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第29話




「しんっっっじられない!! あんなの男の中のクズよ御母堂さま、今すぐに両頬をビンタするべきだわ!!」

「そうですね、しましたけど」


 散乱した食器類の片付けに追われて半刻ほど。

 エルシィは火照る頬を片手で仰ぎつつ、眉を寄せながら箒でガラス破片をかき集めた。


 セオドアの誘導で再度、冥府の門を連打したエルシィが我に返れば、個室を彩っていた装飾品が全て壊れる大惨事である。

 エルシィの立体魔法陣が発動し、ロータスが大輪を咲かせた室内は、それはもう混乱の真っ最中であった。

 セオドアが魔術で沈めて、衝撃を最小限に収めたとしても、その勢いは凄まじく。騒ぎを聞きつけて飛んできた店長に、烈火の如く怒られ、全員で後始末をする事態だった。

 弁償しろと詰められて、セオドアが色をつけて金銭の取引をしたので多少は良いが、エルシィもたまったモノではない。

 彼女はセオドアに往復ビンタをかまして、暫く口も聞きたくないと突き放し、今はフェイの側にいるのであった。


 ルヴィナの魔法で復元された室内に、店長もようやく溜飲を下げた。しかし柔らかな表現に百層ほど包まれ、二度と来るなと笑顔で言われてしまえば、反論もできない。本当に二度と足を踏み入れられないだろう。

 

 店頭に必死に頭を下げて店を出た後。

 エルシィは魔術師組と離れ、ルヴィナとシテラ、そしてフェイと共に皇宮の門前まで足を運んでいた。


「お城では、ないんですね。でも、ちょっと変わったお屋敷みたいな……」

「ええ、そうね。これが東では一般的なの。……今はここまでしか連れて来られないけれど、すぐに門を潜れるわ」


 一重の美丈夫が表情を緩ませ笑い、しかしすぐに眉を下げると、門を行き交う人々を眺める。


「…………御母堂さまの力なら、本当に、メイイェンを救える気がするわ。でも貴女の力は、貴女にとって、あまりに理不尽で暴力的ね」

「……」

「あの男のやり方は最悪だけど、貴女がその怖さを自覚するには、脅迫めいた言い方しかなかったのかもしれない」


 独り言交じりに呟いて嘆息した彼は、両手で軽く顔を叩きつつ、シテラに振り向いた。


「じゃあ、アタシはいったんお別れね! ……また後で」

「ええ」

「あ、あの! 待ってください、フェイ!」


 愛おしげに瞳を細め、どこか名残惜しそうに踵を返したフェイを、ルヴィナが慌てて呼び止める。

 目を丸くする彼に、少女はシテラの背中を押すと、にっこりと微笑んだ。


「シテラと一緒に、いてあげてください」

「お嬢さま!」


 流石に驚きの声を上げたシテラだが、ルヴィナは頬を膨らませ、己の幻想生物を睨む。


「あなた達は、仲良しの夫婦なのでしょう? こんなに近くにいるんだもの、一緒にいる時間を作るべきだわ」

「しかしお嬢さま、私には役目が」

「あなたの今の役目は、旦那さまと一緒に過ごす事だわ! わたしはママの側にいるから大丈夫よ。……あなたも、あなたを愛してくれる人の側にいて。ね? シテラ。わたしのお願い、聞いてくれるでしょう?」


 柔らかなハニーイエローに見つめられ、シテラが珍しく言葉を詰まらせた。

 彼女の視線は空中を彷徨い、目の前にいるフェイに留まって、暫し見つめ合う。

 彼は彼女以上に大きく目を見開き、口すら半開きにしていたが、徐々に嬉しそうに笑って愛する妻を抱き寄せた。


「そういう事なら、お言葉に甘えちゃおうかしら」

「フェイ……!」

「なぁにシテラ。…………()といるのは、いや?」


 やはり珍しく口を閉ざすシテラの目元が、微かに赤いのは気のせいではないのだろう。

 見つめ合う沈黙は分かり易い肯定だ。フェイは上機嫌で何事かシテラに囁き、彼女は観念した様子で長い溜め息を吐き出した。


「……お嬢さま、何かあればお呼びください。いつでも駆けつけます」

「うん」

 

 エルシィを振り返って笑顔を見せるルヴィナに、エルシィも微笑んで、小さな彼女を片腕に抱き寄せる。

 シテラは軋んだ音を立てながら姿を変え、鉢植えに咲くチューリップの姿になると、そのままフェイの腕に大人しく抱えられた。


「俺の最愛が命を賭ける、気高き月光の聖女さま。此度は寛大なお心遣いを賜り、恐悦至極にございます。この恩はいずれ必ず、報いましょう」


 姿勢を伸ばしたフェイは、言葉すら正し、深々と頭を下げる。

 そして歌い出しそうなほど嬉々とした表情で、植木鉢を撫でつつ門の向こうに消えていった。


 背中が見えなくなるまで見送った後、ルヴィナと手を繋ぐエルシィに、彼女は顔を上げる。


「ごめんなさい、勝手なことをして」

「いいえ。ルヴィナさまは優しいですね」

「えへへ」


 はにかみ笑うルヴィナだが、繁華街の隅を歩き始める横顔は、どこか暗い。

 どうかしたのかと窺っていると、彼女は眉を下げて口を開いた。


「ママ、わたしね。あまり良くない癖があるの」

「癖?」

「わたしはずっと何年も、第二王女ルヴィナを真似してきたわ。だから周囲がどんな反応をしているか、観察してしまう癖があるの」


 ルヴィナは生まれた時から、姉姫の身代わりをして生きてきた。模写する対象がどんな人間であるか、終始その様子を観察し、周りの反応に答えを求めてきたという。

 それは身に染みついた癖で、今も自然と人の視線の動き、呼吸音の高さ、顔色、表情の機微を、瞳が追ってしまうのだという。


「シテラがフェイを見る時間が、他の人より、ちょっとだけ長い事に気がついたの。話していない時も、いつもちょっとだけ、彼を見てる。……シテラだけなら、なんとか側に居られるんじゃないかと思って」

「ルヴィナさま……」

「…………あのね、ママ。……セオドアさまもね、ママを見てるの」


 人混みを避けて立ち止まるルヴィナが、エルシィを見る。

 戸惑って返答に窮したエルシィに、少女は寂しげに眉を下げた。


「だけど、セオドアさまの行動や、お話は、ママに嫌われようとしてると思う」

「…………」

「わたしの周りには、そんな人、いなかったから、良く分からないけれど……。でも、セオドアさまはママに嫌われる事で、安心した顔をするように思うの」

「……安心……?」

「うん。でもねママ、聞いて。セオドアさまはね、自分でそうしてるのに、とっても寂しそうな顔をするの。嫌だなって、苦しいなって、泣きそうな顔をするのよ」


 わたし、と言葉を切って、ルヴィナは再度俯く。


「……わたしも、あの人が分からないわ。あの人は本当に、ママを護ってくれるのかな……?」


 ふと馴染みある声が聞こえた気がして、エルシィは視線を向けた。

 露店に並ぶインク壺を眺め、チェンノッタと言い合いながら選ぶセオドアが、大通りを挟んだ向こう側に見える。

 満足げに笑う顔は好奇心と慈愛に溢れていて、一つの影も見受けられなかった。



 


 


 


 

 


 

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