第30話
方々を駆けずり回り準備を終えたフェイが迎えに来たのは、十日ほど経過した後だった。
ツヤツヤとハリのある笑顔の彼と、干からびた印象があるシテラの案内で、皇宮の門をくぐる。
各所に配置された武人が睨んでいたものの、一行に対し何かを言う事はなく、渡り廊下を歩いて本殿に通された。
エルシィは思わず、視界に入った光景に感歎をこぼす。
高い天井に巡らされた格子状の梁からは、鮮やかな朱色の布が垂れ、その向こう側に見える天井には、見たことのない生物が描かれていた。
両脇に置かれた調度品は、鬼灯を模した彫り物が多く、どれも繊細で美しい。
そして王座の後ろには、数メートルは下らないタペストリーがかけられ、天井に描かれた生物が炎の中より飛び立つ絵が、様々な色彩を織り交ぜ描かれていた。
フェイの誘導で立ち止まったエルシィの横で、セオドアが視線を巡らせる。
彼は居心地の悪そうな表情をした後、体の横で両手を握りしめ俯いた。
「楽にしていていいわ。アタシの聖女ちゃんは、お堅い子じゃないから」
そう言ってフェイが片目を瞑る。
気遣いはありがたいが、相手はこの国の最高権力者だ。おまけに部屋の四方には武人が控え、絶えずこちらの様子に目を光らせている。
膝をついて待った方が良いのでは、と声を発しようとした時、大きな鐘に似た音が室内に響き渡った。
王座を天地で挟み、天井と床に魔法陣が現れる。
それはタペストリーに描かれた、鮮やかな鳥と鬼灯に似ていた。
息を呑んだ次には、階段下まで火の粉が飛ぶ巨大な火柱が、魔法陣を繋いで王座を包み込む。
思わず短い悲鳴を上げたエルシィを、セオドアが片腕に抱き寄せた。
「鬼灯帝国、第17代と五四季の皇帝、琴・美炎様の御成です!」
同じ衣服を着用し、帽子から垂れた赤い布で顔面を隠す数人の女官が、王座を挟んで両脇に並んだ。
火柱の勢いは一瞬で弱まり、代わりに艶やかな民族衣装に身を包んだ少女が姿を現す。
燃えるような牡丹紅の髪を、頭の高い位置で二つに結んだ、ゆるい三つ編みの巻いた髪。百草霜色の瞳は、猫に似た目尻で吊り上がり、柔らかな唇が弧を描いた。
人形のように可愛らしく、しかしスラリとした身体のラインが妖艶な美少女である。
彼女は目尻を緩ませ、大きく息を吸い込んだ。
「おーほっほっほっほ!! よく参られましたわねぇ愚民? あたくしの興味を射止めましたこと、褒めて遣わしますわぁ──っ!!」
思ってたんと違う。
全員の心が刹那的に一致したのだが、誰も声を発せられず呆気に取られる。
しかしフェイだけは普段通りなのか、きゃあきゃあと喜んで片手を振った。
「ああん今日も素敵よ、アタシの聖女ちゃーん!」
「当然でしてよ、ペイジフェイリリス? 今日もこの世であたくし、いず、なんばーわんですわ!」
メイイェンは文字通り声高らかに、物語の悪役も驚くような高笑いをし、子供らしからぬ優美な動作で王座に腰を下ろす。そして片手の指先で己が下僕を手招いた。
階段を上がったフェイは笑顔で王座の後ろに周り、脳天から人間の姿を割いて本性を現す。
先日見た時よりも大きな上半身には、赤い空洞が空いて鱗のように艶めく。下半身は巨大なザクロの果実を、網目状の白いガクが包み込んだ。複雑に折れ曲がった2本の腕からは枝が伸び、布を絡めながら天井までひしめき合う。
ぱたぱたと赤い液体を垂らし、空洞を笑みの形に変化させる、幻想生物ペイジフェイリリス。
その圧倒的な存在感を持ってしてでも失われない、皇帝美炎の姿に、エルシィは目を見開いた。
メイイェンは白く滑らかな足を組み、全員を眺めて目を細める。
「緊張しなくてよくてよ、愚民。下僕からあたくしの呪いを解ける逸材と聞いていますわ。あの紅優を出し抜いてここまで来たんですもの。あたくし、期待していますのよ」
横に並んでいた女官が動き出し、鳥の羽を模した団扇で扇いだり、黄金の器に入った果物を差し出したりと、甲斐甲斐しく世話をし始める。
エルシィたちはようやく意識を手繰り寄せ、こう言った場の訓練を受けているルヴィナが、衣服の裾を持ち上げた。
「沈まぬ太陽の神、チン・メイイェン皇帝のご厚意に多大なる感謝を。お初にお目にかかります、ルヴィナ・ベル・ピアノンと申します。発言のご許可を賜りたく存じます」
「あなたが我が下僕の妻の主人ね。ほほほ、構わなくてよ」
上機嫌でコロコロ笑うメイイェンに、ルヴィナはやや戸惑いながら、エルシィに視線を向ける。
エルシィは緊張を滲ませながら、同じく両手で衣服の裾を持ち上げた。
「……皇帝陛下、初めまして。エルシィ・サックスと申します。今日はご多忙の折、お時間を賜りましたこと、感謝いたします」
慎重に頭を下げたエルシィの視線の先に、メイイェンの顔があった。
一秒もないうちに王座は空席になり、目を丸くする美少女の顔が目の前にある。
そう認識した次の瞬間、セオドアが咄嗟に女皇帝の衣服の裾を踏んづけた。
魔術が発動し、パチン、という破裂音と共に、微かな衝撃がメイイェンの体を押し返す。彼女は面くらった顔をしたが、すぐに床を蹴って体を捩りながら一回転した。
「天陽降臨、焔ですわ!」
「っ──!?」
メイイェンの足元へ、目にも止まらぬ速さで魔法陣が形成され、布が巻かれた素足の踵がセオドアに触れるや、爆発音を伴い男の体が蹴り飛ばされる。
彼は二度ほど床に体を打ち付け、すぐに体勢を立て直し、両足と片手で床を擦った。
咄嗟に発動した魔術で人体への影響は免れたようだが、脇腹から腕の方へかけ、衣服の一部が焼けこげている。
「いってぇ……っ」
「旦那さま!」
呻いたセオドアに青い顔でエルシィが駆け寄ると、メイイェンは光のない双眸で二人を凝視した。
そして両手で顔を覆い、俯きながら何事か呟き始める。
「この反応速度、咄嗟の判断、明快な術式、何をとっても超一流ですわ……天からの誉、逸品ですわ……!」
「こ、皇帝陛下……?」
傍にいたルヴィナが、不穏な空気を感じ取り、恐る恐る声をかけた。
しかし悲しきかな美少女皇帝には一切届かず、メイイェンは輝かんばかりの笑顔で、大きく両手を振り上げる。
「やっぱりあなたが、人生百年なんばーわんですわぁ! セオドア・ハープシコード王、あたくしと結婚なさいませ!!」
思ってたんより、やばかった。




