠い地で大切な家族と、いつまでも笑って過ごしていて欲しかった。





 目の前を覆う闇に、言葉を失う。

 トゥルバの目前に迫るのは、共にいることを誓った夜の一部だ。

 それは仲間に、朝を迎える安寧に似た暖かさを与える。そして同時に、敵だと認識する相手を、深き淵の袂に(いざな)っていく。


 チェンノッタの、歌うように紡がれる呪文と魔法は、度肝を抜かれるほど凄まじい強さだった。


「のっ、の、ノッタくん、魔法を使うのはあんまり慣れないんじゃなかったの……!?」

「練習してるって聞いてたけど……、ノッタすごいわ……!」


 横から焦りを滲ませるエルシィの声と、感心しきりなルヴィナの声が、耳を左右に抜けていく。

 トゥルバは見えない足元を恐々と踏み出し、大きく目を見開いてチェンノッタを見つめる。


 徐々に闇が収束していき、視界が開け始める。

 最後は、影の花を模った魔法陣に集約されると、命が散るように解けていった。


「おいクソガキ! 気絶させただけに留めただろうな!?」

「うるさいクソヤロー。当たり前だろ、それくらいできるよ」


 セオドアが顔を引き攣らせながら嗜める声に、チェンノッタは目を眇めて首を傾ける。

 彼は緩やかな速度で小さくなっていくウィズィに乗ったまま、トゥルバを見下ろし、口角を上げた。

 

 自信に満ち溢れる小さな少年に、トゥルバは息をのんで呟く。


「……俺も、その高みにいけるのか」


 傍で聞こえたルヴィナが、軽くトゥルバの腕に下がる装飾品を引っ張った。

 視線を向けると聖女は、穏やかな笑みでエルシィと手を繋ぐ。


「大丈夫です、トゥルバさま。……わたしたちはママがいれば、なんでもできるのよ」


 視野の向こうに光がさす。 

 それは胸を掻き毟りたいほど自分勝手で、泣き喚きたいほど傲慢な、それでも手繰り寄せたいと願う光、そのものだった。


 

 


 


 


 

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