第32話
結論として、メイイェンの呪いは解除可能だった。
しかし彼女を蝕むそれは、あまりに悪質で、そして慈悲深いものだったのだ。
エルシィは縁台に座り、涼やかな風を頬に受けながら、満月を見上げる。
用意された室内着も質が良く、女皇帝に色々と好き勝手言われた割には、上等な客殿を用意されていた。
離宮より更に奥まった客殿ではあったものの、食事も運ばれ身内だけで夕食をとることができ、余計な気を張らずに済んだのもありがたい。
メイイェンはフェイと共に本殿に戻ったが、何かあればすぐに連絡を寄越すよう、女官を数人残していった。
彼女たちは黙々と自らの役目を果たし、宵が更けた今は、廊下と室内を隔てる御簾の向こう側に控えている。
白目を向きながら、エルシィの隣で柱に寄りかかっていたセオドアが、掠れた呼吸を吐き出した。
「……マジで疲れた」
「そうですね……」
「下手すれば親子並みに歳が違うお嬢さんに、まさか求婚されるなんて……人生で初めてなんだが……」
「でも、皇帝の側室ですよ? 玉の輿じゃないんですか?」
「待て待て待て捨てないでくれ奥さま! 俺たち新婚ほやほやじゃねぇか、頼む捨てないでくれぇ……!」
情けない声でエルシィに抱きついてくる男に、手刀を叩き込んで呆れた息をつく。
エルシィは湯上がりの髪を頭上でまとめ、メイイェンから借りたかんざしで留めると、セオドアから視線を逸らした。
彼は彼女の横顔を見つめた後、指先で首筋を掻いて、居心地の悪そうに顔を背ける。
「……皇帝陛下にこんな事をした、イザベルさんって、知り合いなんですか?」
顔は見ずに問い掛ければ、セオドアからの返答は、暫し沈黙だった。
メイイェンを蝕む力の正体を、魔法でも魔術でもない極めて特殊な物だと、彼は説明した。
それはエルシィと同じ、精神の作用が周囲に影響を及ぼす立体魔法陣の効力なのだという。
相手の強き願いを叶える為に、創生と始動の行使によって、女皇帝の存在は歪められた。
神の所業と言わんばかりの、そんな規格外な術を平然とやってのけるのは、世界でもイザベルしかいない。
顔面蒼白で体を震わせるメイイェンと、絶句する他の人々の前で、セオドアは苦々しく言い切ったのだ。
マリンブルーの美しい髪と、真紅と銀の垂れ目が優しいオッドアイ。
イザベル・バスガイゲ。
琴・美炎率いる琴家を傍系に据えた、旧王国時代本家筋だ。
「知り合いよりは知っているが、幼馴染とは言いたくない。昔馴染みだ」
「……だから、わたしの話に反応したんですね」
「いや、あのな奥さま。本当に誤解しないでほしいんだが、俺は彼女が宇宙一苦手なんだ」
「え? 普通に素敵で良い人でしたよ?」
「良い人のレッテルを振りまいて、己の信念が正義だと信じて疑わない人だぜ? あれが良い人なら、世の中みんな善人だ」
本当に心底苦手なのだろう。
異性に対する普段の軽薄さからは考えられないほど、彼の顔はしわくちゃであった。
「それに俺が奥さまにモテモテにならないのは、半分はあの人のせいなんだぜ!?」
「いやそれは十割あなたのせいでしょ」
「んふふふ絶世の美女の冷たい瞳って最高……!」
「離して」
泣き真似やら締まりのない笑顔やら、百面相に忙しい彼の耳を引っ張り離す。
騒がしい様子にすっかり毒気も抜かれ、エルシィは半目でセオドアを睨んだ。
背後で微かに音が聞こえ、二人で室内に視線を向ける。
ついたての向こう側では、ルヴィナとチェンノッタがそれぞれ布団の中で眠っていた。
シテラは植木鉢の状態で部屋の隅に置かれ、ウィズィはチェンノッタの腕に包まれてイビキをかいている。
規則正しい寝息が緩やかに空気を振動させ、エルシィは双眸を細めた。
「…………旦那さまがイザベルさんを苦手なのは、わかりました。ただ、……さっき、言っていた、……無責任に命を救ったっていうのは、どういう意味なんですか?」
エルシィの疑問に一番最初に返されるのは、やはり数秒の沈黙だ。
眉を寄せてセオドアをみれば、彼は子供たちの様子を眺めてから、エルシィを見つめ返す。
「俺の口から言って良いものか……ってところもあるが……。聖痕っていうのは、傷跡だ」
「? はい」
「フェイが以前、女皇帝の強い思いに応えて顕現した、というような話をしていたと思う。幻想生物っていうのは、適正のもった相手の、“死にたくない”という強い願いに応えて出現するらしい」
「え?」
思わず怪訝に返してしまえば、彼は眉を寄せ、エルシィの手元まで視線を下げた。
「俺も流石に詳しくはわからねぇ。けど、家の書庫に、聖女の研究を記している本があってな。そこでは聖女っていうのは、殺されかけた人間を指していた」
「こ……ろ、されかけたって……、何、言って」
「聖女の聖痕は、傷跡だ。……その意味通り、聖女にとって致命傷であった場所だと、その本には書いてあった」
「まっ、て、やめて、だってルヴィナさまは首にあるのよ? ノッタくんなんて顔面に、……っそんな、嘘でしょう?」
エルシィをママと慕う、二人の子供たち。
ピアノン王家から、必要な時に都合の良い存在として、それ以外は居ないモノと扱われてきたルヴィナ。
自らの家族はいないと断言し、それはエルシィのせいではないと呟いたチェンノッタ。
致命傷であった場所だというのなら、確かに間違いなく死に直結している部位だろう。
エルシィの脳内には、なぜ、どうして、という言葉より先に、考えたくもない疑問が迫り上がってくる。
もしセオドアの読んだ本が正しく、聖女の慟哭に応えて幻想生物が出現すると言うのなら、彼らの聖痕は──。
「…………だれ、に?」
エルシィの双眸に戻ってきたセオドアの、紫の美しい瞳が歪む。
本から知識を仕入れていた彼はおそらく、気がついていたのだろう。初めて出会った時のルヴィナや、チェンノッタの身体的な様子を見て、確信を持ったのかもしれない。
子供たちは殺されかけたのだ。
最も身近で、最も愛を感じるはずだった、その間柄に。
セオドアは痛ましげに唇を歪め、エルシィの額にキスを贈る。
そして壊れ物を扱うに似た仕草で慎重に、彼女の強張る体を抱きしめた。
「嘘……、そんな、ねぇ、旦那さま、……嘘だと言って……!」
声を震わせ、エルシィは首を左右に振り、両手で己の口を覆う。
そうしなければ今すぐにでも、叫び出してしまいそうだった。




