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第36話




 炎が消え去ると同時に、メイイェンの体が傾いた。

 エルシィは悲鳴をあげて彼女を抱き止め、痛む体に鞭打ち、必死に立体魔法陣の魔の手から逃れる。

 ドアの前で魔法を展開していたルヴィナの傍まで来れば、エルシィは気を失ったメイイェンをフェイに預け渡した。


「お、願い、します……!」

「っメイイェン!!」


 微かに胸が上下しているので、生存はしている。だが唇は紫に変色し、顔色は土気色に近づいていた。

 フェイが両腕に抱えながら姿を変え、ザクロを模した己の体内へ女皇帝を取り込む。白く細い枝がメイイェンの素肌に触れ、体勢が変わり、破けた衣服の隙間から背中の聖痕が見えた。

 赤い液体に満たされたそこで、細い呼吸に空気の泡をこぼしながら、眠るメイイェンは微笑む。

 その柔らかな笑顔は、憑き物が落ちたような、あどけない寝顔だった。


 ホッと安堵の息を吐いたフェイが、空洞の空いた顔をエルシィに向ける。

 

「この子は大丈夫、でも御母堂さま、すぐに手当を……!」

「ママ、ママ、お願い、ここにいて、もうあっちに行かないで!」


 顔面蒼白で涙をこぼすルヴィナを抱きしめれば、少女は別の魔法陣を床に映して呪文を唱え、エルシィの傷を瞬時に癒した。

 ウィズィに守られながら下がってきたチェンノッタも、背中に抱きついてエルシィを押し留める。

 だがエルシィは、戻らねばならない。

 あの醜悪を叩けるのは、自分しかいないのだから。


「大丈夫です、わたし、これでも強いんです、よ、ほわっ!?」


 子供たちに笑いかけ、細腕に力こぶを作る仕草をしたエルシィは突然、体が宙に浮き上がって声を上げる。

 セオドアに抱えられたと認識が追いついた直後、視界が反転して、先ほどとは別の悲鳴が口を飛び出した。

 こつ、と背中がドアの木目に押し付けられ、慌てて視界いっぱいのセオドアを見下ろす。


「だっ、だんな、さま!? ちょっと、この体勢は、ちょっと……!」


 両腕に支えられているとは言え、エルシィの足は完全に宙に浮いていた。

 流石に抗議しようと口を開くも、セオドアの表情があまりに恐ろしくして、全ての言葉を喉の奥に引っ込める。

 ぴゃっ……と小動物のように叫んだルヴィナが、シテラの蔓の中に飛び込んだ。フェイも慌てて遠ざかる。ウィズィもチェンノッタを下がらせてしまえば、誰もエルシィを助け出せる猛者はいない。


「…………えっと、だんなさ」

「ちょっと痛いことは、なしだ」


 満面の笑みに青筋を浮かべたセオドアに、エルシィは姿勢を崩されて、顔に覆い被さった。

 すぐ耳元にきた唇が、彼女に聞こえるだけの音量で囁く。


「──肝が冷えたぜ、奥さま」

「ご、ごめんなさい、でも」

「ああ、君のそういうところが、どうしようもなく惹かれるんだろう。……だが、ちょっと痛いことは、なしだぜ」


 彼はもう一度そう言って、エルシィを抱えたまま振り返った。

 視線の先には、たちまち修復した立体魔法陣だけが、メイイェンを探すように彷徨っている。

 セオドアは目を眇め、数歩だけ前に踏み出した。


「君の力を貸してくれ、奥さま」

「っ、は、はい!」

「女皇帝が魔術式を焼き付けてくれたおかげで、部屋を吹き飛ばすくらいで済みそうだしな」

「はい、って、え? ひっ──!」


 聞き返そうとしてエルシィは、己の体のあまり良くないところをセオドアの片手が這っていることに、短い悲鳴をあげる。

 それは周囲から見えないほど巧妙で、しかしあまりの衝撃に色々と思考が停止した。

 

「!? やっ、いや、ちょっ、やめ、やめてバカっ」

「やめない」

「でも、やだ、だ、ぁ……っ」

「どうしてやめろなんて言う? ……俺はなぁ、怒ってるんだぜ奥さま。俺がどれほど驚いたか分かるか? 傷つく君をみて、どんな心地でいたのか。なぁ? 怒ってるんだぜ。叶うなら今すぐにでも」


 不安定な体勢がなおさら心を揺らして、エルシィはセオドアの頭に抱きついた。

 ブレるほどの至近距離に彼はいて、彼女の視線を全て奪う紫の双眸が、淫蕩に歪む。

 あまりに普段とはかけ離れたその顔に、エルシィは心臓が口から飛び出そうな心地だった。

 

 目の前が赤く点滅し始め、己の意思とは関係なく鼓動が早鐘を打っていく。

 絶句するエルシィを見つめて、セオドアの吐息が唇を撫でた。

 

「……君が前後不覚になるほど、抱いてしまいたいくらいに」


 おそらく今までの比ではないほど、巨大なロータスが二人を包み込む。

 真っ白に発光する立体魔法陣は、メイイェンを蝕んでいたものより更に大きく、加えて優美な幾何学模様を宿していた。

 小さなロータスが次々と開花する様に、様子を見守っていた周囲が息をのむ。

 柔らかく高貴な香りが、部屋中に漂っていく。 

 セオドアにもたれかかり、エルシィは朦朧とする意識を必死に手繰り寄せた。


 緩やかに何も見えなくなっていく。

 穏やかに何も考えられなくなっていく。

 ただ最後まで残る聴覚だけが、エルシィを抱え直したセオドアの声を捉えていた。

 


「…………なぁ、エルシィ。嘘じゃねぇんだ」

 


 首筋に鋭い痛みを感じて、エルシィは一気に現実に引き戻された。

 セオドアに噛みつかれたのだと理解した次には、全てを開花しようとしていたロータスが、一瞬の静寂の後、瞬く間に膨れ上がって爆発する。

 それが引き金となって部屋中の魔術式が反応し、浮遊していた立体魔法陣に衝撃がなだれ込んだ。

 破壊と終焉を司るエルシィの立体魔法陣は、ナニモノも阻めない。

 真正面から脅威に晒された悪意は、皇宮の一角ごと木っ端微塵に吹き飛ばされた。


 爆音と土煙が周辺を切り裂いて、雲ひとつない青空と陽光を室内に引き入れる。

 パラパラと木片が散らばっていくのを、セオドア以外の全員が唖然とした顔で見つめていた。


 地響きに眠りから引き上げられたメイイェンが、瞳を瞬かせ、きょとんとした顔で夫婦の背を見つめる。


「……終わりましたの?」


 動揺を隠せない彼女の声に、応えたのはフェイだ。

 幻想生物は心底感心すると同時に、心底呆れた調子で返事をした。


「ええ、終わったわよ、アタシの聖女。規格外にメチャクチャで頼もしいほど強くて、健全なる青少年の育成にちょー不健全な方法でね……!」


 

 

 

 


 

 

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