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第13話




 空間転移魔法は、極めて特殊な魔法である。

 着地場所の座標を定め、己の魔力を与えつつ細胞を保護しながら人体を粒子に書き換え、到着時に元の人間へ再構築するものだ。

 失敗すると粒子の海を永遠に彷徨うか、再構築できずに別の人間になるほどの威力を持っている。


 聖女ルヴィナの空間転移魔法は、素晴らしい精度であった。

 エルシィもセオドアも、衣服や荷物そのまま別の場所に転移したのである。

 ただ問題があるとすれば、一つ。


 到着場所の座標を定めていなかったのであった。



「見て見て、ママ! オーロラ! わたし初めて見たわ!」


 外気によって赤らんだ頬で、満面の笑みを浮かべつつ、ルヴィナは空を指差した。

 視線の先にある夜空には、美しい七色のカーテンが輝き、エルシィは乾いた笑顔でルヴィナの頭を撫でる。


「そうですね、きっとこの先にあるらしい街でも、見えると思いますよ」


 エルシィたちが不時着したのは、極寒の地。世界地図の一番北側に位置する、氷の帝国ホールボーム。

 ……の、雪山のど真ん中であったのだ。


 軽装で放り出され凍死覚悟の状態であったところで、散策に来ていたどこかの統治部隊に保護され、近くの街まで向かっているところである。

 黒いゴム性の車輪がついた、雪道用の珍しい馬車ならぬ、数十のオオカミが引っ張る狼車(ろうしゃ)だ。動物の毛皮が張られた荷台には、屈強な雪山の戦士たちが、肩を寄せ合って座っている。

 しかし車内の空気は和やかで、突如現れた可愛らしい少女と美しい女神に、男たちは終始ニコニコと微笑ましい視線を送っていた。


 セオドアの魔術ですっかり回復したルヴィナは、戦士の一人に借りたハサミで髪を切り揃え、今は肩ほどの長さに変わっている。部隊の予備に余っていた毛皮のコートも暖かく、初めての環境に嬉々としてはしゃいでいるようだった。

 そして彼女の側には、橙色の瞳をもった侍女が1人、静かに目を閉じて座っている。


「ね、シテラ。シテラも見て、綺麗よ」

()()()()より美しいものは()()()さまだけですので、私が見るのは不要かと」

「もう、見てってば!」


 寒さを感じないのか、古き良きデザインの侍女服に身を包む彼女は、防寒具すら着用していなかった。

 エルシィが不躾を承知で見つめていると、侍女シテラはうっすらと目蓋を開ける。


 彼女の名は、シテラガルニバス。聖女ルヴィナが従えるチューリップの異形、幻想生物だ。

 聖女曰く、普段は植木鉢に咲くチューリップに擬態し、必要とあれば人の姿を真似ているのだという。聖女に召喚されてからはずっと、世話役を引き受けてくれ、甲斐甲斐しく仕えてくれているのだそうだ。


 エルシィの目には全く人間にしか見えないが、帝国領の統治部隊相手は少し違うらしい。

 微妙に距離を置いて、どこか困惑しているようだった。


「……*****」


 エルシィの傍に座っていた自治部隊の1人が、何事か伝えながら、革製の袋から食料を取り出した。

 鼻先に香る匂いから察するに、どうやら香辛料で味付けした干し肉のようである。


「あ……、ええと、頂いて、いいんですか?」

「****」

 

 にこ、と人の良い笑顔を見せる青年に、エルシィはぎこちない笑みを返す。

 救助されて感謝しきりだが、残念なことに全く言葉が分からないのだ。

 エルシィは母の実家がある都合上、南の方の言語はいくらか知識があるが、北は全く分からない。

 唯一、多少心得があるセオドアは、車の御者席の方で、隊長格と話をつけに行ってしまっている。


 エルシィは干し肉を受け取り、ルヴィナと視線を合わせる。せっかくのご厚意だ、無碍にするのも失礼だろう。

 ルヴィナの毒味も兼ねて口を開いた時、背後から伸びてきた片手に口を覆われて、思い切り体を撥ねさせた。


「せ、セオドアさま!?」


 御者席から足場を伝って戻ってきたセオドアが、僅かに困ったような顔で青年に会釈する。北の言語で何事か伝えると、青年は目を丸くし、しきりに頭を下げて片手を左右に振った。

 エルシィを抱きかかえ、己の膝の間に座らせて腰を落ち着かせるセオドアに、彼女は身を硬直させて肩越しに彼を振り返る。


「な、何?」

「携帯食は食べない方がいい。この土地の味が出過ぎるからな」

「どういうことですか?」

「火を吐くほど辛いってこと」

「え」


 干し肉を丁重に青年へ返したセオドアは、さて、とルヴィナとシテラを見渡した。

 4人はひとまず、辺境伯領に滞在できる許可が取れたという。聖女ルヴィナが同行しているというのも大きく、辺境伯自ら屋敷に招待してくれるのだそうだ。

 その間に無国籍自治区に向かうと言い、彼はエルシィの髪を指先で撫でた。


「滞在中に行ける場所なんですか?」

「ルヴィナお嬢さんの魔法で連れて行ってもらおう」

「他力本願じゃないですか!」

「こればかりは仕方がない。無国籍自治区は海のど真ん中だ。船で向かうこともできるが、遭難の可能性もあるし」


 肩をすくめてあっけらかんと伝えるセオドアに、エルシィは閉口して片手で顔を覆う。

 そんな辺鄙な場所で婚姻届を出すなど、考えた事もない人生であった。助けを求めた手前、仕方なくとは言え、本当にこれで良かったのだろうか。

 無国籍自治区が掲げる無神教は、冠婚葬祭に必要な儀式を省略し、ただ書類を提出すれば良い場所なのだという。

 訳あり難ありの家族が利用できる場所ということで、意外にも自治区内の人口は多いのだそうだ。


 頭を抱えるエルシィに、ルヴィナが心配そうに眉を下げた。そしてシテラに視線を向けると、侍女は剣呑に男を睨みつける。


「……ハープシコード。本当に御母堂さまを奥方に迎える気なのですか?」

「ん? そうだけど?」

「では御母堂さま。僭越ながら私が、現時点でマイナス5000兆点の男と結婚する事による利点と欠点、そして無国籍自治区で婚姻届を提出する最大の利点をお伝えいたします」

「いきなり美人に蔑まれ始めたんだが、悪くないんじゃないか……!?」


 顔を赤くし興奮しないでほしいものである。

 





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