第39話
大理石で出来たテーブルに組んだ両足を乗せ、不遜な態度が上限突破しているセオドアの隣で、エルシィは気絶しそうであった。
向かい側のソファーには、優雅に……というよりも、のほほんと紅茶を嗜むマシュー。彼は小さく息を吐いた後、苦笑混じりの笑みを浮かべる。
「そう警戒しないでほしいな、ハープシコード」
「この状況でどうやって? 随分面白い事を言うじゃねぇか」
「先ほどは少し揶揄っただけじゃないか。ほら、ちゃんと書類も用意していただろう」
エルシィの前には、婚約解消の同意書が置かれていた。
花束を持って現れたマシューと、銃火器を持つ兵士に囲まれたのは数刻前。
半ば連行される形で城に赴いた後、エルシィ一行はお色直しさせられ、別々の部屋に通されていた。
警戒を顕わにするエルシィ以外に、マシューが声を上げて笑ったのも、ほんの少し前である。
彼の目的はエルシィと繋いだままになってしまっていた、婚約関係の解消であった。
それにしては物騒な誘導ではあったのだが、最近、周辺小国含めてきな臭いらしく、大袈裟な護衛がついてしまうのだという。
笑顔で謝るマシューは、幼い時に見た第一王子のままで、エルシィはセオドアに気を使いながら書類にペンを走らせた。
幻想生物と共に、別室で待機している子どもたちが心配だ。
ルヴィナもチェンノッタも、ことエルシィの事になると、周囲が見えなくなってしまう。
視線を右往左往させるエルシィに、マシューは緩やかに笑いかけた。
「ありがとう。手間をかけさせた」
「い、いえ。第一王子殿下に御足労かけましたこと、謝罪いたします」
「君が謝る必要はないよ。こちらの不手際だったからね。でも本当に綺麗になったな、驚いたよ」
隣でふんぞりかえるセオドアの視線が怖すぎる。眼光だけで人を殺せるのではと思うほどだ。エルシィは愛想笑いをしつつ、冷や汗の洪水で背中が滑りそうであった。
ニコニコ笑うマシューの表情に、まったく下心はない。それはエルシィがよく分かっている。
何せこの第一王子は──。
「僕のカティの次に綺麗だ。そうだサックス嬢、君ならカティの美しさを聞いてくれるかい? この間、彼女ってば僕の贈り物を壊してしまってね。慰めたのだけれどとてもショックを受けてしまって。健気に修理を頼める人を探してわざわざ遠方の国まで、自ら足を運んでくれたんだよ」
はじまった。
先ほどまでの穏やかな雰囲気を放り投げ、満面の笑顔に頬まで染めて、自分の婚約者──もはや結婚まで秒読み──の話に火がついた。
散弾銃展開は止まることを知らず、セオドアが呆気に取られているのもまるで気がついていない。
室内で警護にあたっている兵士も、給仕をする使用人たちも、生暖かい同情の視線を送ってくる始末である。
エルシィは幼い頃からこの第一王子が、どれほど公爵令嬢カロライナを溺愛しているのか、耳にタコができるほど聞かされてきた。
エルシィの知らないところで婚約関係を結ばれたのは、実はマシューも同様で、あの時の彼の絶望顔と言ったら、筆舌に尽くしがたい。ちょっと失礼では? と思うほどだった。
とはいえ、彼がこうした性格であるから、セオドアが入城しても誰も不満を漏らさないのだろう。
彼らにとってかけがえのない今が全てで、愛する人が笑って過ごせれば、それで良いのだから。
侍女が五杯も紅茶を淹れ直し、途方もない話を永遠と聞かされた後。
彼の話はようやく、本当の本題に入る事になる。
「実は君を呼んだ理由は、もう一つあってね。ご両親のことだ」
「え……」
ゲンナリとしたセオドアに寄りかかられつつ、エルシィは眉を顰めた。
「数日前、何者かが君のご両親を攫ったと、トミー大司教から連絡があった」
「……そんなはずは」
「うん。トミー大司教もそう言っていたよ。でも視察に行けば君の自宅はあの様で、ご両親はどこにもいなかった」
久方ぶりに聞いた名前に、セオドアが目を眇める。
「それにあの砂、君も見ただろう? ……最近、南方の遊牧民族が、統治する国の王族に反旗を翻した事は、知っているかい?」
「え、い、いいえ」
「遊牧民族の長は、強大な魔法使いだという。僕らの国も国交がある共和国は、優秀な魔法使いや魔術師を多く抱えているが、まるで歯が立たないのだそうだ」
「…………」
セオドアと顔を見合わせるエルシィに、マシューはテーブルまで視線を下げた。
「僕ら王家とトミー大司教の見立てでは、君のご両親は何か理由をつけられて、砂漠の国へ連れて行かれたのだと思う」
「どうしてですか!?」
「言っただろう、束になっても勝てない魔法使いがいると。作戦も無意味、武器も駄目、魔法も魔術も赤子のように弾かれる。……では最後の手段は、魔法など物ともしない肉弾戦だ」
「肉弾戦……って、なんだ? どういう……?」
思わず口を挟んだセオドアに、マシューが意外そうに顔を上げる。
「おや、君たち夫婦だと言うから、てっきりご両親への顔合わせは済んでいるものかと」
「いえ、諸事情ありまして事後報告に」
「それはまた……ハープシコードほどの男であれば、サックス嬢のご両親も納得したのかと……」
「待て待て、流石に俺を置いて話を進めるんじゃねぇって! 奥さま、どういう事か聞いてもいいか?」
疑問符を撒き散らかしているセオドアに、エルシィは途方に暮れそうになりつつ、遠い目をした。
両親が様々理由をつけて、南方に連れて行かれたことが本当だとして。
確かにマシューの見立て通り、母であれば大いに役立てるだろう。基本的には穏やかな人なので、本人が乗り気になるかは別問題だが、力量と言う点では申し分ない。母を心配し寄り添った父の胃腸が心配である。
エルシィは片手で痛む頭を押さえつつ、嫌々ながらも口を開いた。
「…………その、母は、実家の中でもかなり強いそうで」
「お、おう?」
「正面切って向かってくるものなら、見切れるんです」
「うん? ……見切れる? …………ん?」
エルシィの母は、世界で最も有名な戦闘民族の長、──アイリフィドル家の長女。
正面切ってなら人も、投擲も、弾丸も、魔法も魔術も。
あらゆる敵意を見切る目を持つ、脅威的な動体視力の持ち主なのだ。




