第37話
エルシィは困惑していた。
非常にいかがわしい方法だったが、悪意の塊を吹き飛ばせたことは喜ばしい。
ルヴィナが回復魔法を施したおかげもあり、幻想生物との絆も取り戻せたメイイェンが、すっかり元気になって高笑いしているのも微笑ましい。
セオドアの顔面に正拳突きを叩き込み、彼がめり込んだ顔を探しているのも、まぁそれは良い。
問題は今、涙ながらに抱きしめるホンヨウを、女皇帝が非常に冷めた目で見ていることだった。
呪いの解除が無事に終わり、魔法で部屋も復元され、全てが良い形で収束した。
皇宮に勤める使用人たちも、女皇帝を苦しめていた呪いの終焉に、安堵の笑顔で手を取り合っている。
騒ぎを聞きつけたホンヨウが、憮然とした態度を捨て、涙を溢し咽び泣いたところまでは、順調であったのだ。
だが、高飛車な言い方ながらも、エルシィ一行に深い恩赦を伝えていたメイイェンの反応は、思わしくない。
彼女はようやく息を吐き出すと、ホンヨウの肩に両手を置いて引き離した。
「今まで苦労をかけましたわね、紅優」
「何を言いますか。……私はただ、あるが場所に戻ってきて欲しかったのです」
メイイェンが瞳を細めて、涙に濡れた夫の頬を撫でる。
周囲を見渡すと、彼の言葉にそれぞれ同意する声が飛び交って、女皇帝の復活に湧いている。
それでもメイイェンの表情は晴れない。
エルシィが困惑で見つめていると、彼女は振り返って、脇目も降らず走り寄ってきた。
狼狽えつつ床に膝をつけば、メイイェンは首に抱きついて眉を下げる。
「…………ママ、あたくしに勇気をくださいませ」
「え?」
意味を掴み損ねて聞き返せば、女皇帝はエルシィから腕を放し、凛然とした態度で振り返った。
「それは良きことだわ。普通の人間に戻れば、今度こそあたくしを殺せますものねぇ、ホンヨウ!!」
鋭い糾弾は呆気に取られる人々の間に、確かな動揺を広げていく。
メイイェンは愛らしい顔に憎悪を浮かべ、靴を鳴らしながら絶句するホンヨウに近づいた。
「分かっていないと思ってましたの? このあたくしが知らないとでも? 五十余年、お前が世界中を駆け回って解呪の方法を探したのは、あたくしを今度こそ殺すつもりだと、本当にあたくしが気がついていないとでも!?」
メイイェンの細い体を、背後からフェイが抱き上げる。
人間の皮を被った異形は脳天から形を変え、白い枝を伸ばすザクロを下腹部に抱えた姿に戻ると、自らの中央に女皇帝を座らせた。
部屋全体を覆い尽くす枝からは、次々とザクロの花が咲き乱れる。
それは赤い液体をポタポタと垂らし、恐れ慄く群衆を睨み下ろしていた。
たじろいだ男の後方で、女の悲鳴が上がる。
視線を向ければ美陽が、枝に吊り上げられて宙に浮いていた。
「メイイャン!!」
ホンヨウが絶叫して、しかし動いてはならない状況に冷や汗を流し、メイイェンを睨みつける。
「な、なぜそのような……!」
「あたくしが、バスガイゲの女に望んだことを知っていて? あたくしを殺したお前を、必ず殺すと心に誓って、あたくしはここにいますのよ!!」
メイイェンも、本当はフェイも、分かっていた。
幼き頃の背中を刺したのは、敵対勢力だと隠して婚約者の座についていた、紅優だと言うことを。
それでも彼の必死さを信じていたかったし、彼が改心して美炎を愛してくれるなら、繰り返す命にも意義があると信じていたかった。
それでも彼は初めから、美陽を選んでいた。
彼女と二人、類まれなる強者であるメイイェンを恐れたのだろう。
気心の知れた相手に甘え、心を許していた女皇帝を唆し、誰の目もつかない自室で殺害するほど、昔から。
