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第24話




 エルシィは混乱を極めていた。

 セオドアが高位魔術師だということは、自らも、これまで対話した人物の言葉端からも察してはいた。

 それでも彼は、陽気で優しい変態魔術師であったし、あまり実感が湧いていなかったのは事実である。


 ウィズィの木の根に守られながら、エルシィは目の前で繰り広げられる攻防に度肝を抜いた。


 セオドアの異質さは、その手数の多さだ。

 ホンヨウと名乗った男が、どの方向から剣を振り下ろしても、どんな速度で背後に回ろうとしても。身体や衣服、靴、はたまたベルトや装飾品まで、あらゆる箇所に書き込まれた魔術が発動するのだ。

 加えて髪の一本一本まで、自在に魔術を行使する素体にしてしまっている。

 襲い掛かる武人がいくら束になっても、()()()()()()()()()()()ほどに。


 エルシィは混乱していた。

 セオドアが隠し持っていた能力ではなく、彼の手数の多さ、用意周到さに。

 それだけ用意しなければいけない環境に、ずっとセオドアが身を置き続けていることに。


 ホンヨウに両足を巻きつけて、2階から投げ飛ばし、彼自身も姿を見せなくなった後。

 外から聞こえる悲鳴を耳にしつつ、シテラがようやく長い息を吐き出した。


「……御母堂さま。手当を」


 振り返る彼女の言葉で、エルシィも首が痛む事を思い出し、片手で血濡れた肌に触れた。

 オウムに戻ったウィズィが、チェンノッタの肩に止まり、ルヴィナがエルシィの手に己の手を重ねる。


「“在りし日の温もり、追憶の奏” “真綿の赦しよ、軌跡の錆に愛を成せ” “我が事、我が命、すべからく御身の血肉となり、痛みから解放させよ”」


 少女が呪文を呟けば、傷口がたちまち塞がった。

 ホッと胸を撫で下ろした後、エルシィは俯くチェンノッタの頭を撫でる。


「ノッタくんは、怪我しなかった?」

「…………ごめ、な、さい」

「え?」

「僕が、……っ僕、***っ、……***!」


 言葉の途中から母国語に変わり、泣きじゃくりながら少年はエルシィに抱きついた。震える体は怪我を負ったエルシィより余程酷く、彼女は両腕に抱えて眉を下げる。

 ルヴィナの肩に移動したウィズィが、器用に肩を竦めて見せた。


「そう落ち込むなってやつだチェンノッタ。俺様すら意識が追いつかない速さに対応しろなんざ無理難題ってやつだぞ。後で一緒にハープシコードにしこたま叱られてやっからよぉ。それよりもオメーは影を伸ばせ。状況を把握しねーといけねーな」


 影を伸ばす、という聞き慣れない言葉に、エルシィとルヴィナが顔を見合わせる。

 チェンノッタは両手で涙を拭くと、何度か頷いて床に手の平をついた。


「“テン・モウユ・ナ・ナストゥーピ”」


 不思議な言語で囁かれた呪文に合わせ、影の花吹雪が床を渦巻き、一斉に散っていった。

 程なくエルシィたちの座る空間を囲むように、音だけが拾われて部屋に響く。

 ウィズィ曰く、チェンノッタが最も得意とする魔法だという。魔法陣を必要な範囲まで伸ばし、その上を舞う花弁の影が、全ての音を拾ってくるのだ。


「おうおうおうさすが母体樹様がいるおかげだな。必要な音を拾う精度が段違いってやつだ」


 聞こえてくるのは、おそらく下階の音。

 セオドアの魔術を恐れ逃げ惑う人々の悲鳴、剣がぶつかり弾かれる高音。ホンヨウが指示を出し、そして唸り、何かが壊れていく音だ。


 エルシィは心が揺れる感覚を、片手を己の胸に当てて確かに感じ取る。

 これほどの音が溢れているのに、セオドアの声は、微かな呼吸音しか聞こえないのだ。


「…………、……この声は、フェイ?」


 突然、ハスキーな叫び声が場の空気を震わせる。

 聞き入っていたシテラが、怪訝な顔で眉を寄せた。


「シテラねーちゃんの知り合いか?」

「夫ですね」

「そうかぁ夫様か。…………えっ」

「えええっ!?」


 思わず、真剣に耳を傾けていた内容の全てが、全員の脳内から遠く彼方へ飛んでいった。


「おっ、夫!? シテラさん結婚してたんですか!?」

「人間で言うところの、ですね。我々幻想生物の立場からすれば、厳密には違いますが」

「すごく優しくて綺麗な声だけど、男の人なの?」

「ええ、お嬢さま。胡散臭い男でございますが、敵ではありません」


 死にたくない! と泣き叫ぶのが聞こえ、エルシィは慌てて立ち上がった。


「それなら尚更、旦那さまを止めてこなくちゃ!!」

「お待ちください、御母堂さま。今、下に降りるなど危険な真似は──」

「わたしなら大丈夫! 二人は子供たちをお願い!」


 抑揚に乏しいセオドアの声は、あまりに冷酷だ。

 このまま誰も止めに入らねば、本当に彼は害なす全てを殺してしまうだろう。

 エルシィは普通の家庭に生まれた、ごく普通の人間だ。そんな彼女でさえ、セオドアが纏う緊迫感は、如実に感じ取れるほど生々しい。

 

 ごく普通の人間である自分では、セオドアの現状も思考も、能力も立場も、本当の意味で理解が及ぶことは、おそらく一生ないのだろう。

 ここでエルシィが出ていって、余計にセオドアの逆鱗に触れる可能性もゼロではない。


 それでもエルシィは、臆することなく窓の縁を蹴る。

 どれほど自分勝手で嫌いな男でも、書面上の体裁だとしても、今は彼女の夫である。

 エルシィにはセオドアの、生命と尊厳を守る矜持があった。


 止めに入ることを許されていると、今はそう信じていたいのだ。




「だっ、だ、旦那さま、だめ……!!」


 踏み固められた雪や、吹き飛ばされた瓦礫の上に落下する前に、エルシィの体は冷えた体に抱きしめられた。

 その場を一回転した彼は、真っ青な顔で眉を吊り上げる。


「っ、っ、馬鹿!! 二階から落ちてくるんじゃねぇ、危ないだろう!?」

「危ないのはあなたでしょ、早まらないで!!」

「な、──んぶッ!?」


 エルシィは渾身の力で、夫の頭を胸に抱き込んだ。


「もう十分よ、わたしもノッタくんも無事だわ。これ以上はいらないの! あなたがわたしたちを護ってくれて嬉しい。その気持ちはちゃんと伝わってる。だけどもう、十分だから……!」


 必死に言い聞かせ、柔らかな髪に頬を擦り寄せた。

 心臓の音は心身を落ち着かせる。そう、ものの本で読んだことがあった。エルシィはセオドアの怒りが静まるようにと、ぎゅっと目蓋を閉じて祈る。


『…………美男美女夫婦の熱い抱擁を間近で拝めるなんて、心の栄養以外の何者でもないわねぇ……』


 関心しきりに空中を漂った声を皮切りに、二人の様子に呆気に取られていたホンヨウが、ゆっくりと無事な剣を鞘に収めた。

 硬直したセオドアの衣服から見える全ての皮膚が、茹で蛸の如く赤くなる。その様子で東の王配は、ようやく命拾いした事を認め、息を吐いた。

 

 セオドアが身動き出来ない状態である事に気がつく余裕など、今のエルシィにはなかったのであった。

 

 

 

 

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