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第22話





「……突然のご無礼をお許し頂きたく。チン・ホンヨウと申します」


 男は流暢な言葉使いで名乗り、足音も静かに近づいてくる。

 片足が魔法陣の端に触れたのを皮切りに、ウィズィの根が天井まで伸び上がった。片手を払う仕草をしたチェンノッタに合わせて、縦横無尽に動き回る根を振り下ろす。

 しかし男は僅かな動作で衝撃を避け、再び腰元から剣を引き抜くと、逆手から持ち替えて木の根を叩き切った。


 重力のある音を立てて吹き飛んでいった根が、壁に当たって崩れ落ちる。

 それに怯まず、矢継ぎに攻撃するウィズィだったが、全ていなされた。加えてそう広い室内では無いことも相まって、徐々に動きが鈍くなっていく。

 これ以上の攻防は、エルシィの身にも危険が及ぶのだ。

 チェンノッタは魔術師で、今は魔術本が手元にない。魔法の才が多少あっても、防御するまでの力は()()備わっていない。

 ウィズィは全ての根を背後に引っ込め、軋んだ音を立てながらオウムに戻ると、再度エルシィの肩に体を落ち着かせた。


「おうおうおう既婚者の部屋に許可なく入り込んでくるタァいい度胸じゃねーか!?」

 

 男の視線は逸らされる事なく、真っ直ぐにエルシィを見つめている。

 エルシィは唾を飲み込んで口内を湿らせ、片手をあげてウィズィを制すると、チェンノッタを抱え直した。

 

「貴殿がエルシィ殿でしょうか」

「…………そうです」

「私は貴殿の協力を得るために来たのです。これ以上の攻防は無意味とご理解ください」

「協力、ですか?」


 不躾な侵入者に怪訝な顔をすれば、ホンヨウは頷いて、再度、得物を鞘に収める。


「左様です。貴殿が聖女の力を増幅させるとの噂を耳にしました。貴殿にはわが国で、我が妻の力になって頂きたいのです」

「え……、と、いうのは……?」

「こちらでは聖女、大きく捉えて魔法使いと名乗るのでしょうか。我が妻はソレなのです。そしてその力に(おか)されている。貴殿にはその力を制御する、礎となって頂きたい」


 言葉遣いこそ丁寧だが、威圧的な言い方だ。

 ホンヨウは東の方にある国の王配で、各国を飛び回り、女王であり妻の容体が回復する術を探しているのだという。

 聖女の噂を聞きつけてホールボームにやってきたところで、辺境伯領に聖女と母体樹がいる事を知り、足を運んだと口にした。


 話を聞き終えたウィズィが、なるほど、と低く呻く。


「それにしちゃあ姑息じゃねーか武人様よ。噂を聞きつけて辺境伯領に赴いたってことは御母堂様の同行人も当然耳に入ってるよな? そして廊下の警備兵をのしてから入室してるってこたぁ内密にしたい意図がある」


 相変わらず句読点のない、しかし怒気を孕んだウィズィの声に、ホンヨウが片方の眉を上げた。 

 戸惑うエルシィの足元で、黒い魔法陣がゆっくりと揺らぎ始める。


「…………僕のママを、どうするの」


 チェンノッタの表情にあるのは、明確な敵意だ。

 今この場でエルシィを護れるのは、チェンノッタとウィズィだけである。


「僕のママを、つれて行く? …………ゆるさないよ」


 影の花吹雪が部屋中を舞い始めた。それは暖炉で燃える炎にすら映り込み、異様な光景にエルシィは息をのむ。

 

 しかしチェンノッタが呪文を呟こうとした刹那、ささくれた大きな手が小さな顔を鷲掴みにした。

 悲鳴を上げかけたエルシィの首元に、抜き身の刃が添えられている。

 薄皮が切れて血が滲み、エルシィは呼吸すら全て喉の奥に飲み込んだ。


 その動きは、全く目で追えないものだった。

 いつ片手を前に出したのか、いつ剣を抜いたのか。幻想生物のウィズィですら、その速さには追いつけない。痛みを感じてようやく事象を理解するほどの、人智を超えた素早さだった。


