第42話
深夜の宮殿は、静まり返っている。
エルシィは部屋着に外套を羽織り、珍しい植物を眺めながら一人、庭園の奥へ佇んでいた。
さわさわと肌を撫でる風は冷たく、昼間の熱波が嘘のようだ。
見かけたベンチに腰を下ろし、両手を擦り合わせて、ぼんやりと夜空を見上げる。
「……サックス嬢? どうしたんだい?」
複数足音が聞こえて視線を向ければ、従者を引き連れたマシューが目を丸くしていた。
彼は先ほどまで宰相と会談をしていたらしく、ようやく話がまとまって部屋に戻る途中だという。
彼の宿泊場所はエルシィたちと異なり、この庭園を抜けた先にあるのだそうだ。
エルシィは立ち上がり、裾を持ち上げ頭を下げる。
「い、いえ。少し散策を」
「一人で? ハープシコードは?」
「か、れは、その、部屋で子供たちといます」
不自然に言葉が途切れたのは、マシューにも伝わってしまったようだ。
彼は眉を顰めてじっとエルシィを見た後、兵士に周辺を見回るように言いつけ、侍女を側に残し、エルシィの隣に腰を下ろす。
「……何かあったのか?」
「いいえ全然!」
「嘘が下手だなぁ君は。ハープシコードが何もないのに、君を一人にするわけがないだろう」
「う゛……」
第一王子にはここ数日で、すっかりセオドアの性格は把握されてしまっているようである。
エルシィが一人でいるのは確かに、彼から自発的に逃げ出してきたからだった。
片手でベンチの軽く叩き、座るよう促すマシューに、エルシィは大人しく従う。
マシューは一応、昔馴染みだ。それほど交流は多くなかったが、彼が婚約者一筋なのも分かっている。
どこか安心した心地で息をつくと、彼は庭園を眺めて目を細めた。
「喧嘩したのかい」
「………………いいえ。……でも、旦那さまの今までを、思い出していました」
「今まで?」
「…………旦那さまとは色々事情があって、縁者になったんです。でも、……本当に、そうだったのかなって」
セオドアの本心が、思考回路の根幹がどこにあるのか、エルシィには分からなくなっていた。
父の出自を母から聞かされ、彼女は何も返事が出来なかった。
母の話が本当なら、そもそもセオドアが本当に金の無心で、トミー大司教のところへ訪れていたのかすら疑わしい。
トミー大司教が親身にサックス家族を保護してくれたのも、エルシィの外見で勘づいたからなのではないだろうか。
考えるほど、分からなくなっていく。
セオドアがエルシィに与える感情は、一体どこまでが、本物なのだろう。
「……ハープシコードは少なくとも、君に男女的な下心が満載だと思うけれど」
「ふふ、そう、……なんでしょうか」
わざと茶化した言い方に気遣いを感じ、エルシィは小さく笑う。
「なら、わたしはやっぱり、……あの人が、嫌いです」
母の話を聞いた後も。戻ってきたセオドアが、ぎこちない笑みを見せた後も。
驚きと悲しさが混ざっても、それでも涙は出なかった。
エルシィは両手で顔を軽く叩くと、努めて明るくマシューに視線を向ける。
「両親の安全も分かって、会えましたし。すぐに国へ帰れそうですね。力になって頂き、ありがとうございました」
座ったままの非礼を詫びて、深く頭を下げた。
マシューは目を細めて首を左右にふり、緩慢な動作でベンチから立ち上がる。
「いいや。力になってもらったのは、僕の方さ。君がこの場にいることを、僕は神様にも感謝しよう」
「そんな、大袈裟です。わたしは何も……」
ふと。
どこからか風が吹いて、足元に砂がまとわりついた。
エルシィは外套の合わせ目を両手で引き寄せつつ、眉を寄せて地面を見る。
「……でもね、ごめんよ、サックス嬢。まだ君を帰す訳にはいかないんだ」
「え?」
「僕にはまだ、やらねばならない事があるから」
突風が吹いたかと思えば、足元に魔法陣が浮かび上がる。それは今まで見てきた聖女たちの物より、不格好で歪な円を描いていた。
反射的に立ち上がったエルシィの背後から、侍女の一人が彼女を羽交い締めにする。
女の口からは朗々と呪文が繰り返されていて、その異様さにエルシィは背筋を凍らせた。
咄嗟に顔を見れば、明らかに人種が違う女だ。砂嵐の向こう側では、マシューが別の人間に引き倒される様子が、かろうじて見える。
「殿下!!」
数人の男たちに押さえつけられた彼が、僅かに上げたその顔を見て、エルシィは愕然とする。
笑っているのだ。
ありがとう、と唇だけが、エルシィに恩赦を告げて。
大量の砂を纏った風の中で、足元が陥没する。
振り解こうともがいても、両親と違って非力な子である彼女は、余計に足を取られて沈んでいく。
悲鳴をあげたエルシィは助けを求めようとして、目を見開いた。
──ねぇ、エルシィ。どうするの?
一体誰に、助けを求めようとして、いるの?
一瞬の迷いが仇となって、女の片手に口を塞がれたエルシィの視界は、暗い砂の底に奪われていった。
遠く、砂が巻き上がる音と、賑やかな声がする。
ゆっくりと引き上げられた意識はそぞろで、エルシィは視線だけで周囲を見渡す。
厚い生地で織られた、テントのような作りの家は、隙間から風を通して体の熱を外に逃していた。
朦朧とするまま体を起こすと、どこからか声をかけられ、一気に意識が覚醒した。
「目が覚めましたか、御母堂」
「──ッ!?」
警戒して周囲を見渡しても、乱雑と物が置かれた室内には誰もいない。
恐ろしさに表情が強張り、自分の体を両手で抱きしめると、落ち着いた深みのある声の持ち主は、再度エルシィに呼びかけた。
「驚かせまして、申し訳ございません。どうぞ、背後をご覧ください」
言われるまま視線を向けた先には、一本の大きな銃が一つ。
見たことがない形状のそれは、一人でに部品を組み換え始め、中央に浮かんだ銃弾が大きく緑色に膨れた。無数の棘を纏わせ、丸い形のサボテンを模した異形に変化する。
その中央には、薄い膜のような目蓋に覆われたが眼球が一つ。薄紅の柔らかな瞳が、緩やかに目蓋を押し上げ、エルシィを見つめた。
「……あなたは……」
丸い部分を主体に、上へ向かってポコポコと別のサボテンが連なっていく。呆気に取られるエルシィの目前で、一斉に赤い花を開花させた。
しかし次の瞬間には、赤く、細い糸に似た何かを噴き上げ、血管状に緑色の体躯を覆う。
彼は一度瞬くと、緩やかにエルシィへ辞儀をした。
「砂塵の聖女トゥルバが配下、アサルジンサジーと申します。どうぞ、ルジーとお呼びください」




