第43話
エルシィが助けられたのは、遊牧民族の根城であった。
ルジー曰く、聖女が張り巡らせていた結界の中に一人、砂漠の真ん中へ捨て置かれていたのだという。
全身砂まみれで息もか細く、大急ぎで運んで治療したのだと、異形は目を細める。
「目が覚めて安心致しました。聖女トゥルバも、あなたが目覚めぬ間、生きた心地もしなかったでしょう」
「……その、トゥルバさん、は……」
移動式家屋の扉に下がる布が、小さく揺れた。
ハッとしてルジーに寄り添うと、彼は穏やかな調子で出入り口に顔を向ける。
入室を許可すれば、一人の青年が片手で布を押し上げ、足を踏み入れた。
白い短髪に褐色の肌。スカラベ色の三白眼は眼光も鋭く、身長はエルシィより少し高い。
筋肉の割れた腹を晒しながら、白っぽい防具をベルトで固定し身につけた彼は、エルシィの顔をじっと見ると、胸を撫で下ろした。
そして彼女の前で膝をつき、首を傾ける。
『……気分は?』
操り発せられた言葉はアイリス語だ。違和感を抱いて頭に触れると、フェイから貰った彼の分身が外れてしまっている。
こちらでは珍しい髪飾りであったので、もしやむしり取られたかと、エルシィは青い顔で青年を見た。
『え、っと……助けてくれて、ありがとうございます。わたしは大丈夫』
『そうか。……アンタがママだろう?』
「ん゛っ」
思わず、力強い声が喉から飛び出す。
青年は特に気にした様子もなく、ルジーに視線をやった。
「×××、××」
聞き慣れない言語が頭上を通り、ルジーが頷く。
「そうです、聖女トゥルバ。彼女は間違いなく、我らが母体樹です」
「んん゛」
再び野太い声が口をついて出てしまった。
状況的に考えうる線だが、この青年、おそらくエルシィと同い年か少し年上である。
今度は別の意味で青い顔をしていると、青年が憤慨した様子でルジーに抗議し始めた。
早口で捲し立てるので、余計に何を言っているのか全く分からない。
呆気に取られて見ていると、彼は、──トゥルバは、眉を吊り上げた顔をエルシィに向けた。
『おい、ママから言ってくれよ! なんで聖女って言い方しかねーんだよ! 俺はどう見ても男だろうがよ!?』
申し訳ないがエルシィは盛大に吹き出した。
見方によっては強面の部類に入る青年から、なんの躊躇いもなく発せられる、ママ。
流石にいたたまれず、エルシィは両手をあげて、どうどうと青年を抑えつける。
『あ、あのですね、わたしの名前はエルシィと言います。エルシィ・サックス。どうか名前で、名前で呼んでほしいな』
『ん? ママが名前じゃねーのか?』
『へ?』
今度は隣のサボテンが変な声をあげた。まじまじと見ると、異形は体躯をプルプルと震わせ、大きな目を逸らしている。
エルシィはだんだんと状況を察してきて、半目でルジーを睨みつけた。
善意ある青年を揶揄うなど、悪い大人のする事である。
エルシィは言葉を選びながら、ママという単語は名前ではなく、母親を指す言葉なのだと教授すると、トゥルバが真っ赤な顔で言葉を失った。
やはり彼は、人名だと思っていたようだ。しかもそれを分かっていて、ルジーは訂正していなかったようである。
トゥルバは凄まじい形相でルジーを睨み、立ち上がりざま思い切り幻想生物の体を蹴り飛ばした。
短い悲鳴をあげてしまったエルシィだが、当の本人に対した衝撃はないようである。
ぽいんぽいんとその場を軽く跳ね、薄紅の瞳を柔らかく細めるだけに留まっていた。
「××××!!」
「うわぁいたい。暴力反対です、聖女トゥルバ」
言葉は分からずとも、暫く憤慨して叫び散らかしていたトゥルバは、未だに赤い顔でエルシィの前に座り直す。
『俺はトゥルバだ。タールバ・リク・トゥルバ。敬語はいらない』
『リクの戦士、ね。ありがとう、トゥルバくん』
『お袋殿を助けるのは当然のことだ。アンタ、砂漠に捨てられてたんだ。死ぬ前に見つけられてよかった』
聖女から見るエルシィの立ち位置は、やはり母親らしい。
遠い目をしつつ片腕をさすると、彼は少し痛ましげに眉を下げた。
『起きて早々悪いが、アンタにはまず、ここを出てもらう』
『え……』
『アンタは連邦側が用意した餌だ。このままここに長居させれば、必ず奴らに嗅ぎつけられる』
『ここって……』
トゥルバに促されて立ち上がれば、僅かに足元がふらつく。
すかさずルジーが己の体の上に座らせ、サボテンが蠢いて背もたれを作る。
無数に突き出た棘はエルシィが触ると柔らかく、躊躇いつつもありがたく腰を下ろした。
トゥルバが扉に下がる布を掴み、紐を引っ張って吊し上げる。
眩い太陽の光に視界を奪われつつ、徐々に見えてきた光景に、エルシィは目を見開いた。
同じ移動式住居のテントが囲む、一つの集落だ。
老若男女、さまざまな年代の人々が、仲睦まじく交流を楽しんでいる。
中央では炊き出しが行われていて、食欲を誘う香りが漂い、大きな鍋を囲んで団欒の花を咲かせていた。
それはまるで、垣根を越えた家族のようで。
心を潤す光景に強ばっていた身体の力が、緩やかに抜けていくようだった。
「イレアー! イレア!」
数人の子供たちが、そう言いながら近寄ってきた。
両手に抱えた籠には、沢山の果物が乗せられ、子供たちは嬉しそうにエルシィへ差し出す。
笑みを浮かべつつも戸惑ってトゥルバを見上げると、彼は目尻を下げて小さく笑った。
『受け取ってくれ』
『……ありがとうって、なんて言うの?』
快く教えてくれたトゥルバに倣い、子供たちの頭を撫でながら感謝を伝える。
小さな彼らは、心から嬉しそうな笑みを浮かべ、手を振りながら駆けて行った。
微笑ましい様子に手を振りかえしながら、エルシィは首を傾ける。
「イレアって、何かしら……?」
「周辺国の神話に残る、今生で最も美しい女神のことです。当然の賛辞です」
思わず口から出た呟きを拾ったルジーが、大きく体躯を膨らませた。