「……エルシィ殿。誤解されては困る。これは依頼ではなく交渉です」


 深灰色の瞳が、温度のない冷たい目が、エルシィの双眸を見つめている。


「貴殿の返事は肯定しか求めません。……もう一度言う。これは依頼ではなく、交渉だ」


 片手に顔面を掴まれたチェンノッタが、悲鳴を上げた。小さな手で男の腕を掻きむしり、みみず腫れができても、男は力を緩めない。

 エルシィはか細い声で、やめて、と絞り出す。


「この子から手を離して!」

「交渉という言葉が理解頂けないか。残念でならない」

「待って、やめて、この子は関係ないでしょう!? わたしに要件があるなら、今すぐその手を離しなさい!!」


 いくら気丈に振る舞っても、男の目の前にいるのは、所詮、非力な女子供だ。

 変化の能力を身につけたばかりのウィズィでは、咄嗟に二人を護るのは難しい。

 鼻で笑ったホンヨウが、ほんの僅かに刃をエルシィの首に滑らせた。


「痛っ……!」

「立場を分かっていないのは残念だ。貴殿はこのまま私と来てもらう」

「っ……いや……」

「否定は要らない。抵抗も無意味だ。手足を切断してでも来てもらうぞ、聖女の母体樹よ……!」


 恐怖と混乱で視界が赤く点滅し、エルシィは真っ白な顔で目を見開く。

 どうにか逃げなくてはならないのに、手足が思うように動かず、逃げろと叫ぶチェンノッタの声だけが脳を揺さぶっていく。


 逃げたいのに、守りたいのに、足は縫い止められたように動かない。


 

 ──ねぇエルシィ。どうやって? 



「旦那さま、助けて……!!」


 エルシィが助けを求めて願った刹那、床に月面を模した魔法陣が浮かび上がる。

 咄嗟に剣を引いてホンヨウが側頭部を護るが、空中に現れたセオドアの回し蹴りが直撃し、男の体が吹き飛んでいった。


「ママ!! ノッタ!!」


 顔面蒼白のルヴィナが、膝から崩れ落ちたエルシィとチェンノッタを抱きしめる。

 鳥の咆哮に似た金切り声を上げたウィズィが、瞬く間に大木となって三人を包み込んだ。

 躍り出たシテラが人型のまま、床に膝をついて両手を広げる。


 咳き込むチェンノッタを腕の中に引き入れたエルシィは、涙で滲む視界にセオドアの姿を捉えた。

 シテラの肩越しに見える彼は、軽く靴の先端で床を叩く。利き手には万年筆が握られ、おもむろにペン先を持ち上げると、米神から額にかけ、何事か記述し始めた。


 壁にぶつかり呻いた武人が立ち上がり、セオドアと対峙しつつ、もう一太刀を腰から引き抜く。


「…………貴殿が戻る前に終わらせてしまいたかったが、致し方ない。……チン・ホンヨウと申す、()()()()()()()殿()


 片手を前に突き出し、剣を構える武人の顔は見えても、エルシィからセオドアの表情は見えない。

 それでも三人を背に庇うシテラの体が、目に見えて小刻みに震えていることで、彼の心情を理解した。


「だ、旦那さ……」

「御母堂さま、言葉を発してはなりません。なるべく息を潜めて、姿を見せてはなりません」


 思わず声をかけようとしたエルシィに、シテラが小声で叱責する。戸惑うのはルヴィナもチェンノッタも同様で、子供たちは互いの体を抱きしめた。

 ウィズィが木の根を回し、三人の口を優しく塞ぐ。


「……お願いです、どうか、なるべく呼吸を抑えて、お願い、動かないで、どうか……どうか、あの男の怒りが静まるまで、誰も喋らないで……!」

 


 セオドア・ハープシコードは、一つの王国だ。


 その意味を、エルシィはようやく理解するのだ。


 

 


 


 

 

 

 

 

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