第33話
最初にメイイェンの命が事切れる寸前、イザベルはその場に居合わせたのだろう。
彼女はペイジフェイリリスが顕現する前に、己の力を行使して、メイイェンの命を救ったのだ。
それはイザベルにとって慈善行為であって、確かに糾弾される謂れはない。ただ彼女の場合、酷く自己満足が過ぎるのだ。
死にたくないと願ったのなら、死なないように。生きたいと望むのなら、己を失わないように。
たとえ死んでも記憶を保持して生まれ直せば、それは死なない事と変わらないから。
幻想生物が命を救う聖女であれば、同じ行為でも瀕死状態からの回復だ。死を目前に意識が身体を離れ、幻想生物を受け入れることで蘇生する方法である。
救済によって幻想生物と絆を育み、潜在能力を開花させるのだ。
正しき聖女であるルヴィナとチェンノッタと違い、メイイェンの場合は、フェイの精神的な介入を阻害され、悍ましい死の循環に貶められただけなのである。
それは酷く偽善的で、我が儘な慈悲。
相手の心を顧みない、苦痛と解放へ導いてやるとする傲慢だった。
「……最初って……、イザベルさんって、何歳なんですか……?」
「分からん。あの人は自分の細胞を、立体魔法陣の効果で常に新しく入れ替えている。まぁつまり、年を取らない」
「な、なんでそんな事を? 美しさの維持?」
「全く分からん。あの人は正気じゃねぇから」
突拍子もない理由に目を丸くし聞き返せば、彼はやはり珍しく吐き捨てた。
抱きしめられていた状態から体を起こすと、セオドアは名残惜しそうに眉を下げる。
「だが、それに唯一対抗できるのが、君だ。……君の力で立体魔法陣の効果を相殺すれば、メイイェンは解放されるはずだな」
「わたしの力……」
「なぁに、安心していいぞ奥さま。今回だって俺が君の力を誘導する。……君はただ、俺に身を委ねてくれたら良い」
「…………ちょっと痛いこと、するだけだから?」
徐々に意地悪な相貌でニヤニヤと笑い始めるセオドアに、エルシィは極力平坦な声音で回答を先回りした。
彼は虚をつかれた顔で目を丸くした後、小さな声で笑って、エルシィの首筋に溢れる後毛を指先で撫でる。
それは不埒な言い方とは対照的に優しく、労わるようにすら思え、面映かった。
「そうだとも。ちょっと痛いことするだけだ。……なぁ奥さま。その力を制御し、慣れようとしなくていい。この間は強引な言い方をしたが、あまり淑女に優しい発動条件でもないしな」
「……それは……まぁ……」
「安心してくれ、君がここにいるだけで、俺の全てが上手くいく。……君が隣にいるだけで、俺はあらゆる事象と戦える」
エルシィはじっと、彼のどんな表情の機微も逃さないように、セオドアを見つめ続けた。
紫の瞳は柔らかく揺れて、エルシィの左手を持ち上げて、薬指に唇を押し当てる。視線があった彼は照れ臭そうに笑い、それでもどこか寂しそうだった。
次の日の昼過ぎ、グェイドン帝国へホンヨウが帰国した。
メイイェンはフェイを使い、事前にあらましを報告していたと言うが、彼は憤怒の形相である。
現在、大規模な魔術を行うセオドアとチェンノッタを手伝い、ルヴィナと共に新しいペン軸を用意したり、インク壺を買い足したりしていた真っ最中だ。
複雑な魔術式を部屋中に書き込むセオドアと、魔術式の口述を行い魔法で強化しながら、別の式を並べていくチェンノッタ。その二人を慌ただしく補佐していた女子二人は、金具が飛ぶほど勢いよく開いた扉に、短い悲鳴を上げる。
女皇帝を蝕む呪いの解除へ向けて、本殿の一室を貸し切ってもらい準備を進めていたところで、ホンヨウは乗り込んできたのである。
「皇帝陛下!! いったい何をお考えですか!?」
美しい布が下がる長椅子の上で、女官に世話をされながらくつろいでいたメイイェンが、片眉を上げて体を起こした。
「なんですの、紅優? 騒がしいですわよ」
「ハープシコードと籍を入れるなどと、馬鹿げた内容の手紙を受け取った、私の身にもなって頂きたい!!」
「あらあら、それで飛んで帰って来ましたの? 以前より言っていますでしょう? あたくし、過去の因縁など興味ございませんの。五回も死んでいれば、過ぎた因果など些事でしてよ」
「だからと言って、何を馬鹿なことを……!!」
やはり側室に向けて準備を進めているのか、セオドア本人を置いて話が進んでいるらしい。見た目は完全な親子である夫妻が、人目を憚らず言い争う内容としては、あまりにシビアであった。
肝心のセオドアも、もはや虚無顔である。
流石に同情を禁じえず、エルシィが口を挟もうとした刹那、廊下の方からホンヨウを呼ぶ声が聞こえた。
「ホンヨウさま。よろしいではないですか。皇帝陛下の御心のままに」
視線が集中した先には、細身の女が一人。メイイェンが召し使う彼女たちとは、別色の布で顔を隠す女官を引き連れ、廊下に立っていた。
やや目尻に年齢を感じさせる皺があるものの、美しい女である。彼女はメイイェンに笑いかけ、優美な仕草で頭を下げた。
「ああ、美陽。この脳筋を連れ出しなさいな。煩くてかないませんことよ」
「ふふふ、ご命令のままに。……さぁ、参りましょう。あなた」
ホンヨウの表情が僅かに緩和され、彼はメイイェンを一瞥しつつも、現れた女の元へ歩いていく。
二人は仲睦まじい様子で会話をした後、ホンヨウがやはり憤怒の形相で振り返った。
「事が済んだら、しっかり話し合いをさせてもらいますぞ」
「あたくしの返答は変わらなくてよ」
額に青筋を浮かべて歯軋りし、武人は再び壊す勢いで扉を閉めていく。
事情を知らずに呆気に取られる四人に、フェイが間延びした声で説明を加えた。
「あーね、あの子は琴・美陽。アタシの聖女ちゃんの再従姉妹で、紅優の形式上の奥方っていうのかしらね」
「ああん? 皇帝陛下様の旦那じゃねーのかよ?」
至極真っ当な疑問を述べるウィズィに、フェイは呆れた調子で肩をすくめてみせた。
「こっちの国は後宮文化が華なのよ? 高位貴族が複数人の婚姻相手を抱えてて当たり前。ただねぇ、アタシの聖女ちゃんは呪いのせいもあって、ホンヨウが妻を娶ることを、周囲の高官達が後押ししたのよ。それが正当な血筋もあり、ホンヨウの幼馴染みでもある、メイイャンってわけ。……ほら、メイイェンは厳密に言うと、チン家の血が流れていないから」
セオドアの表情が虚無を通り越し、悟りを開きかけていた。




