第38話
メイイェンの転移魔法によって飛ばされた先は、リリンベル国の近郊にある森であった。
すぐに戻ろうと、ルヴィナとチェンノッタに頼んで魔法を行使してもらったが、まるで拒まれるように移動できない。
焦燥を募らせるエルシィに、セオドアが優しく抱き寄せて背中を撫でた。
「飛ばされる寸前、彼女は呪文を叫んでいただろう? 女皇帝の力は二人より高度なものだ。おそらく誰も魔法や魔術で出入りできないよう、結界を張ったんだろうぜ」
「どうしてそんな、だって、あんな、っ」
「心配だろうが、君は彼女の想いを汲んでやらねぇと。……そうだろう、奥さま」
自然と涙が流れてきて、エルシィは瞳を瞬かせる。
確かにメイイェンの願いを汲めば、彼女が再び現れてくれるまで、時間をかけて待つべきなのだろう。
あんな状態でフェイと二人、グェイドン帝国に置き去りにするなど心が騒ぐが、セオドアの指摘も尤もである。
互いの額を合わせ、至近距離で見つめあっていれば、割って入ったオウムの羽に顔が埋まった。
「おうおうおうまずは安全第一だぜ御母堂様ヨォ!! ここはルヴィナお嬢ちゃんの故郷周辺だって言うじゃねーか!! ちちくり合うのは後にして避難しな避難!!」
「ふわっ、ぷ! そ、そうね、ごめんなさい」
翼を羽ばたかせて暴れるウィズィに、エルシィは慌ててセオドアから離れると、道の向こうを見つめるルヴィナに近寄った。
「ルヴィナさま、ごめんなさい。わたしの我が儘で魔法を使わせてしまって」
「ううん、いいの、ママ。……シテラ、フェイは大丈夫よね?」
「当然です。彼は戦闘向きではありませんが、姑息ですので」
相変わらず仲が良いのやら、貶しているのやら、無表情で言い切る人型のシテラは普段通りである。
ひとまず移動先は、エルシィの故郷だ。
ここからなら自宅も近く、久しぶりに両親へ顔も見せられるだろう。
衣服もそのまま転移してきてしまったので、異国譲渡溢れる服はあまりに悪目立ちだ。着替えも必要である。
しかし、勝手知ったる道筋を案内しながら、森を抜けた先で、エルシィは奇妙なものを見ることになるのだった。
「……なに、これ」
自宅を中心して、建築資材置き場も、草花を育てていた造園区画も、全てが大きく砂に沈んでいる。
絶句して立ち尽くすエルシィの隣で、セオドアが剣呑に双眸を細めた。
「……魔法を使った痕跡があるな」
「っお父さん、お母さん!!」
彼の一言に弾かれ、エルシィは砂を降って、傾いた家屋に走り寄る。
金具が壊れて曲がったドアを引っ張り、玄関から先にあったものは、水分を奪われて乾涸らびた家具の残骸であった。
必死に砂を蹴って中に入るが、誰かがいる気配もない。
エルシィは愕然として、ふら、と力が抜けてその場に座り込んだ。
後を追ってきたルヴィナとチェンノッタが、惨状に言葉を失い、エルシィに寄り添う。
「……どうしよう」
暗く光の届かない室内。
家族三人で過ごした思い出が、両手からこぼれるほど詰まった家は、父が母と暮らすために自ら建築した。
腕の良い大工である父の建築物。国でも評判の良い父が自慢で、豊かな木の香りがする我が家がエルシィは大好きであった。
それは共に過ごし、いつまでも愛ある夫婦である両親も、等しく。
周囲の様子を観察しながら降りてきたセオドアに、エルシィは肩越しに振り返った。
「だ、旦那さま、どうしよう」
「……大丈夫だぜ、奥さま。君をこんな目に合わせるヤツは、──」
「こんなことしたら、お相手が死んじゃうわ……!! どうしよう旦那さま、早く見つけ出さなきゃ!」
「ん?」
エルシィの心配は両親のことではない。というよりも、両親のことは自分のことより心配していない。
問題は両親の愛した家を、これほど損壊させてしまった相手の方である。
目を丸くし硬直する三人に、エルシィは真っ青な顔で立ち上がった。
「は、早く、早くどうにかしなくちゃ、だだだ旦那さま、そっ、その魔法使いって追えますか!?」
「うん? いや、待て待て奥さま、問題はそこか!?」
「そうですよだって! お母さんの実家の言語、旦那さまは知ってるじゃないですか!!」
「えっ、君の?」
エルシィの母が生まれた地方で使われる、アイリス語。
それは世界で最も有名な、戦闘民族の言語であるのだ。
父から、集落を出てエルシィを出産した母は、昔ほどヤンチャではないとは聞いている。
だがそもそも怒りの沸点が低い人だ。
こんな状態の家に嘆いて、避難しているなど到底考えられない。
「わたしの母は、長の娘です! 近距離戦闘になったら、相手なんてけちょんけちょんですよ!」
「つまり結婚の事後報告に命をかけろと言うことか……!? よし奥さま、かっこいいとこ見せるからな」
「今そんな話してる場合じゃないってば!!」
「でもママ、どうやって追いかけたら……、?」
おろおろと声をかけるルヴィナの肩に、シテラが片手を置いた。セオドアが振り返り、変形する玄関に近寄って外を睨みつける。
チェンノッタの肩に留まっていたウィズィも動き出し、エルシィに呼びかけながら、同じく外を見上げた。
「おいおいおい御母堂様ヨォ! その前にちょいと面倒くせーことになりそうだぜ!」
「え?」
家を守るように展開したチェンノッタの魔法陣が、緩やかな影の花吹雪を散らし始める。
エルシィが慌ててセオドアに寄り添うと、窪んだ砂の穴を取り囲むように、兵士の銃口がこちらを向いていた。
風ではためく旗も、彼らが身につけている鎧の形状も見たことがある。
自国の王族直属部隊だけが掲げる事を許された、王家の紋章が輝いていた。
驚いて息をのむエルシィを、セオドアの片腕が抱き寄せる。
彼が睨み上げる先で一人の男が、場違いな花束を抱えて立っていた。
「やぁ、エルシィ・サックス。美人になったじゃないか、見違えたよ。久しぶりに話ができないかな、僕の婚約者殿?」
柔らかな栗毛を撫でつけた七三髪に、穏やかなコバルトグリーンの瞳が柔和に細まる。
幼少期、エルシィはこの男と、よく分からないまま王城で共に過ごした記憶があった。そういえばエルシィの意見など関係なく、婚約関係を結ばれていた気もした。
この国の第一王子、マシュー・マライカス。
エルシィは大司教トミーが与えてくれた平穏に怠けて、すっかり確認を忘れていたのだ。
自分とこの第一王子の婚約関係が、無事に解消されたのかどうかを。
「…………あ゛ぁ?」
すぐ耳元で地を這うような声が聞こえる。
滝のように冷や汗を流すエルシィには、顔を引き攣らせて卒倒するより、逃げ道がなかった。