今度こそ息の根を止めるにはどうしたら良いのか、一枚の布の下で身を重ね、語らうほどに。
「ペイジフェイリリスは、あたくしの従僕。忠実なる幻想生物ですわ。この国でのうのうの生きて、フェイの目を欺けると思っておりましたの? 滑稽ですわ」
「ち、違う、私は本当に皇帝陛下を」
「それに、あたくしの命より尊い天女に、傷を負わせた事も聞いておりますのよ、この痴れ者が……!!」
床に出現した魔法陣から、天井につくほどの火柱が吹き上がった。
悲鳴をあげて縦横無尽に逃げ惑う人々を前に、メイイェンはフェイの枝に足を乗せて立ち上がる。
「今この場であたくしに焼き殺されるか、死人のように働いて死ぬか、どちらか選びなさい。お前の事だけは絶対に許しませんわ!!」
「っ横暴ですぞ、皇帝陛下!! 私はそのような行いをした証拠でもあると言うのか!?」
色のない顔で怒号を上げるホンヨウの足は、恐怖からか、怒りからか、崩れ落ちそうなほど震えていた。
しかしメイイェンが言葉を返す前に、限界を迎えた女が一人、泣き喚いて許しを乞う。
「おっ、お許しください、許して、やめて、殺さないで!! わた、わたしはただ、ホンヨウさまが欲しくて、違う、殺すだなんてそんなつもりじゃ、そんな話は聞いてなかったの!!」
化粧も何もかも涙で溶けて、黒く汚しながら泣きじゃくる女に、ホンヨウが今度こそ言葉を失って振り返った。
「お願い、姐さま、違う、わたしはそんな、やめて、その人が勝手にしたの!! その人が勝手に先走って姐さまを殺したの!! お願い信じて、わたしは違う、信じて姐さ」
それ以上は言葉にならなかった。
メイイャンの体は宙に放り投げられて、ホンヨウに衝突し、二人で床に打ち据えられたからだ。
互いを抱きしめ恐怖する二人に、メイイェンは片手を頭上に掲げる。
ザクロの花が次々に発火し、大きな火鳥となって天井を巡った。
「っあたくしの信用を失墜させておいて、命乞いなど無様な真似は許しませんわ……」
全てを焼き尽くす炎は、地獄の業火だ。
天井を知らない聖女の魔法は、もはや神聖さを通り越し、残酷にすら人々の目に映る。
逃げ惑っていた従者たちは、床に膝をついて平伏していた。涙を流して命乞いをし、恐怖に気絶しているものすら出始めている。
あまりの怒りに酸素は燃え尽き、息苦しさを感じてエルシィは表情を歪めた。
助けに行かねばと片足を踏み出すと、突如として足元に、炎から生まれ出でる鳥とザクロの果実を模った魔法陣が出現する。
え、と困惑に声を上げた先で、フェイが微かに視線をよこし、目の形をした空洞の片方をパチンと閉じた。
セオドアがルヴィナとチェンノッタを呼び寄せ、エルシィの肩を抱いて眉を顰める。子供たち二人がそれぞれ抱きつくと、暖かな炎に包まれた。
「皇帝陛下!?」
「“天陽降臨、山岳静まり皆祈れ”!! “天界飛翔、如何なる術にも面をあげよ”!!」
美しい形を織りなす魔法陣が、幾重も重なって、さらに一つの模様を形作る。
メイイェンが笑みを浮かべて振り返った。
「おーほっほっほ!! 今はさらばですわ、愚民共! あたくしが皆の傍に立つに、相応しい女になりましたら、また役立てて差し上げましてよ!!」
「っメイイェン陛下!!」
「だから今はあたくしを見ないで、ママ。本当にありがとう、いずれこの恩に必ず報いましてよ。あたくしやっと、悲しくて寂しくて、死んでしまいたいくらい、泣けそうだから……!!」
大粒の涙が炎に蒸発しても、彼女は声を上げて泣き叫ぶ。
エルシィが伸ばした腕は宙に揺れて、意識は炎と共に天高く飛翔していった。




